Yahoo!ニュース

『M-1』3回戦のゆかいな議事録「中国ネタ」が物議、それが「笑い」になっているかどうかの境界線

田辺ユウキ芸能ライター
(提供:アフロ)

『M-1グランプリ2023』のYouTubeチャンネルで公開中の、3回戦で披露された各ネタ。そのなかで物議を醸しているのが、ゆかいな議事録の「中国ネタ」だ。

同コンビが3回戦で披露したネタは、政治のことが大好きな山本期日前が「韓国の政治家って自分の支持率が下がると、すぐ反日に転じるじゃないですか」と前振りし、「自分がピンチのときに相手の怒りをより嫌いなものにそむけさせたら、(怒りがぶつけられることを)回避できるんじゃないか」と持論を展開していくもの。

続けて山本期日前は「日本人の8割が中国を嫌っている」と言って、中国を「怒りを回避させる嫌いなもの」に設定。たとえば肩がぶつかって絡まれたときも、接触した原因の根底に「日本が原発処理水を海に流して、国際原子力機関は安全だと言っているのに、中国が日本の魚を輸入禁止にしている」ことを挙げ、「そのせいで水産業者は経営が傾いて。それなのに中国人が日本の海で密漁していたんですよ」とたたみ掛けることで、怒りの矛先を中国に向けることができてトラブルが避けられるとした。

終始、中国をやり玉にあげていくこのネタに対して動画視聴者は、「風刺」「言っている内容は間違いではない」として笑えるという感想から、「差別」「ヘイトスピーチ」として嫌悪感を抱くという意見まで賛否で分かれ、炎上騒動にまで発展した。

ゆかいな議事録がネタの最後に口にした「言論の自由」

ゆかいな議事録の「中国ネタ」でおもしろかった部分はどこか。一つは「自分がピンチのときに相手の怒りをより嫌いなものにそむけさせたら、怒りは回避できる」とする話の起点だ。以前から心理学などで説かれていることなのかもしれないが、ネタの骨格となるこの前振りは「確かにそうかも」と納得できるものだった。

また二人は、この「中国ネタ」が物議を醸すことを想定できていたようにも見えた。長島聡之が「どこでなにを話し始めてるんだよ、やめろって」「ここ、なにを話す場所でしたっけ」というツッコミがそれをあらわしており、さらに「やめてやめて、やめてくれよ」と話を遮ったとき、山本期日前が「あなたは今、私の言論の自由を奪ってきましたね」と反撃したところも、まさにそう。これはつまり、視聴者からネタ批判を食らっても、漫才=言論の自由だという主張であると読み取れる。どう思われるのか、いろいろ先読みした仕掛けが散りばめられていた。

なによりこのネタは彼ら自身の「笑い」である。観る者として「好き」「嫌い」はあっても、彼らの「笑い」のスタイル自体を否定できるものではない。

たとえばAマッソがかつて人種差別的なネタを披露して炎上したことがあった。Aマッソは事務所を通して「笑いと履き違えた、最低な発言であったと今更ながら後悔しています。人前に立つ仕事をする人間として以前に、一人の人間として絶対にあるまじき言動であったと思います」と謝罪した。そういったネタを思いついて披露したこと、そしてそれを悔いて謝罪したこと、どちらもAマッソの「笑い」に対する考え方なのだと思う。

ゆかいな議事録には「中国ネタ」以外にも政治や社会をテーマにしたネタがあるが、そもそもそれらが、二人にとっての「笑い」なのだ。

「笑い」かどうか微妙な要素、傷ついたり気にしたりする人は確かにいる

とは言っても、鑑賞者の多数が「不愉快」「観たくない」と思ったり、心を痛めたりすれば、日本ではテレビなど大衆的な舞台からは淘汰される場合が多い。あくまで感覚ではあるが、この「中国ネタ」を「笑い」とする見方と、「差別」「ヘイトスピーチ」などとする見方は半々のように映った。その割合をどのように捉えるか。ただし視聴者のなかには、「日本人の8割が中国を嫌っている」という直接的な表現を受けて傷ついたり、気にする人も間違いなくいる。その時点でこのネタには、「笑い」と言えるかどうか微妙な要素が混ざっているのではないか。

ちなみに『M-1』とは比べものにならないが(そしてゆかいな議事録の完成度には到底及ばないが)、筆者が10年ほど前に出演していた地下の大喜利ライブ、ネタライブなんかでも、配慮に欠けていたり、タブー的な回答やネタ内容がたくさん披露されていた。社会的にもモラル的にもギリギリなラインをあえて口にするのは、攻めている感もあって笑いを生みやすい。筆者自身もそんな流れに乗ったことがある。同じようにタブー的な発言をした経験もある。それが時には大きなウケになることもあったが、今となれば「誰かを傷つけたのではないか」という後悔ばかりが残る。

あの場でのそういう言葉や表現は「笑い」になっていなかった。ただ単にタブーを犯して、なにかを蔑んだり、笑いものにしているだけ。それを「風刺笑い」や「過激なおもしろさ」だと勘違いしていた。そういったネタや回答にあるのは、「恐れ知らずの自分」「人が言いづらいことを言ってやった」という間違った自尊心でしかなかった。

「風刺笑い」と書けば聞こえは良いが、その「風刺」も誰かを苦しめ、追い詰める場合がある(一方でそれが過度なコンプライアンス意識にも繋がっているので難しいところだが)。

「笑い」の境界線、『M-1』決勝で披露されている光景は想像しづらい

だからこそ技術力が重要だ。ゆかいな議事録は、『M-1グランプリ2023』の3回戦までたどり着いている(3回戦敗退)。何千組とエントリー者がいるなかで、それはすごいこと。それだけの技量を持ちあわせている。となるとポイントは、政治や社会を題材とする方向性であれば、誰もが納得して笑えるかどうか。

「中国ネタ」のような内容が『M-1グランプリ』の決勝の舞台で披露されている光景は想像しづらい。それは敗者復活戦の対象となる準決勝も同様。予選でどれだけ爆笑が起きても、そしてどれだけ技術があったとしても、全国の幅広い人たちが注目する『M-1』のテレビ放送に乗るのは難しいと思えてしまう。

「中国ネタ」が「笑い」になっているのかどうか、人それぞれで受け取り方は違う。ただ「境界線」という意味では、少なくとも『M-1』においては、決勝戦や敗者復活戦では放送しづらいだろうという現状や認識が、一つの答えになっているのかもしれない。

芸能ライター

大阪を拠点に芸能ライターとして活動。お笑い、テレビ、映像、音楽、アイドル、書籍などについて独自視点で取材&考察の記事を書いています。主な執筆メディアは、Yahoo!ニュース、Lmaga. jp、リアルサウンド、SPICE、ぴあ、大阪芸大公式、集英社オンライン、gooランキング、KEPオンライン、みよか、マガジンサミット、TOKYO TREND NEWS、お笑いファンほか多数。ご依頼は yuuking_3@yahoo.co.jp

田辺ユウキの最近の記事