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大人の日帰りウォーキング 必要なお金は交通費のみでも歴史や史跡を楽しめる1日20kmを歩く旅

わか子森山わか子:ライター
旧中山道 烏川(群馬県藤岡市)

少し、疲れてきた。
やせ我慢、負けず嫌い、頑張り屋?私は少なくても頑張り屋ではないよね。そんな言葉が頭の中に出てくるから、疲れてきたのは本心だけれど、ま、良いかと言う言葉が一番合っているような感じがしている。

今日は朝から日帰りウォーキングの旅に出ており、ここまで歩いた距離は15km以上になっている。15kmも歩いているの?と、驚かれることも多いけれど、時間をかければ長距離は何となく歩ける。
今日はこの先にあるJR信越本線の安中駅まで歩く計画をしているので、残り約5km。合計で1日20kmの歩く旅である。

電車や自動車が無かった江戸時代の人々は、1時間に1里(3,927km)を歩く速度の目安にしていたとあるが、何かと運動不足の現代人では時速約4kmで歩くのは大変であり、それに加えて何時間も速度を保ちながら歩き続けるのは難しい。自分のペースで歩こうか。

子育てを卒業する頃より歩く旅を始めて楽しんでいる。登山や街道歩き、霊場巡り等の色々な場所を歩いており、今回歩いているのは中山道。
江戸時代に造られた五街道の1つである中山道は、江戸日本橋から京都三条大橋までの約530kmもある街道であり、江戸時代の人々は約2週間で歩いたと言われている。

中山道 下諏訪宿(長野県諏訪郡下諏訪町)
中山道 下諏訪宿(長野県諏訪郡下諏訪町)

昔の人が歩いていたのなら、今でも歩けるよね。
ふと、そう思い立ち、東京日本橋より出発して中山道を歩きはじめて今回で7回目になる。江戸時代の旅人と比べると、2倍以上のペースで日数が経っているが、日帰りで歩き続けるとなると、現地までの移動時間も必要なので、当時と全く同じ条件ではない。現代では現代に合わせて旅を楽しもうか。
そして、シングルおばさんの私は子育てや学費にお金を使い果たしたので、自慢でないがお金は無い。それでも、歩く旅を楽しめているのは、交通費以外にお金があまりかからないお財布に優しい趣味だからでもある。

群馬県高崎市にある上豊岡の茶屋本陣を出発して旧中山道をしばらく歩き、碓井川の土手沿いを走る国道18号に合流した先に、江戸日本橋より28番目になる藤塚の一里塚に着いた。
28里ってどれくらいの距離だったかなと思い計算してみる。3.927km×28里=109.9kmだから、約110km。そんなにも歩いてきたのか。私、凄いかも。
ここは群馬県内に残る唯一の一里塚であり、片方の塚と巨木が残されている。塚に植えられている木は樹齢400年と言われるムクノキ。400年前であれば江戸時代初期になるので、中山道が造られた当初からこの場所に存在している事になる。

中山道28番目 藤塚の一里塚(群馬県高崎市上豊岡町)
中山道28番目 藤塚の一里塚(群馬県高崎市上豊岡町)

旧中山道は脇道へと入ると、江戸より15番目の宿場である板鼻宿に到着する。
板鼻宿は旅籠が54軒もある大きな宿場。宿場が賑わったのは、宿場の先に流れる碓井川が大雨が続くと渡れなり、宿場に泊まるしかなかったからでもあるが、それに加えて、手前の宿場が城下町である高崎宿だった為、何かと規制があり堅苦しさを感じる高崎宿を通りすぎて板鼻宿で宿泊する旅人が多かったとも言われている。

明治に入ってからは信越本線や道路が整備されている。鉄道は宿場町を縫うように整備されているが、ここでは宿場から離れた場所に線路が造られている。不自然に曲がっている線路の形を地図で見ると、線路が作れない地形の影響があったのか、当時の宿場の人々が鉄道建設に反対をしたのかもしれない。人や物の移動が歩く旅から鉄道に変わると共に、衰退してしまった宿場は他にもある。街道歩きの旅をしていると、このような宿場はそれはそれで風情がある。旧中山道沿いに古い民家が残る落ち着いた街並みを歩いて行く。

双体道祖神 1792年造立:台座が道標でもあるが、江戸まで21里半と書かれていると説明版にあるが、実際には28里半と思われる。(群馬県安中市板鼻)
双体道祖神 1792年造立:台座が道標でもあるが、江戸まで21里半と書かれていると説明版にあるが、実際には28里半と思われる。(群馬県安中市板鼻)

街道沿いにある公民館の前に板鼻宿本陣跡と書かれている木柱があった。本陣建物が残っていないのは残念でもあるが、幕末に皇女和宮が将軍家に降嫁の際に板鼻宿で宿泊しており、その時に滞在された本陣建物に付属した書院は公民館の奥に移転されて残っている。皇女和宮降嫁の行列は合計2万5千人、長さが54kmもあったとされる想像もできない規模であった。

街道を歩いていると、宿場内に立派な水路が流れているのに気付く。中山道沿いの建物の裏側に沿うように流れている水路は、江戸時代初期に造られており400年以上もの間、水が流れ続けている。主に生活用水として使われていたが、現在でも水を引き込んで鯉の養殖がおこなわれている。

集落の外れにある鷹巣神社入り口に架けられている石の橋の上からの眺めが良く、こんこんと水が流れていく様子を見ていると、気持ち良い。もう少し、頑張ろうか。

板鼻堰用水路(群馬県安中市板鼻)
板鼻堰用水路(群馬県安中市板鼻)

碓井川を橋で渡り旧街道へと向かう。江戸時代には川を徒歩で渡っていたので、川の対岸より旧街道が続いているのである。

日本橋から29里(約114km)の中宿の一里塚跡にある、真新しい石碑を写真に収めたその先で、歴史を感じる庚申塔(1802年建立)があり、これも写真に収めた。

旧中山道は再び碓井川の土手に突き当たり、当時ではこのまま進んで川を渡っていいたのだろうが、今では無理である。国道18号安中バイパスにでて、先へと進む事になるけれど、今日はJR信越本線安中駅がゴールである。大通りに出ると国道18号の高架の向こうに駅が見えてきた。ホッとする。

ホッとすると、急に疲れを感じ出し、お腹も空いた。道路の向かいにマクドナルドがある。ハンバーガーが私に食べて欲しいと言っている声が聞こえるような気がするけれど、そんなことは無く、私の心の声だったりする。いや、ハンバーガーも良いけれど、歩いて汗をかいているから塩味が美味しいポテトが食べたい。
プチ贅沢をして買っちゃおうか。頑張った自分へのご褒美も、たまには良いよね。

今回歩いたコース 1日約20km

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森山わか子:ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く楽しさをお伝えしたいと思っています。

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