愛子さま節目の23歳 社会人一年目のご成長と新たな一年への期待
12月1日、愛子さまが23歳のお誕生日を迎えられる。
今年は4月に日本赤十字社にお勤めを始め、皇室の一員として本格的に公務に取り組むようになられた。
公務と仕事の両立は時間のやりくりが大変だと思うが、そのどちらにも力を注ぎ、一つひとつ丁寧に取り組まれているご様子を見ていると、国民の一人として心から応援したくなる。
もうすぐ訪れる23歳のお誕生日。愛子さまと関係の近い皇室の方々は、23歳の時、どのように過ごされ、どんな出来事と遭遇していたのか、当時のことを調べてみると、人生に大きな変化をもたらした大切な年月であったことが伝わってくる。
愛子さまにとって、この一年は、どのような節目となられたのだろうか。
◆愛子さまこの一年とご成長
今年、愛子さまが初めて出席された行事には、2月に開催された外国からの賓客を招いた宮中の昼食会、4月に催した園遊会、10月の単独地方公務などがあった。
また、愛子さまはこの一年で多くの行事にのぞまれたが、いつの時も初々しさとともに、周囲の人たちを優しく包み込んでくれるような、柔らかな笑顔を絶やさなかった。
その笑顔を見ていくと、ご経験を積み重ねるごとに、少しずつ自信を深められているように感じる。
というのも、成年の記者会見の際に自らの短所について語り、今後の課題として挙げていたことを、克服されようとしているように思えるのだ。
「自由に伸び伸びと育ったようで、『少しマイペースな部分があるところ』だと自覚しております。また、小さい頃から人見知りのところがございますので、これから頑張って克服することができれば、と思います」(愛子さま成年の記者会見)
マイペースなところが短所というのは、少し自虐が過ぎるように感じるが、確かに愛子さまがお出ましされた時の様子を見ていると、いつも自然体で、おっとりとしたマイペースなご性格が伝わってくる。
逆にその個性こそが愛子さまを親しみやすく、注目に値する存在感を醸し出していると言えるのだから、はじめから短所でも何でもない。
そして「人見知りを克服したい」と話されたことについては、社会人となられてから、公務で出会う関係者を含め、国民とも距離を縮めて積極的に話しかけられていた。
外国からの賓客、春と秋の園遊会、那須塩原駅での触れ合いなど、にこやかに会話を弾ませて、すっかり人見知りは克服されたように見える。
それだけ成年皇族としての責任感を自覚していらっしゃるとともに、愛子さまご自身が変化することを実践した、前向きな一年と言っても過言ではないはずだ。
◆皇室の方々にとって“23歳”とは…
では、皇室の方々は今の愛子さまと同じ年齢の時、人生のどんな局面を迎えていたのだろうか?
美智子さまが、当時皇太子だった上皇さまと初めて軽井沢のテニスコートで会われたのは、1957年8月。美智子さまは10月がお誕生日なので、23歳になるおよそ2か月前のことだった。
雅子さまが、当時皇太子だった天皇陛下と初めて出会われたのは、1986年10月に来日したスペインのエレナ王女を歓迎するレセプションでのこと。雅子さまは12月生まれのため、やはり23歳になるおよそ2か月前であった。
つまり、愛子さまの現在の年齢で、すでに将来の伴侶となるお相手と出会われていたのである。もちろん出会った時点では、いずれ結婚するお相手となるとは思ってもみなかっただろうが、人生の大切な出会いは23歳になられる時にあったのだ。
愛子さまと同じ、天皇陛下の娘というお立場だった黒田清子さんの場合は、学習院大学を卒業後に就職した山階鳥類研究所に、週2回のお勤めをしながら公務にも励んでいた。
当時、清子さんは成年皇族としての役割について、記者会見の前年に起きた雲仙普賢岳の火砕流による被害に触れ、このように述べている。
「昨年の噴火による災害が起こって以来、毎日、新聞やニュースなどで雲仙について心を配っておられる両陛下の姿を拝見しておりまして、常に(被災地に)心を寄せ続けるという姿勢が皇室の有り様の根本にあるのではないかと感じました」
愛子さまも成年の記者会見で、同じような言葉を話されている。
「『国民と苦楽を共にする』ということの一つには、皇室の皆様の御活動を拝見しておりますと、『被災地に心を寄せ続ける』ということであるように思われます」
愛子さまも清子さんも、大学院への進学や留学などの道を選ばず、皇族の一員として国民の安寧のために尽くしたいという思いの強さが似ているように感じられる。
12月1日に、23歳のお誕生日を迎えられる愛子さま。今後も公務に仕事に邁進され、ほのぼのとした温かい笑顔で、人々を穏やかな気持ちにさせてくれるはずだ。
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