ロシア占領地の要衝メリトポリにレーニン像が復活。オデーサではロシア女帝像が解体間近。
戦争開始後、早々にロシア軍に占領されたザポリージャ州の自称「州都」、メリトポリ。
本来の州都は同名のザポリージャなのだが、ウクライナが死守しているために、ロシア側は「自国の領土であるザポリージャ州」の州都をメリトポリとしている。
クリミア半島につながる交通の要衝で、現在住民が塹壕を掘らされて、街自体が巨大軍事施設化されている。
そこに、レーニン像が復活した。11月上旬のことだ。
ザポリージャ当局のウラジミール・ロゴフ代表は、このボリシェビキ指導者の像の写真を数枚、ソーシャルメディアであるテレグラムに投稿した。
「7年の時を経て、ウラジーミル・レーニンの像がメリトポリの元の場所に戻ってきました」
下のツイートは、2015年に像が撤去されたときの様子だ。
ちなみに、複数のツイッター情報によると、今年の4月22日のレーニンの誕生日(1870年生まれ)に、1日だけ金色の小さいレーニン像が復活したようだ(右写真)。
左の写真は2014年に撤去されたもので、似たデザインのものを復刻して、上記の大レーニン像があった場所に設置したもよう。
大きいレーニン像は、2015年にウクライナの民族主義者によって、ウクライナの非共産化の一環として解体されたと、ロゴフ代表はテレグラムに書いている。
非共産化というのは確かにそうなのだが、ウクライナにとってはそれ以上の意味があった。
2014年のマイダン革命の流れで起こったことで、非ソ連・非ロシア化というほうが、より正しいかもしれない。
ウクライナ議会は2015年4月9日、精神的な革命をもたらす一連の4つの記念法を採択した。
内容は「すべての共産主義およびナチスのプロパガンダ」と、この二つのイデオロギーのシンボルを禁止するものである。
例えば具体的には、公共の場でソ連国歌を演奏すると、5年の懲役に処される。ナチスや共産主義体制を賛美する政党やメディアの活動を停止させることができる、などだ。
もう一つの象徴的な内容は、ソ連政権にちなんだ名前を持つ多くの地域や公道が改名され、ソ連指導者の銅像が撤去されることだ。
これは、1990年代にポーランドやバルト三国がとった措置とよく似ている。
当時ロシアはこの法律を非難し、キエフは民族主義的イデオロギーを利用して、ウクライナを「脱ソビエト化」するために「全体主義」的な方法を用いている、と批判していた。
お互い「ナチス」と呼ぶのは、この頃には既に始まっていたのだ。
ただ、大変ややこしい要素があったのも事実だ。
法律の一つは、「20世紀のウクライナ独立のための闘士」の「名誉と記憶」を保障し、彼らに法的地位を提供することを提案していた。
これが議論を呼んだのは、「ウクライナ反乱軍」のメンバーも含まれていたからだ。彼らは確かにソ連赤軍に反逆したが、戦う前にナチスに協力し、ポーランド人やユダヤ人の虐殺に加担したとのことで物議をよんだのだった。
それはさておき、当時、ウクライナでは次々とレーニン像が倒されていた。
筆者も、二番目に大きい都市ハルキウで、ウクライナで最も大きいレーニン像が倒されたときのことは覚えているし、記事に書いたことがある。
2014年9月28−29日のことだ。
(ビデオ参照。1分29秒)
現在、メリトポリの人口は、5万5000人程度だという。戦前は15万5000人ほどもいたので、約3分の1に減っている。
そしてレジスタンスの街となっていて、ロシア当局者の複数の官僚が、暗殺攻撃で死傷している。住民が塹壕を掘らされているのは、軍事上の防御の必要性だけではないかもしれない。
オデーサのエカテリーナ2世像をめぐって
一方、オデーサでは、この街を建設したとされるロシアのエカテリーナ2世(大帝とも呼ばれる)の像が問題になっている。
オデーサはもともとオスマン帝国領で、露土戦争のヤシ条約によってロシアに編入、1794年からエカテリーナ露女帝の命によって港が建設され始めたために、彼女が街の創建者とされ、銅像が建っているのだが。
この銅像は以前からウクライナ人の間で多くの議論を呼んでいて、特にロシアの侵攻後は赤いペンキでたびたび罵倒されてきた。
5月、「女帝の行動がウクライナの国家と文化に大きな損害を与えた」と訴えた嘆願書では、アメリカの同性愛ポルノ俳優ビリー・ヘリントンが、ビールのボトルを持ってバーで座っていることを記念する銅像に置き換えることを求めたものがあった。
請願書の作成者は、「ウクライナがLGBTコミュニティをサポートしているという明確なシグナル」を送るために必要であり、また「面白い(funny)」ものになるだろうと述べたという。
ヘリントンは、1990年から2018年に自動車事故で亡くなるまで、多くのゲイ・ポルノ映画に出演。日本の「ガチムチ」で有名になったという。
さらに、11月上旬には、赤い処刑頭巾をかぶり、手からロープを垂らしているのが目撃された。これは「処刑執行人」の姿だという。
地元メディアによると、10月にウクライナ人はゼレンスキー大統領に、エカテリーナ2世の記念碑を解体する案を検討するよう訴え、2万5000人の署名が添えられていたという。
そして今は、像は黒いもので覆われ、周りはボードパネルで囲われている。これは、「解体」される前の最初のステップだということだ。
この決定は、オデーサ市の市役所が最近実施したオンライン投票に基づくものだ。
オレグ・ブリンダック副市長は、「8000人ほどの有権者の半数以上が、公共スペースからモニュメントを撤去することに賛成した」と述べた。
次のステップとしては次の市議会で承認されなければならないという。
この像はもともとは1900年につくられたが、1920年にロシア革命でボリシェビキによって撤去された。現在建っているのは、再建された比較的新しいものである。
ロシアでは、今でもあちこちの街にレーニン像が建っているのだという。
プーチン大統領はレーニンを評価していない。事実上のウクライナ侵攻の演説では、レーニンに対する恨み節が満載だった。
それでも、ソ連の創始者としてレーニン像の復活が歓迎されるのなら、思想的には皇帝像は撤去されるのがふさわしいはずだが・・・そういう理屈ではないノスタルジーとカオスが、凍てつき始めた大地を覆っているのだろうか。