文科省「#教師のバトン」プロジェクトに非難殺到
今月26日、文部科学省が「#教師のバトン」という官製ハッシュタグを掲げて、学校の働き方改革の聖地であるTwitterに姿をあらわした。教員の声を、働き方改革の一助にしようという取り組みであり、週末の間に教員を中心に数多くのリアクションがわき起こった。
■働き方改革の聖地=Twitterへの参入
「#教師のバトン」プロジェクトは、2月発表の「『令和の日本型学校教育』を担う教師の人材確保・質向上プラン」をふまえて文科省が開始した、新たな「学校の働き方改革」関連施策である。
このプロジェクトの最大の特徴は、Twitterを主軸に展開されている点だ。学校の働き方改革は、教員の部活動負担の軽減を出発点にして、2016年頃から一気に議論が高まった。その情報発信の舞台となったのが、Twitterであった。
教員の苦悩の声が吹き荒れてきたTwitter空間、いわば学校の働き方改革の「聖地」に、文科省が官製ハッシュタグ「#教師のバトン」を掲げて、参入してきた。これは一大事件であり、文科省には相当な覚悟があっただろうと推察する。
プロジェクトは今月26日の公式Twitterアカウント「#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】」(@teachers_baton)の立ち上げとともに始まった。
卒業式も終わって春休みに入り、それまで忙殺されてきた教員もほんの少しだけ時間に余裕がある。見事に、教員が声をあげやすいタイミングでの始動である。実際に27日から28日の週末にTwitterでは、膨大な数のつぶやきが投稿されており、まとめサイトには約5600件のツイートが掲載されている(29日午前6時時点)。
■改革事例の共有
文部科学省のウェブサイトによると、「#教師のバトン」プロジェクトの目的は、次のとおりである。
各学校の改革事例やエピソードをTwitterなどで発信し、全国でその具体例を共有して、改革をいっそう推し進めることに狙いがある。学校の業務は「子供のため」に積み重なってきたものであり、容易には減らせない。だからこそ、実際に成功した事例の共有が、各校の決断を後押しする。
投稿は、教師や教職志願者のみにとどまらず、児童生徒や保護者、地域住民からも受け付けているという。Twitterだけではなく、noteでの投稿も推奨しており、Twitterやnoteの公開アカウントを有していない場合にも、特設フォームで意見を出すことができる。
そしてプロジェクトでは、千代田区立麹町中学校の前校長で、現在は横浜創英中学・高等学校の校長である工藤勇一氏や熊本市教育委員会教育長の遠藤洋路氏、教育研究家の妹尾昌俊氏(「文科省・教師のバトンプロジェクトは教員募集にはマイナスか?」)など、学校の働き方改革最前線の有識者56名が、「プロジェクト応援団」として活動をサポートしている。ウェブページに掲載されている56名の各有識者の氏名には、各氏のTwitterやFacebookへのリンクが貼り付けてあり、まさにSNS時代の働き方改革である。
■「所属長からの許諾等は不要」
私がとくに驚いたのは、ウェブサイトに太文字で表記されている「投稿の留意点」である。
特筆すべき事項はないように思えるかもしれないが、じつは現場の教員は、SNSでの情報発信にきわめて慎重であることをふまえて、この留意点を理解しなければならない。
教員は、インターネット上での発言には用心深い。立派な専門職でありながらも、Twitterユーザーのほぼ全員が匿名である。自分の発言が特定されると学校の関係者(管理職、同僚、子供、保護者など)から非難をあびるのではないかと、とても恐れているからだ。
だからこそ、特定の子供個人の情報を書き込まない限りは、「所属長からの許諾等は不要」で自由に語ってよいという国のお墨付きの意味は大きい。投稿者である教員には、大きな安心感が生まれる。
しかもその投稿のなかから、文科省が「広く教師や学生に知っていただきたい内容を選び、紹介」してくれるという。声をあげることの動機づけまでを用意して、文科省は教員の声の発信をサポートしてくれている。じつに手厚いサポートだ。
■悲痛な叫び、文科省への非難が殺到
さて先述のとおり、Twitterでは「#教師のバトン」プロジェクトは、現職の教員や教員志望の大学生の間に、炎上と呼んでもよいほどの反応を呼び起こしている。「#教師のバトン」で検索すると、その勢いがひと目でわかる。
検索結果を見ると、そのほとんどすべてが、ネガティブな情報である。「やりがいはあるけど、それ以上に過酷」「オススメできない仕事」「残業代もらえない」といった、教員の悲痛な叫びが並んでいる。また、「こんな取り組みで魅力は高まらない」「現場の声を聴く気があるのか」「お役所の発想」「#教師の闇バトンプロジェクト」と、文科省の取り組みそのものを非難する声も目立つ。もはや、バトンをつないではならないようにも思えてくる。
こうしたネガティブな声が集まった理由は、たんに教員が長時間労働の環境に置かれているからだけではないと、私は考える。なぜなら文科省内の戦略はともかくも、あくまで表面的な字面を追う限りは、このプロジェクトの危機意識が低いように見えてしまうからである。
■魅惑モデル/持続可能モデル
冒頭で紹介した「『令和の日本型学校教育』を担う教師の人材確保・質向上プラン」において、このプロジェクトは、「教職の魅力の向上に向けた広報の充実」の一環に位置づけられており、「発信力の高い者による広報や教職の魅力向上の機運を高めるためのサイトの設置等により、広報の充実を図る」とされている。
「魅力の向上」というフレーズをはじめとして、ウェブサイトなどには「日々奮闘する現職の教師」「教師が前向きに取り組んでいる姿を知ってもらうことが重要」とあるように、ポジティブな表現が並ぶ。各自でオリジナルなハッシュタグをつくることが提案されており、その具体例は「#校内の先生自慢」「#教師をやっていてよかったと思う瞬間」「#先生にありがとう」「#子供の担任のここが素敵!」と、ポジティブなハッシュタグが目立ち、危機感が高まるようなハッシュタグは一つも例示されていない。文科省への非難はこうした、危機意識が低い(ように見えてしまう)ことに向けられている。
「魅力の向上」を強調するような対応を、私はリスクへのリアクションの類型として「魅惑モデル」と整理している(拙稿「夏休み ネットに集まる教員の声」)。「魅惑モデル」とは、マイナスが見える化したときに、たくさんのプラスを追加するリアクションである。合計値でプラスが多くなり、あたかも事態は改善したかのように認知される。だが、マイナスは残りつづけている。
もう一つの類型が「持続可能モデル」である。これは、リスクを直視してマイナスだけを削っていく作業である。マイナスを削れば、結果的に合計値としてプラスが多くなる。ここで掲げられる目標は「魅力の向上」ではなく、「長時間労働の撲滅」である。リスクそのものが減らされるために、当該活動や組織の持続可能性は高まっていく。国がとるべき方針は、こちらのほうだ。
■文科省は学校に直接課している負荷を減らせるか
じつはいま文科省は、この持続可能モデルに該当する取り組みをみずからの裁量のなかで進めている。すなわち、文科省自身が学校に直接課している負荷を削減しようという取り組みである。
今月12日、萩生田光一文部科学大臣は中央教育審議会の総会(第128回)において、教員に10年に1度の講習を義務づけている教員免許更新制度について、抜本的な見直しを検討するよう諮問した(毎日新聞)。背景には、教員の受講上の負担や、免許失効にともなう免許保有者減の抑制がある。現場の多くの教員に長らく不評であったこの制度が抜本的に見直されることについて、現場の期待感は大きい。
教員免許更新制度の見直しは、2020年1月開催の中央教育審議会の総会(第124回)で、学校や教育委員会から「特に要望が多い事項」として文科省がその削減検討の候補にあげたものである。それが1年2か月を経て、現実に動き出した。
その他にも、「部活動」(地域への移行など)、「教育課程」(標準授業時数の削減など)、「学校向け調査」(調査設計の削減や統合など)、「学力学習状況調査」(学校にかかる負担の軽減など)も、「思い切った削減や廃止を実施」すると記されている。
これらの施策への期待も、私たちは「#教師のバトン」で文科省に伝えていけばよい。それを受け取ってもらえれば、バトンはその後もおのずとつながっていく。