【九州三国志】関ヶ原から江戸への道!人吉藩と頼房の足跡
慶長の世において、関ヶ原の戦いとその余波が、相良頼房の運命を大きく動かしました。
初めは西軍に属し、伏見城攻めなどで奮闘するも、戦局の風向きを察知した頼房と家臣の犬童頼兄は、東軍への内応を画策。
大垣城での謀殺劇を経て、家康の信任を得、人吉藩2万石を安堵されるに至ります。
その後、頼房は人吉城の改築に尽力。
さらに老母を江戸に差し出すという奇策で徳川家の信頼を得、備前刀と月俸という恩賞を授かりました。
このような機知と忠勤が、藩の安定と繁栄を築く基盤となったのです。
また、島津家との関係も特筆に値します。
頼房は家臣の縁組や祈祷で島津家と親交を深め、和解以降の良好な関係を築きました。
この融和の精神は、領内の平穏を保つ一助となったに違いありません。
その後、晩年の頼房は追善供養を命じ、かつて敵対した者たちへの敬意を示すなど、己の行いを省みる姿勢を見せました。
そして寛永13年、63歳で生涯を閉じ、家督は嫡子・頼寛に引き継がれました。
関ヶ原の激動から始まった彼の人生は、相良家の未来を切り拓く礎となったのです。