ALPS処理水の海洋放出は「正当化」されていないという主張
2023年8月22日、日本政府が東京電力福島第一原子力発電所の多核種除去設備(ALPS)処理水の海洋放出を8月24日に開始すると決定し、実施主体の東京電力に要請した。この「水」の海洋放出については長く議論が続き、地元では漁業関係者をはじめ反対の声が大きい。今回の決定に反対する団体が、8月22日、放射線防護の基本原則の観点などからオンラインで会見を開いた。その主張を紹介する。
放射線防護の基本原則「正当化」とは何か
会見を開いたのは放射線被ばくを学習する会という団体で、すでに「汚染水海洋放出は益が害を上回る(「正当化」)と証明していないので海洋放出を中止する」ように求める158団体連名の申し入れ書を岸田文雄首相に送り、同趣旨の公開質問状を原子力規制委員長、経産大臣にも送ったという。
会見では同会の温品淳一氏、黒川眞一氏(高エネルギー加速器研究機構名誉教授)の2人が発言した。温品氏は、放射線防護の基本原則には三つあるとし、その一つが「放射線防護の正当化」(残りの二つは「防護の最適化」「線量限度の適用」)であり、今回のALPS処理水の海洋放出は「正当化」されていないと主張した。
この「正当化」という言葉は、放射線を扱う行為では、それによってもたらされる利益(ベネフィット、メリット)が、それによってもたらされる害(デメリット、リスク)を上回らなければならないという意味だ。例えば、医療で用いられるCT検査による放射線被ばくの害(リスク)は、検査で得られる病気の発見という利益(メリット)よりも低いと見積もられるので、検査回数なども医師の判断を前提にして許容されている。
「正当化」は英語では「Justification」だが、IAEA(国際原子力機関)も今回のALPS処理水の海洋放出についての包括報告書(IAEA Comprehensive Report, page19、2023年7月4日)で「正当化は放射線防護の国際基準の基本原則」とし、報告書の中では「The responsibility for justifying the decision to discharge the ALPS treated water falls to the Government of Japan」(ALPS処理水を放出する決定を正当化する責任は日本政府にある)と指摘している。
会見で温品氏は、ALPS処理水の海洋放出における「正当化」、つまり利益と害を比べ、害は国内外の海産物の需要の減退、1000億円以上という処分予算、数十年という長い期間など甚大であるのに比べ、得られる利益についてはほとんど説得力のある説明はない、と言う。利益について政府と東京電力の説明では、福島第一原発の廃炉作業の進捗に支障があり、陸上でのタンクの保存にリスクがあるなどというが、海洋放出の便益と害では圧倒的に害のほうが大きい、と述べた。
また、太平洋諸島フォーラム(PIF、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニア、フィジーなど16か国・2地域が加盟する国際会議)の専門家パネル(※)が訪日してALPS処理水の海洋放出の問題について述べているが「ALPS処理水の海洋放出に関して日本政府は、福島第一原発の廃炉プロセス全体(ALPS処理水の海洋放出を含む)について正当化されるべき」という見解を出したと説明した。
温品氏は「政府と東京電力は、東日本大震災からの復興や廃炉という全体の利益を、ALPS処理水の海洋放出による害、特に海洋放出の被ばく被害という限定された個々の行為のみと比較し、漁業関係者・水産物関係者などの生業被害を無視し、海洋放出で得られる利益のほうが害よりも大きいと説明できず、『正当化』することを放棄している」と主張し、これは廃炉が正当化されれば海洋放出も正当化されるという論理であり放射線防護の基本原則からみても破綻している、とした。
G7環境大臣会合のコミュニケはなぜ誤訳されたのか
続いて発言した黒川氏は、2023年4月に北海道札幌市で開催されたG7気候・エネルギー・環境大臣会合コミュニケで発表された英文原文と日本政府による日本語訳の矛盾を指摘し、関係代名詞が意図的に解釈されたのではないかと批判した。英語原文では、福島の復興と廃炉に不可欠であるのは、ALPS処理水の海洋放出がIAEAの安全基準および国際法に整合的に実施され、人体や環境にいかなる害も及ぼさないことを意味するのに、日本語訳ではALPS処理水の海洋放出が福島の復興と廃炉に不可欠であると訳されている、と述べた。
なぜ、このような日本語訳が出てくるのかと言えば、政府と東京電力はALPS処理水の海洋放出が福島の復興と廃炉に不可欠と主張するしかないからだと言う。また、こうした日本語訳は、G7大臣会合で共有された参加各国間のコンセンサスを守っていないということになり、国際的な約束に従っていない、と主張した。さらに、廃炉は全体的な行為として正当化されているわけではないと述べた。
以上を要約すると、ALPS処理水の海洋放出は放射線防護の基本原則の一つである「正当化」のプロセスを経ていないので容認できない、ということになる。実際、なぜ海洋放出しなければ廃炉作業を進めることができないのか、政府と東京電力から説得力のある説明はない。
同会では、ALPS処理水の海洋放出が始まっても途中で止めることができるので、諦めずにこれからも反対と主張し続けたいと言った。
筆者は過去に2回、福島第一原発の事故処理現場の取材に行っているが、最初に行ったのは2014年のことだ。すでにALPSが稼働し始め、地下水が原発サイトに入り込むことを防ぐための凍土壁の工事が始まろうとしていた。
当時、取材を受けた福島第一廃炉推進カンパニーの担当者は、すでに汚染水の処理がコストの大部分を占めると述べた。そして、そのときも「汚染水は飲んでも大丈夫」と説明していたのを覚えている。
ただその後、政府・東電は、約10年も汚染水が増え続けるまま、手をこまねいてタンクの設置余地がなくなるのを待っていたのではないか。海洋放出以外の案を真剣に検討した形跡はなく、どうしようもなくなる時期を待っていたと思われても仕方ない。
溜まり続ける汚染水を将来的にどうするのか。2014年の取材時に受けた印象では「海に放出したい」という願望が、口にはしないがにじみ出ていたように感じた。その頃から「海洋放出ありき」で進めてきたと思われる今回の決定だが、そこに果たして「正当性」があるのか、「正当化」という言葉の意味を含めて考え続けていきたい。
※:太平洋諸島フォーラムの技術ミッションは、ALPS処理水の海洋放出の問題に関して太平洋諸国と日本との協議を支援している原子力問題の世界的な専門家パネル5人(ウッズホール海洋研究所の上級科学者兼海洋学者ケン・ブッセラー博士、エネルギー・環境研究所代表アージャン・マキジャニ博士、アデレード大学放射線研究・教育・イノベーションセンター准教授兼所長アントニー・フッカー博士、モントレー・ミドルベリー国際問題研究所ジェームズ・マーティン不拡散研究センター研究員兼非常勤教授フェレンク・ダルノキヴェレス博士、ハワイ大学マノア校ケワロ海洋研究所教授・所長ロバート・H・リッチモンド博士)のうち3人で構成されている。