【富田林市】すばるホールの途中にある、登録有形文化財の川西小学校木造校舎を改めて見てみました。
先月すばるホールで行われていた戦争展。そこで知ったことのひとつとして、富田林では空襲の被害が殆どなかったということが紹介されていました。
そのため、富田林では戦前より前からの文化財や建物が多く残されています。登録有形文化財となっている川西小学校の木造校舎も、それで残った文化財のひとつです。
場所は川西小学校の学校内にあり、すばるホールに行く途中にあります。そのためこの辺りは何度も通るのに、最近までその存在に気づきませんでした。側にある錦織神社の方が目立っていたことと、学校内は非公開になっているからと考えられます。
というわけで、先日ようやく存在を知ったので、すばるホールに行く途中に立ち止まって木造校舎を覗いてみることにしました。
この信号の位置からだと、中にそんな建物があるとは本当にわかりませんでした。正直なところ、まだまだ周辺には古い建物が多く残っているので、その中のひとつくらいにしか思っていなかったというのが本当のところです。
上にも書きましたが、木造校舎は学校の敷地内にあります。調べると昔は比較的自由に出入りできていた事もあったそうですが、今はいろいろと問題が多いため、学校内に見知らぬ人は入れないようになっています。そのため、門の外から眺めることしかできません。
しかし、門の外からでも十分木造建築の様子が見ることができました。この建物について調べてみると、正式には「市立川西小学校教育歴史資料室」というそうです。
川西小学校は1893(明治26)年に岬尋常小学校として設立され、その8年後の1901(明治34)年に川西尋常小学校という名前となって、現在地に移転してきました。
しかし、この建物が明治時代のものかと思っていたらそうではありません。
1934(昭和9)年に、室戸台風で当時の校舎はすべて倒壊してしまいます。その翌年に村人が協力して建てたのが、この木造校舎だったそうです。
木造校舎は1985(昭和60)年ごろまで4つの教室と職員室として実際に使われていました。
木造校舎を見ると、小さな像が見えます。戦前の小学校にある像といえば、、、。
こちらです。二宮金次郎(尊徳)さんですね。金次郎は14歳の時に父が亡くなったので、早朝に薪を拾い、昼は田畑で働き、夜はわらじを作りながら家族を支えていました。
「百姓も知恵や知識が必要だ」と考えた金次郎は、薪を背負いながら本を読んで(暗唱して)学んだそうです。
その結果、知識を得た金次郎は、大人になって実家を再興して自らが大地主になるだけでなく、さらに小田原藩の家老だった服部家の悪化していた財政を4年で、また600以上の村も立てなおししました。
今の小学校では二宮金次郎の像を見かけることは殆どないと思いますが、戦前からある木造建築の校舎だからあったわけですね。
ちなみに木造校舎の建築面積は161平方メートルの木造平屋瓦葺きで、登録有形文化財には2001年11月20日に登録されたそうです。
というわけですばるホールに行く途中に少し立ち寄って、木造校舎を見学しました。ちょうど学校の門から角度を変えると現在の川西小学校の校舎や校庭の様子が見えました。
二宮金次郎の像も「歩きながら本を読んでいる」「歩きスマホを連想する」ということで撤去されているところも多いそうですが、校舎とともにここの像はずっと残してほしいなと思いました。
富田林市立川西小学校教育歴史資料室
住所:大阪府富田林市新家1-3-1
アクセス:近鉄川西駅から徒歩4分
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