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【戦国こぼれ話】豊臣秀吉の最期は失禁して愚かなことを口走るなど、悲惨なものだった

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
天下人・豊臣秀吉の最期は、あまりに悲惨なものだった。(提供:アフロ)

 今年も多くの著名人が亡くなった。ところで、豊臣秀吉の最期は、失禁して愚かしいことを口走るなど、あまりに悲惨だったことはご存じだろうか。以下、その真相を探ることにしよう。

■死の直前の豊臣秀吉

 豊臣秀吉は死の2週間前の慶長3年(1598)8月5日、遺言として「豊臣秀吉遺言覚書」を残した(「早稲田大学図書館所蔵文書」)。もはや、長くないことを悟ったのだろう。

 遺言のなかで重要なのは、徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家を五大老のメンバーに確定したことである。

 次に、家康を伏見城に置き、関東に下向させないことにより、その動きを封じようとした。

 五奉行の前田玄以と長束正家は、家康の監視役と考えてよいであろう。秀忠が家康の名代的な位置にあることは、注目される。

 秀吉はその死に際しても、徳川家がもっとも頼りになることを痛感したようだ。

 さらに秀吉が五大老の面々に対して、まだ幼かった秀頼を支えるように遺言状を残したことはあまりに有名である(「毛利家文書」)。

 秀吉は五大老に対し、秀頼が一人前に成長するまで、しっかり支えて欲しいと懇願し、これ以外に思い残すことはないとまで書き記した。

 有力な縁者がいなかった秀吉は、政権の有力者にすがるしか手がなかったのだ。

 さらに、追而書(追伸)の部分では、「配下の五奉行(浅野長政、前田玄以、石田三成、増田長盛、長束正家)たちにも(秀頼を守り立てるよう)申し付けてある」とまで述べている。

 かなりしつこいといえるが、同時に涙ぐましさを感じざるをえない。

■病状の悪化

 秀吉の病状が悪化したのは、慶長3年(1598)6月のことであった(「多田厚隆氏所蔵文書」)。

 しばらくして朝廷では、秀吉の病が平癒することを祈願して神楽を催したほどである(『御湯殿上日記』)。

 この頃の秀吉の病状はかなり深刻で、失禁することもあったという。

 今でいうなら寝たきりの状態だった可能性もあり、認知症を患っていたのかもしれない。もはや、往時のシャープさはなかった。

 その後、平癒の祈願は各地の寺社で執り行われたが、秀吉の病が癒えることはなかった。

 秀吉が五大老や五奉行をたびたび呼び出し、後事を託し始めたのは、ちょうどこの頃からである。

 秀吉の病名は判然としないが、脳梅毒説、痢病(赤痢・疫痢の類)説、尿毒症説、脚気説などの諸説がある。

 秀頼はまだ6歳にすぎなかったので、秀吉の心中はさするに余りある。

■秀吉の悲惨な最期

 秀吉は臨終に際して、自身が所有していた茶器、名画、名刀、黄金を多くの人々に与えた(『甫庵太閤記』)。

 とりわけ有力な家康や利家には厚く、下々の者にまで贈られたという。

 秀吉の臨終に関しては、宣教師のフランシスコ・パシオの貴重な報告が残っている(ルイス・フロイス『日本史』に記録)。

 『日本史』によると、秀吉は臨終間際になっても息を吹き返し、狂乱状態になって愚かしいことをしゃべったと伝える。

 残念ながら、秀吉がしゃべった内容は不明である。秀吉が死の直前まで心配し続けたのは、秀頼の行く末であった。

 こうして、秀吉は同年8月18日に亡くなった。秀吉がもっとも恐れていたのは、五大老の1人である家康だったに違いない。

 その家康を頼りにして、死の瞬間まで秀頼を守り立てて欲しいと願ったのである。

 恐れていた人物に将来を託すのは、止むを得ないことであった。

 このように秀吉は、秀頼そして豊臣家の将来を予見して、後事を五大老や五奉行に託さざるを得なかった。

 ところが、この期待は2年後の関ヶ原合戦で見事に裏切られてしまうのである。

■まとめ

 秀吉は農民から身を起こし、一代で天下人に上り詰めた稀有な人物だった。

 しかし、秀吉には頼りになる縁者もなく、晩年は悲惨だったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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