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パリ五輪の記憶~ ウクライナの体操選手が「誇りに思う」と語ったこと

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
パリ五輪に出場したウクライナの男子体操代表オレグ・ベルニャエフ(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

2024年夏、彼はパリ五輪の体操会場であるベルシー・アリーナにいた。

オレグ・ベルニャエフ、31歳(パリ五輪時は30歳)。16年リオデジャネイロ五輪の種目別平行棒金メダリストにしてウクライナ体操界のエースだ。「リオ五輪の男子個人総合で内村航平と最後まで激しく金メダル争いを演じ、銀メダルを獲得した選手」「内村に対する紳士的な言動でも感動を呼んだ選手」と紹介するほうが分かりやすいかも知れない。

リオデジャネイロ五輪で種目別金メダルを獲得した得意の平行棒は、パリ五輪でも種目別決勝に進出した
リオデジャネイロ五輪で種目別金メダルを獲得した得意の平行棒は、パリ五輪でも種目別決勝に進出した写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

■「偉大な戦いの決勝に参加することができて誇りに思う」

パリ五輪でベルニャエフに話を聞いたのは、体操競技で最初の決勝種目となった男子団体決勝後のミックスゾーンだった。日本が最終種目の鉄棒で中国を大逆転して金メダルに輝き、会場全体がとてつもない興奮に包まれた戦いの直後だ。表彰式のためにフロアに残っている1位日本、2位中国、3位米国を除く5チームの選手たちがミックスゾーンに来るのを待ち、母国語メディアの取材を終えた後のベルニャエフを囲んだ。

「私たちのチームはとても幸せです。失敗もありましたが、チームの皆がやれることをすべてやってくれました。もちろん日本と中国のチームにお祝いをしたいと思います。偉大な戦いでした。自分もこの決勝に参加することができてとても誇りに思います」

ウクライナは団体決勝を5位という結果で終えていた。ベルニャエフは決勝で全6種目出場のフル稼働。疲れもあるだろうに、それでもさわやかな表情を浮かべていた。数々の苦難を乗り越えてたどり着いたパリの舞台を心から味わっている様子だった。

7月18日、ロシアによるウクライナ攻撃のさなか、キーウからポーランド経由でパリ五輪に向かう列車に乗車する準備をするオレグ・ベルニャエフ。首には新たなタトゥー「意志」が掘られている
7月18日、ロシアによるウクライナ攻撃のさなか、キーウからポーランド経由でパリ五輪に向かう列車に乗車する準備をするオレグ・ベルニャエフ。首には新たなタトゥー「意志」が掘られている写真:ロイター/アフロ


■21年東京五輪は出場停止、22年には「ロシア・ウクライナ戦争」が勃発

険しい道のりだった。ベルニャエフは16年リオ五輪後の18年に右肩を手術。21年には20年に受けたドーピング検査で禁止薬物の陽性反応が出たことにより4年間の出場停止の処分を受け、東京五輪には出られなかった。

出場停止処分についてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に不服を申し立てていた22年には、さらに大きな事態が勃発した。22年2月24日、ロシア軍がウクライナに武力侵攻を開始し、戦争が始まったのだ。ベルニャエフは軍の服に身を固めて戦地に赴くように見える自身の姿をSNSに投稿。オリンピックの金メダリストによるこの動画は全世界に衝撃を与えた。

一方、23年にはCASへの申し立てが一部認められて出場停止処分が2年に短縮。苦しみながらたどり着いたパリ五輪は、自身にとって2大会ぶり3度目の晴れ舞台(※ベルニャエフは18歳で12年ロンドン五輪にも出ている)だった。

■軍の友人から「グッド・ラック」と送り出された

パリ五輪のミックスゾーンでは、様々な国の記者がベルニャエフの言葉に耳を傾けた。競技の結果についての質問が一区切りすると、次は五輪前の練習についての質問に変わった。

「ここに来るまでの準備はどうだった?」

ベルニャエフは特にためらうことなく、このように説明した。

「難しい状況でした。アラームが1日に1、2回鳴るし、何度鳴るか分からない。安全な場所を確保するのは簡単ではないし、電力の問題もある。でも、私たちはできることをやってきました」

住まいのあるキーウからパリ五輪に向けて出発する時は、軍隊の友人が激励してくれたことについても語った。

「軍の友人たちは『グッド・ラック』『最良の結果になるように』と言って送り出してくれました。でもこれはスポーツです。だから、思い通りの結果にならないこともあります」

柔和な口調で質問に答えていたベルニャエフだが、ただひとつ、「今も日常的に軍の仕事をしているのですか?」という質問に対しては「それについては答えたくありません」と返答した。この時は悲しげな表情に見えた。

2016年リオデジャネイロ五輪の男子個人総合表彰式。最終種目の鉄棒で逆転されて銀メダルにとどまった悔しさを超えるスポーツマンシップの精神がベルニャエフ(右)にはあった。内村航平の肩に手を置いた
2016年リオデジャネイロ五輪の男子個人総合表彰式。最終種目の鉄棒で逆転されて銀メダルにとどまった悔しさを超えるスポーツマンシップの精神がベルニャエフ(右)にはあった。内村航平の肩に手を置いた写真:ロイター/アフロ

■「オリンピックは4年に1度、エベレストに登るような特別な大会」

それでも、オリンピックへの思いについて聞かれると再び顔がパッと明るさを取り戻した。

「オリンピックは特別な大会です。4年に1度、エベレストのような最も高い山や、月のようなところにある最も難しい大会。オリンピックに一度来ると、チャンピオンになることやメダリストになることが、どのようなことなのかが分かります」

ベルニャエフはパリ五輪で団体総合予選6種目、団体決勝6種目、個人総合6演技、あん馬および平行棒の種目別決勝に出場。合計20演技は、計21演技した中国の張博恒 ( ジャンボーヘン)に次いで2番目に多かった。ウクライナの大エースとして朋輩を引っ張った。

今回はメダルに届かなかったが、男子体操の全日程に出場して団体5位、個人総合7位、あん馬5位、平行棒8位という結果は見事のひとこと。あん馬は予選1位だった。

リオ五輪の一コマ。内村航平も「オレグ、すごいよ」と言っているように指を向ける
リオ五輪の一コマ。内村航平も「オレグ、すごいよ」と言っているように指を向ける写真:青木紘二/アフロスポーツ

パリ五輪から4カ月あまりが過ぎた今、ベルニャエフのSNSには体操競技をしている様子や子どもたちとのイベントの様子が投稿されている。しかし、戦争は依然続いている。

アスリートが競技で実力を競い合える世の中であることをパリ五輪の年の瀬に願う。

パリ五輪男子個人総合決勝の鉄棒の演技後に笑みを浮かべてお辞儀のようなしぐさをしたベルニャエフ
パリ五輪男子個人総合決勝の鉄棒の演技後に笑みを浮かべてお辞儀のようなしぐさをしたベルニャエフ写真:ロイター/アフロ


サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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