石のように硬いお菓子を発見!田舎暮らしで再注目される銀山で栄えた大森町の歴史とは
島根県を代表する世界遺産・石見銀山の周辺には、銀鉱山全盛期である当時の面影残した「大森町」という小さな町があります。
現在では大森を代表する観光名所となっており、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような古風な街並みを散策できるとして人気のエリアです。
今回は、そんな歴史の面影が感じられる大森町について見ていきましょう。
まるで石!?カチカチのお菓子を販売「有馬光栄堂」
大森町には、唯一のお菓子屋であり、200年以上続く老舗「有馬光栄堂」があります。
有馬光栄堂では、銀山で栄えた町ならではの素敵なお菓子「げたのは」と「銀山あめ」が販売中です。
・「げたのは」
「げたのは」は固さが特徴のお菓子で、黒糖の独特な香りと優しい甘味が口に広がるお菓子です。叩くと下駄で歩いたときと同じ音がするため、「げたのは」と命名されたのだとか。
現在は食べやすいように硬さが調整されていますが、当時は石のように硬い食感だったといいます。硬い食感は咀嚼回数を増加させ、少量でも満腹感を、坑道内で食事するのが難しい工夫たちの非常食や携帯食として人気でした。
・「銀山あめ」
石のような見た目をしたキャンディー「銀山あめ」のなかには大豆が含まれており、昔ながらの風味や味を楽しめます。
げたのは同様、工夫たちの非常食や携帯食となったお菓子で、作業中でも口に頬張って舐め続けられるのが人気の理由でした。
衰退と繫栄とこれから
大森町は銀生産が盛んだった時代に繫栄し、ピーク時には20万人もの住民が生活していた町です。
しかし終戦直前の1943年に石見銀山が閉山してからは人口減少が止まらず、2020年には400人となりました。
人口は減少傾向にあるものの、近年は「田舎暮らし」に影響を受けた若者世代が単身やファミリーで移住してくることも増加。
大森町も「淡水魚水族館・メダカの学校」や「児童クラブ」を設けるなど、子供たちが住みやすい地域づくりを目指しています。
新しい人たちが加わったこともあり、町内の古民家再生やアパレル、飲食、宿泊事業も戦前以来の盛り上がりをみせるなど活気あふれる大森町。
銀の時代に幕を下ろし、これからは観光産業や若者たちとともに新たな黄金時代を迎えようとしているのかもしれません。