国を盗んだ戦国時代の天才詐欺師!庶民から戦国大名にまで成り上がった「斉藤道三」紹介
戦国前期の美濃国(現・岐阜県南部)を平定する前の斉藤道三は、油屋の娘と結婚して平穏な生活を送る一般庶民でした。
しかし、とある出来事を機に武士を目指すようになり、「人を騙す才能」を開花させ出世街道を歩むことになります。
今回は、美濃のマムシと恐れられた戦国時代の天才詐欺師「斉藤道三」についてみていきましょう。
・斉藤道三の出生
斉藤道三の出自は判明していません。
通説では、浪人だった父親のもとで生まれたとされています。
そして、11歳で京都・妙覚寺へ出家。20歳で還俗(僧侶を退職)して油屋の娘と結婚し、油を売る油商人になりました。
僧侶から商人へ転身した斉藤道三は、油を一文銭の穴に通すというショーを兼ねた実演販売で大成功を納めます。しかし、この実演販売を鑑賞していた客のひとりから「素晴らしい才能だが所詮は商人の技。武芸を極めれていれば立派な武士になれただろう」と指摘されてしまうのです。
このことがキッカケとなり闘志に火が点いた斉藤道三は、一念発起して武士になることを決意。商人を引退し、武士への道を歩みはじめるのです。
・天才詐欺師の国盗(くにと)り
武士を目指した斉藤道三は妙覚寺時代のツテを利用し、美濃国守護・土岐家の家臣である長井長弘のもとで働くことになります。
そこで武芸と頭脳の高さを発揮し、土岐家当主の次男・頼芸の信頼を獲得。当時の土岐家は長男・正頼と次男・頼芸の家督問題で揉めている最中であり、斉藤道三は直属の上司である長井長弘とともに次男・頼芸をバックアップしました。
二人の後援もあり、次男・頼芸は長男・正頼を押し退けて土岐家当主の座に就きます。
そして、頼芸を当主へ導いた斉藤道三は土岐家内での高い地位を確立。いつしか直属の上司である長井長弘の存在すらも疎ましく感じるようになり、「長井長弘は長男・正頼とクーデターを企てている」と嘘の情報を流したのです。
そして、主人の許可と謀反成敗の大義名分を得た斉藤道三は事実無根の罪で長井長弘を誅殺。その後、権力に飢える獣と化した斉藤道三は土岐家を実質的に操るようになり、土岐家当主の頼芸すらも追放してしまうのです。
主人を追放して国を丸ごと盗んだ斉藤道三のウワサは瞬く間に広がり、当時「親の腹を割いて生まれてくる」という迷信が信じられていたムカデになぞらえて「美濃のマムシ」とよばれたほか、「国盗(くにと)りの名人」や「成り上がり大名」など、さまざまな異名で全国に名を轟かせたのです。
現在、岐阜城のある「岐阜公園」には斉藤道三の家紋・二頭立波が描かれた旗が掲げられているほか、同敷地内にある「岐阜市歴史博物館」内のコインロッカーには斉藤道三・織田信長・明智光秀をイメージした大迫力のイラストもあります。実は、織田信長の居城で知られる岐阜城ですが、かつては斉藤道三が居城とした難攻不落の城でもあるのです。
ぜひ、あわせて足を運んでみてください。