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日本のゴレンジャーは、どのように世界のパワーレンジャーになったのか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
今週末公開の「パワーレンジャー」のアメリカ版ポスター

“アメリカのゴレンジャー”が、まもなく日本のスクリーンでも暴れ回る。15日(土)に日本公開される「パワーレンジャー」は、1億ドル(約114億円)の予算をかけただけあって、変身や戦闘シーンだけでなく、ドラマ部分も洗練された、21世紀にふさわしい娯楽作品だ。

主人公が5人の若者というのはもちろん、彼らが戦う場所の風景など、いろいろなところに「スーパー戦隊」シリーズを思わせるところがある。それは、子供時代、 テレビ番組「Mighty Morphin Power Rangers」を見て育ったディーン・イズラライト監督が意図的にやったことだ。1993年にアメリカで放映開始した「Mighty Morphin Power Rangers」 では、顔が見える部分をアメリカの俳優が演じているため、もともと日本から来たものだと知らないで見ていた人は多い。だが、顔の見えないファイトシーンは日本の映像がそのまま使われていたことから、番組に敬意を払おうとすると、必然的に日本版を思い出させる要素が出てくるのである。

イズラライトはヨハネスブルグでこの番組に夢中になったが、今作でブラック・レンジャーを演じるルディ・リンは、中国に住んでいた時に、日本版のアクションフィギュアを持っていた。一方、フロリダ生まれのRJ・サイラー(ブルー・レンジャー)とイギリス生まれのナオミ・スコット(ピンク・レンジャー)は、しょっちゅう兄弟でパワーレンジャーごっこをやったという。それだけ多くの子供たちに影響を与えた作品に対して、当初、ハリウッドは冷たかった。「Mighty Morphin Power Rangers」は、実現までに、9年がかかっているのである。 

ついにゴーサインが出ても、製作費は自腹だった

今年3月のアメリカ公開前に、L.A.のあちこちに出た映画の看板広告で、タイトルは「Saban’s Power Rangers(サバンのパワーレンジャー)」となっており、「Saban’s(サバンの)」の部分も、しっかり大きかった。このお宝を日本で発掘し、150カ国で放映される国際的人気キャラクターに育て上げたハイム・サバンの、誇りの表れと言っていいだろう。

資産総額30億ドルのサバンは、エジプト生まれのユダヤ人。10代の時に家族と共にイスラエルに移住した。高校卒業後は従軍し、後にミュージシャン、コンサートプロモーターとなる。1983年、アメリカに移住。翌年、日本に出張した時、ホテルの部屋でテレビをつけると、たまたま「スーパー戦隊」をやっていた。子供たちが変身して違った色のスーツ姿になり、悪者を相手に闘うというこの番組に魅了されたサバンは、すぐにアジア以外での放映権を取得する。だが、アメリカに戻った後、新番組のシーズンごとに企画を売り込んでも、答はいつもノーだった。そんなことが何年も続いた後、ようやく理解者が現れる。

その人は、後発のフォックスチャンネルで子供向けの局フォックス・キッズを率いていたマーガレット・ローシュ。なんとか放映はさせてもらえることになったが、彼女の上司はこの企画に反対で、製作費はサバンが自腹で出すことになった。アクションシーンを新たに撮影しないですんだことは経費節減に役立ったが、それらのアクションがまた、アメリカの子供たちに新鮮な印象を与えることになっている。

放映開始直後から、番組は大ヒット。2年後には、関連商品だけで年間10億ドルを売り上げるまでになった。劇場用映画も、95年と97年に公開されている。2001年、ディズニーがフォックス・キッズを買収したのに伴い、パワーレンジャーの権利も移ったが、その後、ディズニーがあまり力を入れてくれないことに不満を感じたサバンは、2010年、 6,500万ドルで権利を買い戻した。そして2014年、サバンの新会社サバン・ブランズとライオンズゲートは、最新映画「パワーレンジャー」の製作を正式に発表したのである。

映画のおかげでおもちゃの売り上げが2倍近くアップ

最新映画で5人が悪と戦うのは、後半になってから。前半は、彼らが直面する、現代の若者ならではの問題が描かれる。イズラライトによると、その構想は、初期の頃からあったようだ。

「僕が読ませてもらったのが最初の脚本だとは思わない。この企画はずいぶん前からあって、脚本は何度も書き直されていたはずだから。でも、僕が読んだバージョンは、現代のティーンエイジャーが直面している問題に触れていたし、5人がパワーレンジャーになるために苦労するという部分もあった。僕はそこにピンと来たんだよ」という彼は、ほかの候補者を制して監督の座を勝ち取るために、何度もプレゼンをしている。数回目には、サバンもプレゼンの席に加わった。サバン本人に初めて会った時、「12歳の自分に、『将来、この番組を作った人と同じ部屋でお話しすることになるんだよ』と言ったら、信じないでしょうね」とイズラライトは彼に言ったという。

イズラライトによると、サバンはこの映画をとても気に入ったそうだ。シリーズ化を念頭に入れているのは映画の最後のほうでも明らかで、イズラライトも「次に関してはいろいろアイデアがある」と語っている。アメリカの観客調査は「A」と高かったが、興収が、悪くはないものの大ヒットとまでいかなかったことから、次があるかどうかはやや微妙。だが、おもちゃが爆発的に売れたことが、新たな希望を与えている。映画の公開後、アメリカで、パワーレンジャーのアクションフィギュアの売り上げは、前年同時期に比べて185%もアップしたのだ。つまり、このキャラクターは、今のアメリカの子供たちにも夢を与えるのだということ。72歳のサバンもまた、レンジャーたちに夢を託し続けるのだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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