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【逃げ上手の若君】「ラスボス」「カリスマ」足利尊氏はなぜ鎌倉幕府を裏切ったのか?

濱田浩一郎歴史家・作家

集英社の『週刊少年ジャンプ』に連載されている漫画「逃げ上手の若君」が2024年7月6日から、アニメとして放送されています。「逃げ上手の若君」の主人公は、南北朝時代の武将・北条時行(鎌倉幕府第14代執権・北条高時の子。幼名は亀寿)です。同アニメの「ラスボス」とも言える存在が、鎌倉幕府の有力御家人でありながら、幕府に叛いた武将・足利尊氏でしょう。アニメでは圧倒的なカリスマ性を持った人物として描かれています。では尊氏の幕府への裏切りは、『太平記』(鎌倉末・南北朝時代の動乱を描いた軍記物)にはどのように描かれているのでしょうか。

元弘3年(1333)、後醍醐天皇が船上山(鳥取県東伯郡)に移られ「討手」を派遣し、京都を攻撃するとの報を得た北条高時は、大軍を上洛させ、対処しようとします。大将を名越尾張守(高家)とし、北条一門以外の外様大名20人を都に遣わすことになったのですが、その中の1人に尊氏がいました。しかし、当時、尊氏は「所労」(病)であり、起居も不快な有様。そのような状態にもかかわらず、幕府(北条氏)からは上洛せよとの催促が頻りでした。尊氏が憤ったのは、その事だけではありません。尊氏の父・足利貞氏が亡くなって未だ三ヶ月も経たない悲しみの最中に、出陣せよとの矢のような催促に尊氏は「遺恨」を抱いたようです。

また、尊氏の心中には、北条氏は北条時政(初代執権。源頼朝の正室・北条政子の父)の「末孫」に過ぎない。一方、自分は「源氏累葉の貴族なり」(源氏代々の高貴な家柄)との意識もあったとのこと。そうした名門意識と、病中・喪中でありながら、頻りに出陣を催促する幕府(北条氏)に恨みを持ち、後醍醐天皇方に付くことを決意したというのが『太平記』が描く尊氏裏切りの理由でした。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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