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今必要なのはファクトチェックと事実の重視だ--ロシア国営宇宙企業総裁の発言とISSを巡る諸問題

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
Credit: NASA

国際宇宙ステーション(ISS)の維持と国際協力に関するロシア国営宇宙企業ROSCOSMOS(ロスコスモス)のドミトリー・ロゴジン総裁の発言が問題になっている。まるで、ロゴジン総裁がISSの軌道維持を行うロシアの補給船「プログレス」の存在を盾に、米国をはじめとする諸国に制裁解除を迫っているかのような趣旨のメディア記事もあるが、発言を短く切り取った見出しに安易に乗せられるべきではない。

ロシアによるウクライナ侵略が始まった直後の2022年2月25日からこれまで、ロゴジン総裁によるISSを巡る発言と各所との応答を整理する。

2月25日:ISS運用への言及を始める

ロゴジン総裁はこれまで何度かISSの高度維持と落下の可能性についてTwitterなどのSNSで挑発的な発言を繰り返している。最初の発言は2月25日のものだった。ISSに関する発言を抜粋すると次のようになる。

「そちらが協力関係を断つのであれば、誰がISSの制御されていない軌道離脱とそれに続くアメリカや欧州への落下を食い止めるのか? 500トンの構造物がインドや中国に落ちるという可能性だってある。

そのような見通しで彼らを脅威にさらすのか? ISSはロシア上空を通過しないので、リスクを引き受けるのはすべてあなた方だ。備えはできているのか?」

そうしたことは本当に起きるのか、まずはISSの高度維持と落下に関する事実の確認が必要だ。ISSが周回する高度400キロメートルの軌道にはごく薄い大気があり、大型のISSは大気抵抗によって次第にスピードが落ち、だんだんと軌道が下がっていく。高度を上げてISSの軌道を修正するには、ISSに物資を運ぶ補給船のエンジンを利用して、「リブースト(軌道修正)」を行う。

これまで、ロシアのプログレス補給船がISSの軌道修正に貢献してきた。ただし、エンジン噴射ができる補給船はプログレス以外にもある。欧州の補給船「ATV」が過去にリブースト可能だった。引退したATVに替わって、現在は米国のノースロップ・グラマンが運用する補給船「Cygnus(シグナス)」がその機能を持っている。

Credit: NASA
Credit: NASA

シグナスは、SpaceXと共にNASAのISS補給任務に採用された貨物専用の民間宇宙船だ。2022年の2月19日、改良されてリブーストが可能になったシグナスが打ち上げられ、2月21日にISSに到着した。本当に滑り込みのタイミングで間に合ったのだが、米国は自力でISSの軌道維持が可能なのだ。ロゴジン総裁の発言は、ロシア宇宙機関の長として熟知しているはずのシグナスの存在に(おそらくは意図的に)触れていない。

3月5日ごろ:ソユーズ宇宙船でのISS宇宙飛行士帰還問題が浮上

3月に入って、ISSを巡るロゴジン総裁の挑発的発言にもう一つのキーになる要素が登場した。ロスコスモスが製作しロシア国営通信RIA ノーボスチに掲載されたという動画だ。内容は実に嫌なもので、ISSのロシア部分が米欧日のセグメントから分離するというもの。ロシア部分が分離した後、米国を中心とするISSは急激に高度を下げていく。

すべてがほのめかしに満ちた動画だが、ISSの急激な高度低下と落下は印象操作といえる。シグナスのリブースト機能もある上に、そもそもISSの高度低下は徐々に起きるもので、動画のように急激なものではない。どれだけの余裕があるかという点については議論の余地があり、以前に紹介したNASAのISS退役プランで示された3年という時間は楽観的すぎるかもしれない。とはいえ、プログレスがエンジン噴射をやめれば途端にISSが落ちてくる、というようなものではない。

このときの動画で問題になったのは、ロシアの宇宙飛行士がNASAのマーク・ヴァンデハイ宇宙飛行士と別れの挨拶を交わすシーンだった。真の焦点はここにある。ヴァンデハイ宇宙飛行士は2022年3月30日、ロシアのソユーズ宇宙船でISSからカザフスタンに帰還する予定なのだ。

マーク・ヴァンデハイ宇宙飛行士は、NASA・ROSCOSMOS協力体制の元でロシアのソユーズ宇宙船で2021年4月にISSに到着した。これはNASAがソユーズ宇宙船のシートを確保することで、ISSへ宇宙飛行士を送り届ける宇宙船の選択肢が狭まらないようにするため。2011年のスペースシャトル退役以降、2020年のスペースXによるクルードラゴン運用開始まで「ソユーズ頼み」が問題になっていたが、反対にクルードラゴンしか手段がない、という状態も避けたいというNASAの意向がうかがえる。クルードラゴンと共にISSへのクルー輸送手段となるボーイングのCST-100は運用開始が遅れ、有人飛行実証は2022年の後半になると見られる。

ソユーズ MS-18でISSへ向かったヴァンデハイ宇宙飛行士はすでに300日を超えるISS長期滞在を続けている。計画では、NASAのスコット・ケリー元船長と並んで約1年間の滞在を果たし、3月30日にソユーズMS-19でカザフスタンへ帰還する予定だった。しかしロゴジン総裁の示した動画では、ヴァンデハイ宇宙飛行士がISSに残る、つまりはソユーズで帰還できないかのように見える。動画のほのめかしに怒ったスコット・ケリー船長は、「子供のようなふるまいだ」と厳しい批判の言葉をロゴジン総裁にぶつけた。ロシア語で批判を受けたためか、このときはロゴジン総裁はかなり感情的になっていたように見受けられる

3月12日ごろ:ISS軌道制御問題に再度言及

挑発から感情的な非難の応酬の後、ロゴジン総裁はもう一度、SNSでISSの制御に関して言及し始めた。Twitterに加えてロシア系のSNSであるTelegramも利用し、発言内容はやや抑えめにプログレス補給船のISSへの貢献と経済制裁への非難を述べている。さらに、「2022年3月30日、NASAのマーク・ヴァンデハイ宇宙飛行士は、ROSCOSMOSのアントン・シュカプレロフ、ピョートル・ドゥブロフ両宇宙飛行士とともにソユーズ MS-19で帰還する予定だ」と述べた。この内容だけ取り出せば、ロシアは変わらずにISS協力関係を尊重していて、問題になっているのは一方的な制裁だという主張と受け取れる。

NASA側はこれまでISSを巡る状況について踏み込んだ発言はせず、ロシアの宇宙飛行士が予定されていた宇宙実験に従事する状況を淡々と伝えるなど、挑発には乗らない姿勢を堅持している。

ヴァンデハイ宇宙飛行士の帰還は、ご本人には大変申し訳ないことだが国際宇宙ステーションの協力関係の帰結を示す焦点となってしまった。ここでロシア側がソユーズでの帰還を拒否するようなことがあれば、決裂は誰の目にも明らかになってしまう。ロゴジン総裁の発言には、たびたび「米国側の行動によってISS協力関係が損なわれる」という記述が登場する。今月末に期限が迫る中で、あくまでもISS協力関係を壊そうとしているのは米国側の意向、行動だ、と主張したいと考えられる。

3月12日のもう一つのテレグラム発言で、ロゴジン総裁はISSの飛行範囲を地図で示した。これは、2月25日の「ISSはロシア上空を通過しない」という発言にハーバード・スミソニアン天体物理学研究センターの天文学者ジョナサン・マクダウェル博士から突きつけられたファクトチェックを受けてのものだ。

マクダウェル博士は、「ISSの飛行ルートの70パーセントは海上を通過し、続いて4.1パーセントは中国、3.0パーセントはオーストラリア、2.8パーセントはロシア、1.4パーセントはカザフスタン、カナダ、ブラジル、1.2パーセントはモンゴル、1.2パーセントは米国、0.75パーセントはアルゼンチン、0.59パーセントはインド、0.57パーセントはインドネシア上空を通過する」と指摘した。

現在必要なのは、こうした冷静な事実の列挙だろう。ロゴジン総裁は「危険がもっとも少ないのがロシアだということを示しているだけだ」と矮小化しているが、一部地域とはいえロシアもISS落下の影響を受けることを承知していなかったとは考えられず、つまりはプログレスのリブースト停止によるISS落下は起きないとわかっていたはずだ。

Map Source: www.esa.int
Map Source: www.esa.int

すでにロシアは、3月始めに予定されていたイギリスとインドが出資する大規模衛星通信コンステレーション「OneWeb」の衛星打ち上げを一方的に中止し、ロシア自身の宇宙産業の価値を損なう行動をとっている。イギリスはロシアの宇宙産業に対して衛星打ち上げ保険など保険の引受を停止する制裁措置を発表しており、たとえ経済制裁に参加しない親ロシアの国が人工衛星打ち上げを計画したとしても、西側の保険が利用できないことから打ち上げビジネスがほぼ機能しない状態となっている。

ISSを巡る状況は不透明で、米国が計画していた2030年までの運用延長はかなり難しいと言わざるを得ないだろう。ただこの状況で、ロシア国営宇宙企業のトップがセンセーショナルな「ISS落下の可能性」を印象付けようとしていたのであればそこには意図があると考えるべきで、メディアが安易にそれに乗せられてはならない。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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