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大相撲名古屋場所で躍進した美ノ海の不思議な魅力「常に“死ぬかもしれない”と思って向かっていく」心意気

飯塚さきスポーツライター
「笑顔が苦手」と言いながらも笑顔で応えてくれた美ノ海(写真:すべて筆者撮影)

名古屋場所では10勝を挙げ、次の秋場所では西前頭7枚目と自身最高位で迎える木瀬部屋の美ノ海。美しい前みつさばきを武器に、小さい体ながら奮闘する彼にインタビューを行った。沖縄で生まれ育ち、中学3年から親元を離れたこれまでの土俵人生や、「先のことを見ない」そのメンタリティーなどについて深掘りしていく。

前みつが武器に 磨き方は「スパルタ」!

――先場所の名古屋では、2ケタ勝利のご活躍おめでとうございます。場所を振り返って、いかがでしたでしょうか。

「序盤で白星を取れていたのは、体力的な面でよかったです。どちらかというと後半にかけて落ちていくタイプなので、初日と千秋楽では動きも違いますので。2日目の錦木関との対戦では、自分の形で相撲を取れたかなと思います。印象的なのは13日目の大栄翔関戦。あとは負けちゃいましたけど、3日目に朝乃山と対戦できたこと。10代から一緒に戦ってきて、この歳までお互いにまわしを巻いているとも思わなかったので、印象に残りました」

――見えた課題はありましたか。

「無限にあります。まだ足りないものばかりなので。ひとつは、立ち合いでもっと低く鋭く当たれるようになりたいです」

――左前みつを取って攻めるのが得意な関取ですが、それはいつ頃からどう磨いてきた技術なのでしょうか。

「高1くらいから、ただただスパルタですね。指の骨が折れようが靱帯が切れようがやるっていう(笑)。中学生までは体が大きいほうだったんですが、高校に入って周りがどんどん大きくなって、自分はあんまり大きくならなくて、そのなかで戦うには武器が一つ必要だなと。そこで当時の監督に教わったのがスタートでした」

――相撲の研究もされてきたんですか。

「アマチュアの頃は、相手の研究をしていました。相手に合わせる相撲というか、相手の弱点を攻める。例えば、僕は左前みつが得意だけど、相手が右前みつを取られているのを見たら右前みつを攻めるというふうに、勝率が高いところに勝負をかけていました。当時は、とにかく仲間のために、団体戦で勝ちたかった。でも、プロに入ってそのモチベーションはなくなったので、今度は自分の相撲の研究をしてみようかなと。いまは相手の研究はしていません。やっぱり自分の形で取ったほうが強くなれるなと思うようになったからです」

相撲は「仕事」 相撲一家に生まれて

――これまでの土俵人生についてもお聞かせください。叔父さんは日本大学相撲部の監督、弟さんも元力士(木﨑海)といった相撲一家で育ち、お兄さんと一緒にお相撲を始めたそうですが、小さい頃はどんな気持ちでしたか。

「正直、やりたくないし、辞めたくてしょうがなかったです。“一族”って言われるのも嫌でした。僕自身は弱かったので、周りから勝手に期待されて勝手に落胆される。だから辞めたかったんです」

――気持ちが変わったのはいつ頃ですか。

「小中学生の頃から強化指定選手になっていて、どうせやるなら家から出ようと思ったのが、14、15歳くらいの頃ですかね。それで、中3から沖縄の家を出て鳥取へ行きました」

――その後、鳥取城北高校、日本大学を経てプロへ。最初は入門も考えていなかったそうですが、プロ入りのきっかけは。

「高校の頃から、大相撲にはまったく興味なかったんです。横綱・大関が誰かくらいしか知らないし、十両なんていうのがあるのも知らない。でも、電力会社で働いている兄が奨学金の保証人になってくれて大学まで通えたので、そのお金を返すために、自分がお金を稼ぐ能力は相撲しかない。つまり、あこがれて入ってきたのではなく、現実的な話で申し訳ないんですけど、そういう流れです。いまも、相撲は“仕事”と思っています」

稽古場では基礎を重点的に行った後、筋トレにも励む
稽古場では基礎を重点的に行った後、筋トレにも励む

――ちなみに木瀬部屋を選んだ理由は。

「僕は体も小さく、声をかけられるような選手でもなかったんでしょうけど、ずっとプロには行かないと言っていたので、声をかけられませんでした。そのなかで、なぜか声をかけてくれたのがいまの師匠でした。たぶん、僕がプロへは行かないっていう情報がきちんと入っていなかったんでしょうね(笑)。師匠のおかげで、のびのびできています」

――ご家族への恩返しもできて、素晴らしいですね。プロになって、現在はどんな目標を目指していますか。

「若いときから、どういう力士になりたいとかっていうのは正直ないんですけど、実は豪栄道関の相撲が好きで、真似しています。目指しているかと言われれば相撲の形は微妙に違うんですけどね。あとは、27歳のときに一度ケガを経験してから、先のことを見ていないんです。常に、“死ぬかもしれない”と思って向かっていく。その辺を歩いているだけより、死ぬ確率が100倍上がる場所に立っているという自覚をなくしたらダメだなと思うし、それがなくなったときは引き際だと思います」

――先のことを見ない。いまというこの瞬間の積み重ねで生きていらっしゃるんですね。

「終わって振り返ったらあの相撲がよかった、とかはありますが、先のことを予想するのが苦手で。もちろん、勝ち越したいとか結びで取ってみたいとか、そういう気持ちはありますけど、明日の相手のことを考えていたら目の前の相手に勝てないというか。次があると思って土俵に立つって、ぬるいですよね。集中力を出し切るために、たぶん自然と頭がそう考えるようになっていったんだと思います」

――メンタリティーとしてとても興味深いお話です。

「ネガティブすぎませんか?あんまりあこがれられるタイプではないので(笑)」

――いえいえそんなことないですよ(笑)。面白かったです。ありがとうございました。

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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