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イスラーム過激派:「イスラーム国」は同じ失敗を繰り返す

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:アフロ)

 2024年7月15日夕刻、アラビア半島の東南端に位置するオマーン首都マスカトのワーディー・カビール地区にあるモスクが襲撃され多数が死傷した。この事件、襲撃されたのがシーア派のモスクで、しかもシーア派にとっては最重要の祝祭の一つの「アーシューラー」(注:預言者ムハンマドの孫でシーア派にとってはイスラーム共同体の指導者であるフサインが殉教した命日)のために信徒たちが集まっていたところだった点で重要である。というのも、オマーンは近隣諸国の紛争や治安悪化とは縁遠い治安の良い国として知られており、そんなオマーンで宗教・宗派を背景とする襲撃事件が発生したとすれば、それなりに大ごととして観察しなくてはならなくなるからだ。ここで目を向けるべきはまずイスラーム過激派ということになろうが、イスラーム過激派の観察での筆者の乏しい知識と経験の中では、2005年にUAEに寄港するアメリカ軍の艦船や関連施設などを問題視して「UAEとオマーンのアル=カーイダ」なる変な名義で脅迫声明が出回った以外、イスラーム過激派がオマーンを主要なネタにした記憶がない。

 そうした状況の中、視聴者の期待(?)に応えてくれたのが「イスラーム国」だった。7月16日に、「イスラーム国 オマーン」名義の犯行声明と、自称通信社「アアマーク」による短信、襲撃の模様と称する動画が出回った。これらによると、特攻要員3人がラーフィダの神殿付近(注:ラーフィダはシーア派の蔑称。「イスラーム国」とそのファンにとってはシーア派の礼拝所はモスクではない)でラーフィダの集団を襲撃し、駆けつけた背教オマーン治安部隊(注:「イスラーム国」とそのファンにとっては自分たちと異なる解釈・実践をする者はイスラーム教徒でも背教者扱いとなる)と交戦したそうだ。襲撃・戦闘の結果、ラーフィダ少なくとも30人と将校を含むオマーンの治安部隊要員5人を殺傷したらしい。翌17日には、襲撃犯3人が襲撃はイラク、シャーム(注:「イスラーム国」とそのファンの頭の中ではシリア・アラブ共和国の領域を指す)、イエメンの囚人のための復讐で、ラーフィダと戦うべきだと主張する動画も「アアマーク」名義で出回った。また、18日付の週刊の機関誌(452号)には、この事件を主題とする論説が掲載され、イラク、シャーム、レバノン、イエメンのラーフィダやパレスチナ、世界各地のユダヤを攻撃するよう扇動した。

 「イスラーム国」の観察をアクセス数や原稿料稼ぎでやるのなら、この場面は従来治安が良かったオマーンにまで「イスラーム国」が拡散し、同派の拡大やその思想(注:そんなものが本当にあればの話だが)の蔓延を防ぐ術はない、とでもコメントしておけば仕事をしたつもりになって満足できるだろう。しかし、状況はそんな単純でも簡単でもない。世界各地で発生している(はずの)「イスラーム国」の戦果とされる単発・単独の襲撃事件、実は「イスラーム国」自身がそれらの実行者とは事前に何の接触もないと何度も宣言してくれている。つまり、組織の拡大や構成員の増加という観点からは、世界中で「イスラーム国」の戦果発表がいくら増えようとも、たいていの場合それはただの真似事であり、せいぜい共鳴犯と呼ぶべき通り魔事件だ。では、襲撃の実行犯が「イスラーム国」の自称カリフに忠誠を表明すれば、彼らはそれでめでたく「カリフの兵士」になることができるのだろうか?こちらもやはり状況はそんなに単純ではない。というのも、少し前の「イスラーム国」の週刊機関誌(450号)には、セルビアでのイスラエル大使館襲撃事件やダゲスタンでのキリスト教教会やユダヤ教の宗教施設を含む襲撃事件を「自派の戦果と認定しない」と表明するも同然の論説が掲載されている。セルビアでの件は、襲撃犯が「イスラーム国」の自称カリフに忠誠表明する動画が出回っているにもかかわらず、彼の行為は「イスラーム国」の戦果ではない扱いになるという、恐るべき(?)論説だ。忠誠表明の動画や画像の有無が、「イスラーム国」によって戦果と認定されるか否かの判断基準でない、困難な(??)時代が到来してしまったようだ。

 セルビアやダゲスタンの事件とオマーンでの事件との違いは、前者2件はユダヤ権益に対する攻撃であり、後者はシーア派に対する攻撃だという点だ。「イスラーム国」を含むイスラーム過激派が政治的・宗教的な敵対者をいかなる犠牲もいとわずに教条主義的に攻撃し続けると考えるのは正しくない。実際のところ、彼らは様々な「大人の事情」を勘案して「たいした反撃ができない程度に弱く、なおかつ攻撃対象として社会的反響を呼ぶ程度に目立つ」対象を選んで攻撃している。となると、「イスラーム国」は日ごろの脅迫や扇動とは異なり、ユダヤ権益に対する攻撃を自派の戦果として取り込むのにはあんまり積極的ではなく、シーア派に対する攻撃こそが同派にとって望ましい戦果だということになる。しかし、シーア派に対する攻撃という見地からも、今般のオマーンでの襲撃事件は「イスラーム国」のだめさ加減の象徴みたいな事件に見える。というのも、「イスラーム国」の活動が過去最低水準に落ち込んだ2023年ですら、アーシューラーの際には「自派の作戦として」シーア派の参詣地で爆破事件を実行しているのだ。この作戦の攻撃対象は、シリアのダマスカス郊外に位置する世界中の誰もが認める著名な参詣地だったので、シリア政府やその同盟者への攻撃という政治的意義も、著名参詣地への攻撃という宗派主義的意義も、オマーンでのモスク襲撃に比べて格段に高い。また、「イスラーム国」が扇動するシーア派への敵意や憎悪なるものが本当に世界中のスンナ派ムスリムから支持されているのなら、アーシューラーの祝祭やシーア派の宗教施設への襲撃は、イラク、イラン、アフガニスタン、パキスタン、サウジアラビア、バハレーン、あるいは欧米諸国でのシーア派の集住地で頻発しなくてはならないのだが、そのような事態は発生していない。シーア派への攻撃という意味でも、オマーンでの襲撃はなんだかしょぼい。

 落ち着いて考えると、オマーンでの襲撃事件は2015年ごろにサウジやクウェイトで発生したシーア派への襲撃事件を見るような既視感がある。2015年ごろは「イスラーム国」の害悪が最盛期に達しており、まさに「イスラーム国」の拡大・拡散の脅威が喧伝されていた時期だ。「イスラーム国」の攻撃が、アラビア半島の産油国や欧米の同盟国にも及ぶという意味でも重視された行動だった。しかし、現実にはアラビア半島での「イスラーム国」の活動は短期間のうちに鎮圧され、全体的にも「イスラーム国」は急激な衰退を迎えることとなった。「イスラーム国」を含むイスラーム過激派にとってアラビア半島の産油国はヒト・モノ・カネなどの資源を調達する場所であり、そのような場所で攻勢に出ることは現地の官憲との対立を深め、資源の調達への取り締まりの強化につながる不合理な行動なのだ。2015年の時点でのアラビア半島の「イスラーム国」の活動家たちもその点は多少考えていたようで、同時期に発表された犯行声明の中には「イスラーム国」の内部にもサウジでの攻撃実行への賛否があったことをうかがわせる文書があった。産油国としては小規模だがオマーンはサウジやUEAにとって隣接する同盟国であり、アラビア半島の産油国がオマーンでの「イスラーム国」活動を重視し、自国での警戒や取り締まりを強化することも十分考えられる。その先に予想されるのは「イスラーム国」の資源調達への取り締まりの強化であり、若干盛り返しつつあるようにも見える同派の活動が再び衰退局面に入ることだ。「イスラーム国」を経営している人々は、それなりに有能な人々だ。彼らの中に、資源の調達地であるアラビア半島の産油国(と欧米諸国)での取り締まりが強化されることの弊害を理解する者がいないとは考えにくい。そのような意味で、オマーンでの襲撃事件は実は「イスラーム国」にとって喜ぶべきことではなく、取り締まり強化のきっかけになる迷惑極まりない行為ともいえる。オマーンでの襲撃事件についての犯行声明や機関誌の論説を喜んで書く者たちを横目に見ながら事件をとんでもない短慮だと頭を抱える「イスラーム国」の経営者たちの姿が思い浮かぶのも、2015年ごろと同様の感覚だ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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