Yahoo!ニュース

「グロリア」の主演は別の女優のはずだった。ジーナ・ローランズが語った、カサヴェテスとの愛の日々

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 ジーナ・ローランズが亡くなった。94歳。ここ5年ほど、アルツハイマーを患っていたという。カリフォルニア州インディアン・ウェルズの自宅で、再婚相手ロバート・フォレスト、長女アレクサンドラ・カサヴェテスに見守られて息を引き取ったとのこと。長男で映画監督のニック・カサヴェテスも、たびたび母に会いに来ていたそうだ。

 ローランズは、1930年、ウィスコンシン州生まれ。ジョン・カサヴェテスとはニューヨークの演劇学校の学生同士として知り合い、1954年に結婚。監督と女優として最高のコンビを組み、1989年に彼が亡くなるまで連れ添った。

 筆者は、2012年4月、ローランズをインタビューさせていただいている。日本でジョン・カサヴェテス特集上映が行われるということで組まれた取材で、場所はインディアン・ウェルズにあるカントリークラブ。当時81歳だった彼女は、とても上品で、ユーモアを交えつつ、興味深い話をたっぷりと聞かせてくれた。

 カサヴェテスの監督デビュー作は、1959年の「アメリカの影」。以後、彼は数多くの名作を送り出していった。だが、俳優だったカサヴェテスにとって、監督になるのは決して夢ではなかったと、ローランズは明かす。すべてはなりゆきだったのだ。

「その頃の私たちの友達は、みんな若い役者。彼らは舞台と映画がどう違うのかなどを知りたがっていたので、ボブ・フォッシーがジョンに『君はいろいろ経験してきたんだから、教えてあげなよ』と言い、そのための場所まで提供してくれたの。その部屋でジョンは役者たちと話をし、いつしかそれが即興となって、『これを撮影してみたらどうだろう』と思いついたのよ。カメラは(ニューヨークのフィルムメーカー)シャーリー・クラークが貸してくれた。彼は持っていなかったのでね。

 ジョンはひたすら撮影し、お金がなくなるとカリフォルニアに行った。お金がなくなるのはよくあることだったわね。映画作りは安い趣味とは言えないから。そこでジョンは『Johnny Staccato』というテレビ番組に出たの。とても良い番組だったけれど、彼の頭はもう監督することでいっぱいだったようよ。私はニックを生んだばかりだったので、ニューヨークにとどまり、お互いを行き来した。そんなふうに始まったの」

カサヴェテスは「グロリア」を気に入っていなかった

 ハリウッドでは、大物監督であっても自腹は切らないのが基本。だが、インディーズ映画監督の先駆けだったカサヴェテスは、自分のお金で自分の望む映画を作り続けた。

「誰かにお金を出してもらったら、その人は必ずああしろ、こうしろと言ってくる。私たちは、自分たちがやりたいことだけをやる自由が欲しかった。成功するかどうかなんて気にしなかったわ。資金が底をつくと、ジョンも、私も、他人の映画に出た。それはそれで楽しかったわよ。

 お金を集めるのは大変ではあったけれど、若いアーティストが金儲け目的以外で何かを作ろうとしていると、周囲は信じられないほど寛大になるもの。『うちの店で撮影して良いですよ』とオファーしてくれたりするのよ。私たちはしょっちゅう驚かされ、感動させられたわ。大型予算をかけ、すごい興行成績を狙っている映画だとなると、その人たちの態度も違うでしょう」

 カサヴェテスが監督し、ローランズが主演した作品の中で最も興行的に成功したのは、1980年の「グロリア」。ローランズはこの映画で2度目のオスカー候補入りを果たしている。しかし、これはスタジオ映画。雇われ脚本家だったカサヴェテスは、気に入っていなかったらしい。

「お金がなくなった時、彼は他人のために脚本を書くということもした。あの映画で彼がもらったギャラは、かなり良かったわ。実は、あれはある人気女優のために書かれた作品なの。その女優がやりたくないと言ったと聞いて、私は驚いた。すごく美味しい役なのに。美しい女優さんだったから、お母さんっぽいあのキャラクターには抵抗があったのかもしれない。彼女のファンも喜ばないでしょうし。

 スタジオは、あの脚本をとても気に入ってくれた。でも、ジョンは、『これはただのファンタジーだよ。ばからしい話だ』と言っていたわ。そんな彼を私は説得し、彼は監督も務めて、すばらしい映画にしてみせたの。それでも、彼にとっては、なんとか我慢はできるという程度で、決してお気に入りにはならなかった。私は大好きなんだけれど」

「こわれゆく女」は舞台劇として書かれた

 だが、ローランズが人生で一番気に入っている出演作は、「こわれゆく女」だ。

「ジョンはもともとあれを舞台劇用に書いたの。(主演女優の立場で)読んで、私は『これを毎晩やるなんて無理。死んじゃうわ』と言ったわ。あまりに精神的に大変な役だからよ。数日後に彼が書き直してきたものを読んでも、私は、『私の言っている意味、わかってもらえなかったみたいね。この役自体が大変なのよ』と、私より強い女優さんにやってもらうべきだと言った。私はまだ死にたくなかったのでね(笑)。すると彼は、『じゃあ映画でやるのはどうだ?』と提案してきたのよ」

「ジョンは、ジョンにしか作れない映画を作った」と、ローランズは、監督としてのカサヴェテスを褒め称える。その一方で、「すごく才能のある俳優でもあった」と、監督に夢中になるにつれて演技に興味を失ったことを、残念そうに振り返っていた。

 あの日、愛する人のことを思い出し、優しい表情を浮かべていた彼女は、今、天国でカサヴェテスと一緒にいる。久々に会ったふたりは、どんなことを語り合っているのだろうか。

 ご冥福をお祈りします。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

猿渡由紀の最近の記事