ブレンダン・フレイザーが語る日本への思い。「東京暮らしで人生が変わった」
[サウジアラビア、ジッダ]過食症に苦しむ孤独な男性を演じた「ザ・ホエール」(2022)で、昨年のオスカー主演男優賞を受賞。キャリアの大復活を成し遂げたブレンダン・フレイザーには、当然のことながら、山のように脚本が押し寄せた。
そんな中から彼が選んだのは、日本が舞台の「Rental Family(原題)」。紅海国際映画祭で行われたトークイベントの中で、フレイザーはこの新作についても思いを語った。
「日本人監督HIKARIが書き下ろした脚本で、主人公は、かつて成功したけれども落ち目になってしまった男性。長いこと日本に住んでいて、今では家族のレンタルを斡旋する会社で働き、顧客の要望に応じて、花婿だったり、恋人だったり、同僚だったりの代理を務める。家族をレンタルするなんてバカらしく聞こえるかもしれないが、東京では本当になんでもレンタルできるんだよ。この映画は、家族とは何かを問いかけてくる。それは血のつながりに限らず、たまたま出会って自分の人生に入ってくる人なのかもしれないということを」。
この作品に惹かれたのは、「これまでに見た映画や、オファーされた作品と、最もかけ離れているから」。嬉しいことに、撮影体験は期待を上回るものなった。
「東京での暮らしは、僕の人生を変えてくれたよ。本当にすばらしい街だ。美味しくない食べ物が存在しないし、撮影クルーも最高。自分なりに日本語を少しでも覚えようと努力したんだが、もう忘れちゃったから、聞かないで」。
昨年も、「ザ・ホエール」のプロモーションで来日をしている。その時にも、印象に残ることがあった。
「(日本公開は世界の中でも最後のほうだったので)その時点までに、僕はずいぶんたくさんの取材を受けてきた。それらの場ではいつも、主人公チャーリーの体型、肥満についての質問が集中した。そこを聞きたいのは理解できる。だけど、この物語はそのことについてではないんだよ。一方、日本では、ここで描かれる父と娘の関係に共感できるとよく言われた。家族に対して言いたいことがあっても、言わないことを選び、それが家族の関係に影響を与えていくのだと。日本でよくあることですごくわかると、多くの女性が言ってきてくれたんだ」
「恋のドッグファイト」(1991)で映画デビューして、33年。その間、「ジャングル・ジョージ」(1997)、「ルーニー・テューンズ:バック・イン・アクション」(2003)などコメディ、「ハムナプトラ」三部作(1999〜2008)、「センター・オブ・ジ・アース」(2008)などのアクション、「小さな命が呼ぶとき」(2010)などシリアスな作品まで、幅広く出演してきた。しかし、「ザ・ホエール」までの数年間、存在感が薄まっていたのは事実。「ザ・ホエール」の主役を射止められたのには、そこも大きかったと、フレイザーは明かす。
「ダーレン・アロノフスキー監督は、この役に、しばらく姿を見ていない俳優を求めているのだと言った。その人に、誰も予想しなかったような演技をしてもらい、再び存在を世の中に知らしめたいのだと。過去に僕は車を暴走させたり、建物にジャンプしたりなど、楽しいこと、危険なことはいろいろやってきた。だが、ここまで別の誰かになりきって生きたのは、初めてだった。この物語に出会えたことにも感謝してやまない」。
アワードシーズンの間、毎回同じ候補者たちと顔を合わせるうち、お互いへの尊敬の念と同時に緊張感も強まっていく。ついにオスカー授賞式当日になり、封筒を持ったプレゼンターが舞台に上がると、「そこに書かれているのが誰の名前でもいいから、早く封筒を開けて答を出してくれ」と思ったと、フレイザーは笑いながら振り返る。
「最初、よく聞こえなくて、自分の名前だとわかると、すごく驚いた。本当にびっくりした。僕の後ろに座っていたふたりの息子たちとその瞬間を分かち合えたのは、特別だったね」。
だが、彼が仕事に挑む姿勢は、今も変わらない。
「リスクを取り、怖いと思うことをやる。躊躇するような仕事をあえて受ける。そこから多くのことを学べるのだから。君には無理だと言われても、耳を貸してはだめ。勇気を持つことが大事だよ」。