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ニューオリンズの泥濘に沈むロック・バンド、アイヘイトゴッドが語る30年の軌跡【後編】

山崎智之音楽ライター
Eyehategod 2014 / photo by Dean Karr

2021年3月、新作アルバム『ア・ヒストリー・オブ・ノウマディック・ビヘイヴィア』を発表したニューオリンズ出身のサザン・ハードコア・ブルース・バンド、アイヘイトゴッドの30年の軌跡を辿るヒストリー・インタビュー後編。

前編記事では初期の2枚のアルバムについてヴォーカリストのマイク・IX・ウィリアムズに話してもらったが、後編では『ドープシック』(1996)以降の作品について訊いた。

<『ドープシック』(1996)>

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●アルバムを制作したとき、バンドはどのような状態でしたか?

『ドープシック』を作ったとき、俺はもう2年ぐらいニューヨークのブルックリンに住んでいたんだ。“メタル・マニアックス”って雑誌でレビュー記事なんかを書いていたよ。みんなが新しいアルバムを作りたいと言い出したんで、俺はスタジオ・セッションのたびに長距離グレイハウンド・バスに乗ってニューオリンズに戻っていた。『ドープシック』の曲はライヴで演奏していたり、シングルとして発表した曲の再レコーディングだったから、既に完成した曲が多かった。そういう意味で曲作りには苦労しなかったアルバムだったよ。

●外部プロデューサーとしてビリー・アンダーソンを起用しましたが、それはどんな経験でしたか?

外部の人間とやるのはビリーがまるっきり初めてではなくて、『テイク・アズ・ニーデッド・フォー・ペイン』でもロビンソン・ミルズというエンジニアがいたんだ。まあ、そいつは俺たちみたいなバンドの音をどうエンジニアすれば良いか判っていなかった。わざとフィードバックを出しているのに、消そうとしたりね。ビリーは俺たちのサウンドをどうミックスすればいいか判っていた。彼は数年前から友人だったんだ。スリープやニューロシス、バズオヴン、そしてもちろんメルヴィンズを手がけてきた。彼らはみんなショーを一緒にやったことがある友達だし、ぜひビリーと一緒にアルバムを作りたかった。レコーディング現場にはコロージョン・オブ・コンフォーミティのペッパー・キーナンもいたんだ。俺はミックスの現場とかにはいなかったし、彼らがどんな作業をしたかはよく知らないけど、『ドープシック』は良いアルバムだよ。誇りにしている。ただ、バンドは幾つも問題を抱えていたんだ。

●...どのような問題ですか?

バンドがレコーディングを一段落させたときに誰かが抗不安薬ザナックスを大量にスタジオに持ち込んだんだ。それで全員がキマっている状態で再レコーディングを行った。さらにレコード会社の“センチュリー・メディア”の仕事もズサンだった。CDの本来とは異なるところにチャプターの切れ目があったり、おかしなミスがあるんだ。ジミーがジョークで入れたラップみたいなトラックがそのままCDに入ってしまったりね。当時の“センチュリー・メディア”レーベルは一事が万事、そんな感じだったんだ。仕事に対するモーティベーションが高くなかった。俺自身もその頃、健康の問題があって、ミックスに立ち会えなかったりした。それで彼らとの関係が悪化していったよ。レーベルというのは、契約したバンドが“かくあるべき”という考えを持っている。でも俺たちは、それに素直に従うバンドではないんだ。それで意見が合わなくなっていた。でも、その後に担当者が変わったんだ。そうしたらすべてが好転して、良い関係を築くことが出来たよ。今でも“センチュリー・メディア”と良好な関係だ。

●「マイ・ネーム・イズ・ゴッド(アイ・ヘイト・ユー)」はファースト・デモ『Garden Dwarf Woman Driver』(1989)に収録されていた曲ですが、何故『ドープシック』で再レコーディングしたのですか?

うーん、どうだったかな。元々はデモの収録曲だけど、アルバムに入れたことがなかったし、ちゃんとした形でレコーディングしたかったんだと思う。確かジミーが提案してきたんだ。少なくとも、俺ではなかったよ。そういえば、この曲でも“センチュリー・メディア”がミスをしているんだ。本来、タイトルは「マイ・ネーム・イズ・ゴッド(アンド・アイ・ヘイト・ユー)」なんだよ。“アンド”が抜けてしまっているんだ。

<『コンフェデラシー・オブ・ルーインド・ライヴズ』(2000)>

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●アルバム制作時のバンドはどんな状態でしたか?

当時、俺を含め、俺の周りにはドラッグやアルコールの問題を抱えている人間が多かったんだ。まさにアルバム・タイトル通り、“崩壊した人生の連合”だったんだよ。そんな問題はずっと前からあったけど、『ドープシック』や『コンフェデラシー・オブ・ルーインド・ライヴズ』の頃には深刻なものになっていた。誰もがクリーンになろうとしていたけど、どうにもならない状態だったんだ。苦しい時期だったね。

●『ドープシック』の後、バンドが解散状態になったのもドラッグの問題によるものですか?

まあそうだけど、バンドの“解散”というのはかなり大袈裟に書き立てられたものだった。『ドープシック』を出して3年近くツアーしたんだ。とにかくツアーの連続で、ホワイト・ゾンビやパンテラともツアーしたし、ヘッドライン・ツアーもやった。それで1999年のツアー中に俺が体調を崩して、離脱せねばならなかった。バンドは俺抜きで数回のショーをやって、しばらく休みを取ることになったんだ。8ヶ月ぐらいアイヘイトゴッドとしては何もしなかった。ジミーはダウン、それからクリアライト(後のザ・ミスティック・クルー・オブ・クリアライト)というバンドをやっていたけど、他のメンバーはバンドから少し距離を置くことになった。でもその後、ライヴを再開したよ。そんな何年も解散していたわけではなかった。

●アルバム・タイトルの“コンフェデラシー”は南北戦争 (1861 - 1865)時の“アメリカ連合国 The Confederate States Of America”を意識していますか?

いや、南北戦争はまったく意識していなかったよ。確かに俺たちの住むルイジアナ州はアメリカ連合国の一部だったけど、それよりも単にconfederacy(連合)という響きがクールだと思ったんだ。友情や愛情の絆で結ばれた仲間や集合体を意味している。

●共同プロデューサーのデイヴ・フォートマンとの作業はどんなものでしたか?彼はアグリー・キッド・ジョーのギタリストで、後にエヴァネッセンスのプロデュースを手がけるなど、メジャー系の仕事が多いですね。

デイヴはすごく良い奴で、長い友人だ。デイヴがアグリー・キッド・ジョーにいたことすら知らなくて、ニューオリンズからポンチャートレイン湖を隔てたマンデヴィルにいる奴、という感覚だったんだ。十代の頃は湖の向こうなんて“あっちの世界”という感覚だったけど、パンク好きという共通の趣味で親しくなったんだよ。デイヴとジーン・ジョアネンが共同経営している “バランス・プロダクションズ”スタジオは家が近くて設備も良いし、使用料もお手頃だったから、使ってみようと考えたんだ。

●アルバム収録曲の「インフェリア・アンド・フル・オブ・アングザエティ」「0.001%」など、ハードコアやヘヴィネスよりもサウンドスケープを重視した曲もありますね。

“サウンドスケープ”という語句は一度も俺たちの会話に出てこなかったな。ただ、そういうアプローチは『テイク・アズ・ニーデッド・フォー・ペイン』の「ディスターバンス」にもあったし、決して初めて試みたものではなかったよ。“サウンドスケープ”よりも“ノイズ”に近いものだと俺は考えている。ジョーイと俺はバンドの初期から、ノイズが好きだったんだ。スロッビング・グリッスルやS.P.K....アイヘイトゴッドのアートワークも彼らから影響されているよ。『ドープシック』を作った頃かな、日本のノイズも聴くようになったんだ。マゾンナやハナタラシ、それからボアダムズもアイヘイトゴッドの音楽性に入り込んでいるかもね。「インフェリア・アンド・フル・オブ・アングザエティ」はあまりノイズっぽくないんじゃないかな?どちらかといえばブラック・フラッグのグレッグ・ギンのリード・ギターみたいな感じだよ。「0.001%」は長いフィードバックで、アルバムの付け足しみたいな感じだった。最後になって、アルバムにムードを加えるために入れたんだよ。聴く人をイラ立たせるという目的もあった(笑)。『コンフェデラシー〜』の頃、俺たちが考えていた以上にアイヘイトゴッドの音楽を気に入ってくれる人が存在すると気づいたんだ。トリビュート・アルバム『For The Sick』(2007)も出してくれた。嬉しかったよ。俺たちの曲をカヴァーしてくれる人がいるなんて凄いことだし、参加してくれたバンド達には感謝したい。ニューオリンズでボトルを投げつけられていたガキどもにしちゃ悪くないよな?もちろん突然「俺たちってクールだよな」とか天狗になったりしない。とにかく信じる音楽をやり続けるだけだよ。

<『アイヘイトゴッド』(2014)>

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●『コンフェデラシー・オブ・ルーインド・ライヴズ』から『アイヘイトゴッド』まで14年という長いブランクが空きましたが、どんなことをしていたのですか?

決して怠けていたわけではないんだよ。世界をツアーして、日本でもライヴをやった(2002年、EXTREME THE DOJO Vol.2)。ジミーがダウンで忙しい間、アウトロー・オーダーというバンドもやった。それと同時に、メンバーそれぞれが自分の人生を見つめ直す必要があったんだ。当時バンドがドラッグやアルコールに乗っ取られつつあったし、それをコントロールする必要があった。2005年にはハリケーン・カトリーナもあった。被災して、警察に捕まったり、 家が火事になったり...それだけで本を1冊書けるよ。それでも音楽を続けてきた。14年ぶりというとすごく長いあいだに思えるけど、あっという間だった。

●それまでアイヘイトゴッドのアルバムはいずれも凝ったタイトルが冠されてきましたが、『アイヘイトゴッド』をセルフ・タイトルドにしたのは何故ですか?

アルバムのドラム・トラックを録音して、6週間のヨーロッパ・ツアーを行ったんだ。最高に楽しかったけど、体力を消耗するツアーでもあった。そうしてアメリカに戻ってから、ジョーイが気管支の病気で亡くなったんだよ。彼のプレイが入った最後のアルバムを出すことにしたけど、タイトルが決まらなかった。どんな言葉も白々しく感じたんだ。だったらシンプルに『アイヘイトゴッド』にしようと考えた。ジョーイはバンドに最初からいたけど、彼がプレイするアイヘイトゴッドのアルバムは、これが最後となる。だからバンド名をタイトルにするのが自然だったんだ。

●『アイヘイトゴッド』はどんなアルバムでしょうか?

バンドの最高傑作のひとつだよ。良い曲が入っているし、俺のヴォーカルも歌詞をよりクリアに歌っていて、聴き取りやすいと思う。俺たちにとって特別なアルバムだったんだ。人生のさまざまな変化や苦労が集約されているし、これが俺たちだ。『アイヘイトゴッド』と呼ぶのがピッタリだったんだよ。

●『アイヘイトゴッド』を発表する前、2012年にシングル「ニューオリンズ・イズ・ザ・ニュー・ヴェトナム」を発表しましたが、そのタイトルにはどんな感情が込められていたのですか?

“ニューオリンズは新しいヴェトナムだ”というのがクールな表現だと思ったんだ。それだけだよ。でも「ハリケーン・カトリーナのことか?」と、大勢の人に訊かれた。カトリーナ直後のニューオリンズは略奪が行われたり、無法地帯だったからね。潜在意識下でそう考えていた可能性はある。俺はすべての曲タイトルや歌詞について自覚しているわけではない。何故このタイトルにしたんだろう?と不思議に思うものもある。「ニューオリンズ・イズ・ザ・ニュー・ヴェトナム」もそんなひとつだよ。

●2016年、あなたが肝硬変を患ったとき、フィル・アンセルモやラム・オブ・ゴッドのランディ・ブライが助っ人参加しましたが、2人とはいつ、どのようにして知り合ったのですか?

2人とも長い付き合いだ。フィルとは中学の頃から友達だった。ニューオリンズの仲間だよ。ランディは1993年頃からヴァージニア州リッチモンドで俺たちがショーをやると必ずやって来る小僧だった。トレンチコートを着て、メガネをかけてオタク臭い、変わった奴だったな。いじられキャラで、よくメンバーにからかわれていたよ。俺たちのライヴでインストゥルメンタル「ゴッドソング」をプレイして、ステージに上げて即興で叫ばせたこともあった。バンドの初期は宿代とかないから、ランディの実家の居間の床で寝かせてもらったこともある。まさかあのガキが世界のトップ・バンドのシンガーになるとは想像もしてなかったけどね!俺が入院して、ランディが代役で参加してくれたのは本当に嬉しかった。ファンにとっても貴重で楽しい経験だったと思うよ。

●『ア・ヒストリー・オブ・ノウマディック・ビヘイヴィア』の発表前、2020年にシア・テラーとのスプリット・シングルでディーヴォの「ゲイツ・オブ・スティール」をカヴァーしたのは何故ですか?

俺は1966年生まれなんだ。長いあいだこの稼業でやっているんだよ(笑)。KISSやアリス・クーパーの大ファンだったけど、11歳のときにディーヴォをテレビ番組『サタデー・ナイト・ライヴ』で見て、衝撃を受けた。他のどんなバンドとも異なった、奇妙なバンドだったよ。彼らを見て、音楽が自由な表現であることを知ったんだ。

●2001年に『10イヤーズ・オブ・アビューズ・アンド・スティル・ブローク』という、デモとライヴを収録した変則的コンピレーション盤を出しましたが、それから20年を経て、“虐待の30年、今なお金欠”という状態ですか?それともリッチになりましたか?

リッチではないけど、まあ、悪くはないかな。食っていけているよ。ゲイリー(メイダー、ベーシスト)は別の仕事をしているけど、俺は専業で暮らしているしね。とはいっても俺は一文無しのときだって仕事をしていなかった。働くのなんて大嫌いだ。今はバンドだけで暮らしていけるし、ハッピーだよ。新型コロナウィルスのせいでツアーを出来ないけど、ネット通販でマーチャンダイズもそこそこ売れている。自分たちのレーベル“テイク・アズ・ニーデッド・レコーズ”を設立したんで、いろいろリリースしていくよ。ゲイリーと俺がレーベル担当なんだ。初期のレア・トラックは過去に『Southern Discomfort』(2000)や『Preaching The 'End Time' Message』(2005)などのコンピレーション盤に収録して、あまり残っていないけど、良いものがあったら出していきたいね。これからも単発シングルを出していく。以前ブラストとのスプリット・シングルを出したし、ボストンのサイコってバンドとスプリット9インチ・シングルも出したから、それらをまとめたコンピレーション・アルバムを出してもいいかもね。

●サイコとのスプリット9インチ・シングルのジャケットは日本のバンド奇形児のシングル『奇形児』へのオマージュでしょうか?

あのジャケットはイタリアの“F.O.A.D.レコーズ”が提案してきたんだ。クリップル・バスターズのジュリオ・ザ・バスタードが友達で、 そのレーベルで働いているんだよ。ジュリオもマニアックなハードコア・ファンだし、奇形児のファンなのかもね。

●それではご健康に気をつけて、世界が元に戻ったらまた日本でツアーをして下さい!

COVID-19のせいでライヴを出来ないけど、2019年には2度も日本に行くことが出来た(3月“EXTREME THE DOJO Vol.32”、11月単独公演)。最高の経験だったし、明日にでも日本に戻りたいよ。『ア・ヒストリー・オブ・ノウマディック・ビヘイヴィア』は2020年10月に完成した、ここ数年のバンドのスナップショット、写真アルバムみたいな作品だ。新作からの曲を早くステージでプレイしたくてたまらないね。

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【アルバム紹介】

アイヘイトゴッド

『ア・ヒストリー・オブ・ノウマディック・ビヘイヴィア』

デイメア・レコーディングス DYMC363

現在発売中

【同時発売】

アイヘイトゴッド

『イン・ザ・ネーム・オブ・サファリング』DYMC364

『テイク・アズ・ニーデッド・フォー・ペイン』DYMC365

『ドープシック』DYMC366

『コンフェデラシー・オブ・ルーインド・ライヴズ』DYMC367

現在発売中

http://www.daymarerecordings.com

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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