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【河内長野市】ため池の寺ヶ池に取水塔がある理由とは。立ち寄る人も少ない取水塔前の広場に降りてみました

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野とその周辺にはいくつものため池があります。なかでも寺ヶ池は、池の完成に深い歴史があり、かんがい施設遺産として認定され、さらに池そのものが公園となっている貴重な存在。さらにあまり他のため池では見ることの無い、取水塔まであります。

寺ヶ池に取水塔がある事については昨年ふるさと歴史学習館で行われていた、「寺ヶ池 私の調べノート」という展示会で紹介されていました。取水塔の部分を引用すると次の通り。

寺ヶ池の取水塔
寺ヶ池でひときわ目立っている池の中にある塔、あれは何かなと思っている人がたくさんいるかもしれません。この塔は取水塔で、1968(昭和43)年に建てられました。このころ、河内長野市の人口が増加している最中でしたが、この前年の夏、渇水となったため、寺ヶ池の水を飲み水として利用することにし、取水施設をつくりました。しかし現在は使用されていません。

滝畑ダム
滝畑ダム

取水塔が現在使われなくなった理由として、取水塔が設置された13年後の1981(昭和56)年に滝畑ダムが完成したからと聞きました。確かに滝畑ダムのほうが水量も違いますし、それ以上に寺ヶ池は農業用水の為のものですから当然そうなるのでしょう。

それでも撤去されていないということは、推測ですが万一の水不足の為なのかもしれません。それはともかく、寺ヶ池公園に来ても意外に立ち寄らない寺ヶ池取水塔前の広場に降りてみることにしました。

広場の下で降りました。右手にベンチと取水塔が見えます。

さて、取水塔を間近で眺めてみましょう。

塔の形もデザインを意識して作られていますね。

今は使われていないので、人の往来もほとんどなさそうです。けれど、設置直後の時にはこの通路に関係者が頻繁に往来していたと考えられます。

給水塔からの管をみてみましょう。上の部分の塗装部分にはひびが入っています。完成してから300年以上枯れなかったと言われている寺ヶ池だったからこそ、取水塔を作るならこの池しかないと当時の担当者は考えたのでしょう。

広場にはベンチがあります。ここで座りながら、池に設置された取水塔をじっくりと眺めてみるのも良いですね。

という事で、寺ヶ池取水塔を眺めてきました。私も含め、普段寺ヶ池に来ていても意外に立ち寄ることの少ない場所ではという気がします。池が建造された江戸時代の偉人・中村輿次兵衛(なかむらよじべえ)さんのこととは別に、これを機会に昭和時代に水不足の解消のために設置された取水塔のことに思いをはせてみるのはいかがでしょう。

寺ヶ池公園
住所:大阪府河内長野市小山田町
アクセス:南海千代田駅から徒歩10分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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