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【河内長野市】好評につき10月末まで延長されています!寺ヶ池水路がわかる、ふるさと歴史学習館の展示

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

昨年11月26日に、寺ヶ池と寺ヶ池水路が世界かんがい施設遺産に登録されましたね。登録された後に、新たにそれを告知する幟(のぼり)が作られ、池の前とその周辺に掲げられているので、ご覧になった方もたくさんいるのではないでしょうか。

河内長野市民にとって身近なため池が世界で認められ、登録されたという事実について、お祝いするのは良いのですが、よく考えてみるといまいちその凄さがわかりにくい気がします。

寺ヶ池は数あるため池の中でもひときわ大きく、公園として整備されているので市民にとってはとても馴染みの場所ではあります。

ただそれだけではなく、江戸時代にため池を作った背景やその後のことを含めたエピソードの数々についてはまだまだ認知されていない気がします。

寺ヶ池水路
寺ヶ池水路

それでも池は見える位置にあるのでまだ良いのですが、一緒に登録された水路については、一部を除いてあまり人目に触れるところにないので、余計にイメージがつかめないのではないでしょうか?

滝畑ダムの近くから長い水路が山の中を伝って来ているらしいまではわかっていても、具体的にどのようなルートを通じているのかは、地図にも出てきません。

その寺ヶ池と寺ヶ池水路について、高向(たこう)にある、ふるさと歴史学習館で詳しく紹介する展示が行われていました。寺ヶ池の下に書かれている「私の調べ学習ノート」とは、中学生が寺ヶ池と寺ヶ池水路を調べたという展示設定だからです。

ここまで書くと、「もう終わった展示会の話を紹介して何をしているんだ!」とお叱りを受けそうですが、そうではありません。

実は、先日くろまろの郷に行った時に、このような告知を見ました。好評につき展示期間を延長したというのです。

そこで、実際にどんなものが展示されているのか気になり、見にいってきました。ちなみに延長展示期間は10月30日までです。

ふるさと歴史学習館は、道の駅くろまろの郷や花の文化園から徒歩圏内にあります。

今回の展示では、その歴史や水路など表に出ない部分も含めて紹介されています。あくまで中学生が調べたという設定になっていますが、内容はきっちり寺ヶ池と寺ヶ池水路について調べられており、見ただけでかなり勉強になりました。

こちらのパネルでは、寺ヶ池の周囲にある史跡が紹介されています。また、寺ヶ池を作ったとされる中村与治兵衛(なかむらよじべえ)についての話も、実にわかりやすく書かれていますね。

特にこの取水塔が作られた背景については初めて知りました。宅地開発のために河内長野市の人口が急増したので、1968(昭和43)年に設置。目的は飲み水です。

現在この取水塔は使われていないとのこと
現在この取水塔は使われていないとのこと

寺ヶ池の水が飲み水に使用されていたというのは今では信じられないことですが、そんな時代があったのですね。

ちなみにこの取水塔ができる前の年から滝畑ダムの着工がはじまり、1981(昭和56)年に完成しています。それからは滝畑ダムが河内長野の水がめとなったわけですね。

さらに展示コーナーでは、寺ヶ池水路がどのあたりを通っているのか詳しく説明があります。

寺ヶ池のアイリスの谷(しょうぶ園)の横から水路が出ていて、それがフェリース橋の下を通り、赤峰交差点の横から水路が延々と続いているところまでは実際に寺ヶ池公園に行けば見ることができます。

またその先も、途中までは比較的容易に行けるのです。

こちらで紹介した通り、以前、実際に寺ヶ池水路の横を歩き、赤峰トンネルの手前まで歩いていきました。

もちろんその先にもずっと水路が続いています。展示図を見ると途中からは石川と並行してルートが続いていますね。

水路の源流付近、つまり石川から水路に向かって流れていく様子が写真に収められています。手掘りのトンネルなど、江戸時代に作られた水路の痕跡は、もっと紹介して気軽に現地に行けたらと思うのですが、どうもそうはいかないようです。

ふるさと歴史学習館に常駐している担当の方の話では、この辺りにはマムシがいるので立ち入りは難しいとのこと。パネルと写真でイメージだけ楽しみましょう。

江戸時代に寺ヶ池が作られた目的は、水を田んぼに供給するためです。ではどうやって池から田んぼに水を流していたのかを紹介しているのが、こちらの尺八桶(しゃくはちひ)です。

ちなみに模型は1847(弘化4)年に描かれた「寺ヶ池桶五ツ戸前絵図」をもとに復元。池の水位にあわせて水が取れる装置です。余談ですが尺八桶は狭山池でも使われているシステムと同じなのだそうです。

また立体的な水路の地形模型もありました。こちらの方が水路の場所がわかりやすいですね。

それにしても、滝畑から川とは別に約14キロメートルもの水路を引こうと考えた中村与治兵衛さんは本当に偉人ですね。

こちらの杭木塚(くいぎつか)は、市村新田(いちむらしんでん)と小山田村で寺ヶ池の水を争ったときに用意された杭なのだそうです。水は田んぼにとっては必修で、今も水利組合がありますが、当時の水を求めての争いは想像を絶するものがあったでしょうね。

こちらの動画に、そのあたりの背景について詳しく説明しているので、興味のあるかたは是非ご覧ください。

このほかにも寺ヶ池に関する動画があります。「寺ケ池の築造と新田開発」(河内長野市立図書館YouTube歴史講座)(外部リンク)をご覧ください。

最後に担当の方が、こちらを見せてくれました。これは世界かんがい施設遺産に登録されたことを認定している物です。

担当の方が言うところによると、あまりこれを展示しているところはないとのこと。 寺ヶ池と寺ヶ池水路が世界で認められたことが、この目で確認できます。

展示物を見てから改めて寺ヶ池に行ってみました。公園として整備されている大きなため池という印象が強い寺ヶ池ですが、表には見えていない水路のことを含め、歴史ある存在であることが改めて認識できました。

寺ヶ池築堤三百五十年の記念碑
寺ヶ池築堤三百五十年の記念碑

展示延長は10月30日日曜日まで。もちろん無料ですので、奥河内くろまろの郷や花の文化園に来たついでにでも、見に行ってはいかがでしょうか?

河内長野市立ふるさと歴史学習館
住所:大阪府河内長野市高向2230-5
電話:0721-64-1560
開館時間:9:00~17:30
定休日:祝日以外の月曜日・祝日の翌日・年末年始
料金:無料 
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス、奥河内くろまろの郷バス停から徒歩7分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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