Yahoo!ニュース

「野球に夢を」:野球途上国、元甲子園球児がインドネシアにプロ野球を立ち上げる理由

阿佐智ベースボールジャーナリスト

プロ野球もキャンプインを控え、次第にファンの熱気も高まってきている。とくに今年は、シーズン前にプロ参加の国際大会、WBCが開催されるとあって、「史上最強」とも評される侍ジャパンが「世界一奪還」を果たすかに注目が集まっている。今大会は、本選出場国をこれまでの16から20に拡大して実施されるのだが、これは野球が着実に世界に広がっていることの現れだろう。

 ところで、昨年夏、東南アジアの大国、インドネシアでプロ野球が発足するというニュースが報道された。日本の独立リーグ、九州アジアリーグと連携の上、プロ野球機構をこの国で立ち上げるのだという。そのニュースの後、インドネシアプロ野球の話はどうなったのだろうか。仕掛け人である野中寿人(かずと)さんに連絡を取った。

アジア野球発展に後半生を捧げる元甲子園球児

野中寿人氏(ジャカルタにて。2018年筆者撮影)
野中寿人氏(ジャカルタにて。2018年筆者撮影)

 電話の向こうは、インドネシアではなくインド洋に浮かぶ島国スリランカだった。野中さんは現在この国で、代表監督を務めている。その一方で、インドネシアでプロ野球の立ち上げにも携わっているとあって、スリランカとインドネシアを行ったり来たりの生活を送っている。現在61歳。1979年の夏の甲子園に捕手として出場し、プロからの誘いを蹴って、日大へ進んだものの、大学では結局野球から離れることになり、卒業後は実業の世界に入った。フィリピンで成功を収め、その後インドネシアのバリ島に移住。そこで現地の人々に野球を伝える活動を始め、インドネシア代表監督も務めた、いわば「インドネシア野球の父」とでもいうべき存在だ。2018年に首都ジャカルタで行われたアジア大会では、後進に監督の座を譲り、ネット裏からその戦いぶりを見届けると、翌年にはスリランカ代表監督に就任。途上国での野球普及に尽力し続けている。

 野球人口2万とも言われているインドネシアに「プロ野球」を創るという奇想天外にも思える発想を思いついたのは、長らく現地の野球に携わってきた野中さんならではのことかもしれない。現在、西アジアカップに向けてスリランカ代表チームを指導している野中さんは、2月1日までチームを率いた後は、インドネシアに戻り、インドネシアプロ野球創設に向けて本格的に動き出すという。

「活動はもう今シーズンから始めますよ」

 という野中さんだが、野球人気が高いとは言えないインドネシアでいきなりリーグ戦は無茶というものだ。今年はまず、現地野球連盟と連携を取りながらプロ野球機構を立ち上げ、チームを1つ編成し、その強化に当たるのだという。

「現在国内の16人の選手と仮契約を結んでいます。外国人枠も設けて、これにコネクションのあるフィリピン、香港、それに私が監督をしているスリランカの選手を加え、22人から25人でチーム・インドネシアを結成します」

 

野中さんの尽力もあり、インドネシア野球は着実に進歩を遂げている。
野中さんの尽力もあり、インドネシア野球は着実に進歩を遂げている。

 このインドネシア初のプロ野球チームは、4月からジャカルタで強化練習に入り、5月にお披露目のエキシビションマッチを行いたいというのが、野中さんの青写真だ。その先には、提携を結ぶ、日本の九州アジアリーグへの参戦がある。「インドネシアプロリーグ」をいきなり始めるのではなく、まずは日本の独立リーグで武者修行を行おうというのだ。来年、2024年シーズンから参加したいというのが当面の目標だ。

「とにかく、日本の独立リーグレベルまで今年中にもっていきたいですね。そのためにアジア一円から選手を集めるのです。だから彼らは『助っ人』ではなく、将来性を見込んでの獲得です。先ほど挙げた国や地域以外にも、インド、パキスタン、ネパールでも野球は行われているのですが、まだ情報を得ていないので、なんとも言えないですね。アジア大会で対戦したタイについては、すでに日本の独立リーグ(ルートインBCリーグ)がトライアウトを実施しています」

インドネシアでは大小さまざまな大会が催されている。
インドネシアでは大小さまざまな大会が催されている。

東南アジア初のプロ野球チームの青写真 

 野中さんが野球普及度の低い東南アジアでプロ野球を始めようと思ったのは、野球人として野球にもっと夢をもって欲しかったからだという。

「プロ野球というからには、今シーズンから選手には報酬を支払いますよ。日本人が世界各国で野球の普及活動をしているけれど、野球選手のステイタスを上げていかないと、それもなかなか進みませんよ。インドネシアでも国際大会ともなれば、選手に報酬は出ます。彼らも仕事を休んで出場しますからね。でもその金額は4万円ほど。大きな大会でもせいぜい5.6万円です。まあ、人気プロスポーツのサッカーでも、ほとんどの選手は月給15万円ほどらしいのですが、そういう状態じゃ一生懸命プレーする意味がないでしょう。スリランカだとナショナルチームに入っても無報酬です。結局、野球連盟がしっかりしていないからなんですが、これがアジア地域の野球普及のネックなんです」

当面の「ホームグラウンド」になるラワマングン球場(筆者撮影)
当面の「ホームグラウンド」になるラワマングン球場(筆者撮影)

 仮契約を済ませた選手とは、2月中に順次本契約を結び、3月中にはホテルで合宿生活に入る予定だ。 

「アジア大会でもサブ球場として使った市が管轄している大学のスタジアム近くにホテルができたんですよ。決して豊かではない家の子も多いですから、彼らにとってはホテルも夢の世界でしょうね。給料は月額8万から15万円で、シーズン中だけでなく、年間通して支払います。もちろん、報酬は査定によって変わってきます」

 とは言え、当面は興行を行わない「プロ野球」。ビジネスで成功したという野中さんとはいえ、ポケットマネーで運営費を賄うことは難しいだろう。それについては、日本からスポンサーのめどをすでにつけているという。

「だいたい年5000万円くらいを見込んでいます。まだまだ試合興行で収益を挙げるというわけにはいかないと思いますから、まずは日系企業からの広告収入を柱にしていこうと考えています。奇抜な考えかと思われるでしょうが、これまでの日本の独立リーグのようなPRをしていくつもりはありません。インドネシアでも年々野球人気は上がってきています。資金が集まれば、試合の放映権を買い取ってテレビ中継を流したり、例えば、アイドルグループJKT48とタイアップしてイベントを開いて広告収入を得るようなことも構想にはあります」

満員となったアジア大会決勝のゲロラ・ブン・カルノ球場のスタンド
満員となったアジア大会決勝のゲロラ・ブン・カルノ球場のスタンド

 4年半前に開催されたアジア大会。日本からは社会人選抜による代表チームが派遣されたこの大会は、ライバルの韓国、台湾はプロも参加して参戦してきた。プロによる「ドリームチーム」で臨んだ韓国対社会人ジャパンとの決勝戦では、日本円にして4000円近いチケット代にもかかわらず、1700人収容のメインスタジアムは満員になった。その中にいた現地ファンのひとりは日本のプロ野球を常日頃からネットでチェックし、日本にも足を運ぶと言っていた。この野球熱はいまだに消えてはいない。それを消さないためにも、チーム・インドネシアの国際大会での活躍は、この国の野球人気の向上には不可欠なのだが、今回のプロ野球の創設は、インドネシア野球のレベルアップにつながることは間違いない。

その実力はナショナルチームでも「高校野球地方予選並み」と言ったところだが、東南アジア地区においてはトップレベルと言っていいだろう。
その実力はナショナルチームでも「高校野球地方予選並み」と言ったところだが、東南アジア地区においてはトップレベルと言っていいだろう。

 奇しくも今年はコロナ禍で延期となっていたアジア大会が中国・広州で開催される。前回のジャカルタでは、地元インドネシアは出場10か国中7位。この順位をひとつでも上げることが求められる。日本、韓国、台湾、中国の「ビッグ4」に続く5位が究極の目標だろう。新たに発足するプロチームには、外国人選手も参加するが、事実上の「ナショナルチーム」。9月末から10月初旬に実施される広州大会では、プロ化による強化の成果が試される。

「もちろんアジア大会は、大きな目標です。我々は、インドネシアだけでなく、アジア各国の選手の育成も使命だと思っています。アジア大会の期間中はプロチームの活動は休止して、選手を大会に参加させます。大会後、また活動を再開し、このときには、アジア大会でスカウトした選手も新たに加えたいですね」

国際大会については、インドネシア野球連盟とも協力の上、上位進出を狙っていくという。インドネシアの人口はアメリカに次ぐ世界第4位の2億7000万人。平均年齢は日本より15歳も若い32歳だ。この若き人口大国に蒔かれた野球の種は今育ちつつある。WBCの舞台に登場してくる日も遠い話ではあるまい。

若き人口大国インドネシアが「野球大国」になる日はそう遠くないかもしれない。
若き人口大国インドネシアが「野球大国」になる日はそう遠くないかもしれない。

(キャプションのない写真は野中寿人氏提供)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

阿佐智の最近の記事