【老いゆく刑務所】(3)塀の中の医療
まずは、右の写真を見ていただきたい。
一見、普通の病院の案内図。けれども、ここは「病院」ではない。刑務所だ。
医療刑務所の光景
収監されている人たちは、患者ではあっても、あくまで受刑者。それぞれの病室には、外から鍵がかけられ、医師や看護師といえども、中に入るには、刑務官に鍵を開けてもらわなければならない。
患者である受刑者たちは、みな白い「病衣」を着ている。時々、通常の刑務所と同じ緑色の作業服を着ている人たちを目にするが、彼らは刑務作業として食事作りや配食、洗濯や掃除などを行う健康な受刑者たちだ。
ここ八王子医療刑務所を私が訪れた日、中庭では、自力で歩くことができる10数人が運動中だった。運動といっても、おしゃべりしながらゆっくり散歩をする程度。ほとんどが高齢者だ。そこに、リハビリ担当の看護師、滑川文子さんが走り寄ってきて、笑顔でヘッドギアをかぶった受刑者に声をかける。ヘッドギアは、ふらつきがちな患者が倒れた時に頭を防護するためだ。
「△△さん、めまいの方はどうですか?」
「大丈夫です」
続いて、もう1人の男性に近寄る。この日、初めて杖を持たずに外に出ていた受刑者だ。
「どうですか?」
「ばっちり」
「それはよかった!」
私はその後、職員に案内され、各部屋をのぞき込みながら病棟を歩いた。ベッドに横たわる患者受刑者は、やはり高齢者が多い。
部屋の一つで、理学療法士の女性が中に声をかけていた。
「◯◯さん、行きますか」
受刑者を呼ぶ時、刑務官は名前を呼び捨てだが、医療スタッフは「さん」付けだ。
「◯◯、出ま~す」
弱々しい声で、そう応じながら、病衣姿の男性が居室を出た。2回目の服役で、罪名は強盗と聞いた。服役中に脳内出血を発症し、今も右半身が不自由。歩行器を頼りに、ゆっくりゆっくり廊下を歩く。リハビリ室に入ると、理学療法士の指導で、マットの上で屈伸運動、平行棒を使っての歩行訓練、ベンチに座って足の曲げ伸ばしなどを行う。
医療刑務所とは
医療刑務所は、精神や身体の病気や重い障害で通常の刑務所で刑務作業に従事できない受刑者を収容し、治療を行う施設で、全国に4カ所ある。八王子医療刑務所は、内科、外科、精神科など診療科目が揃い、がんなどの手術も、所内の手術室で行う。
医療部長によれば、胸部と腹部の一般的な手術は可能。
「ただ、最近流行の腹腔鏡手術はやりません。整形外科の難しい手術、心臓や頭蓋内の手術はできません。骨髄移植、臓器移植も不可能。できる限り、法務省の矯正施設の中で治療を完結することを目指していますが、ここで不可能な治療が必要な場合は、外の病院に頼らざるをえません。設備を買っても使用することが少なければ、外に出した方が安い。放射線治療も、以前は設備がありましたが、機械を更新するのに結構お金がかかり、外に出した方が安い、ということになって、今は外の病院でやっています」
受刑者は健康保険に入っていないので、費用はすべて国費で面倒を見る。医療刑務所にいる間は、刑務作業をするわけではなく、治療やリハビリに専念する毎日だ。果たして、これが「刑罰」なのかと、もやもやした思いを感じる人もいるだろう。
それに対して、八王子医療刑務所の永石聡首席矯正処遇官は、こう説明する。
「国が身柄を拘束する以上、国は受刑者の健康を守る責務を負っているわけです。それに、病気だからといって、果たすべき責任を果たさなくてもいい、ということになると、不公平が生じます。たとえば、透析患者だからといって刑務所に行かなくてもいい、ということになったらどうでしょうか。刑務所においても、透析治療はできるようにしてあるので、果たすべき責任はきちんと果たしてもらう。病気を理由に、刑を免れるということはできない、ということです」
裁判で、病気のために収監に耐えられないと主張する被告人もいる。その場合、検察官の要請で、医療刑務所の医師が「その病状なら、うちで対応できる」という趣旨の意見書を書く場合もある、という。医療刑務所の存在は、刑の公平性を支える役割も果たしていることになる。
症状が重篤となった場合、家族が身元引受人となって、刑の執行を停止し、外の病院に入院する制度もある。その場合でも、症状が改善すれば、再び収監される。「検察官は、執行停止の後の状況を追いかけていますから。10年くらい経ってから、再収監されたケースもありました」と永石さん。
医療刑務所は、受刑者が健康を取り戻し、再び元の刑務所に戻ることを目標にしている。しかし、状態が改善せず、なかなか戻れない者も少なくない。八王子医療刑務所のリハビリ病棟には在所4年以上の受刑者もいる、という。
「以前は、半年くらいリハビリしても状態が変わらなければ、一般刑務所に返していたんですが、最近は、身の回りのことを自分でできないので、返せない高齢者が多くなってきました。刑期満了までは、どこかで面倒をみなければなりませんから」(医療部長)
最期は「できれば外で……」
1人の受刑者がインタビューに応じてくれた。大原孝司さん(仮名)、年は70代。警備員の仕事をしていたが、路上で高齢の女性らの顔や頭を鉄球で殴って金品を奪う事件を繰り返したとして、強盗致傷罪で懲役20年の判決を受けた。
本人の説明によると、「女房と別れてからは一人で生活して、何とか食うだけは食えたんですけど、着るもんとかがままならず、そういうカネほしさに犯罪を犯した」とのこと。旭川刑務所に服役していたが、大腸にがんを発症。その後外部の病院で手術を受け、人工肛門を作ってもらった。しかし、症状は進んで、八王子医療刑務所へ。
かなりやせており、特にほおがこけているのが目立つ。歩くのもそろりそろりという状態だ。
――最初の症状は?
「だんだん足がしびれてきて、腰が痛くなって。階段を降りるのも辛くなって、何回も落ちたりしました」
――刑務所の医者に診てもらったの?
「そりゃあ、すぐには診てもらえませんよね。刑務所には(受刑者が)何百人もいますから。自分だけすぐ診てもらうわけにはいかない。順番です。(刑務所では)何でも順番です。ここに来るまでに、社会の病院にも入院しました」
――外の病院とここでは違う?
「全然違う。社会の一般の病院では、一般の人として診てもらえる。ここに来れば受刑者ですから。怒られることもありますよ。病院では怒られることありませんでしたけど。刑務所のしきたりを守らないと怒られます。仕方ないですよ。一人で生活してるわけじゃないから」
――事件のこと、後悔しますか?
「前はしたけど、やっちゃったことはやっちゃったことだから、今はもう、まじめに先生の言うことを聞いて、いちんちも早く帰れるようにってことだけです」
――出たら、どうします?
「出たら、83歳なんです。もちろん満期です。仮釈放もらえないことは覚悟してますから。懲罰が多いんですよ。(職員の)先生と口論したりして。83歳でも働けるところがあったら、働きたい。自分の小遣いくらい稼ぎたいな、と。年金だけじゃ生活できませんから。そして、あとは福祉で」
――そのためにも、体を治さないと……
「そうです。でも、1年1年きつくなってきました。ここでは倒れたくありませんからね。社会に出て、弟の前でゆっくり寝かしていただきたい。それまでは、がまんして頑張っていこうと思う」
――食事は?
「前はおかゆだったけど、今は普通食です。でも、量が食べられなくなった。食べないと、薬を飲むのによくないから、3分の1くらいは食べてます」
――自分の最期について考えることはありますか。
「若い時からバカなこといっぱいやってきたし、未練はありません。いつ死……ぶっ倒れてもいいように、覚悟はしてます。でも……なるたけだったら……社会に出てから、と」
「死」という言葉を避けながら、それでも淡々と答えてくれた。生きて外に出る、という希望が、彼を支えているように見えた。
だが彼は、このインタビューを受けてまもなく、容態が悪化して亡くなった。せめて最期は刑務所の外で弟に看取られて……という願いはかなわなかった。
増える刑務所での終末医療
最近の八王子医療刑務所は、大原さんのように高齢で重篤な患者の終末医療を引き受けることが多い。医療部長によれば、そうした患者の対応には、一般病院とは異なる困難がある、という。
「がん性疼痛は麻薬処方、モルヒネでなんとかなりますが、いわゆるスピリチュアルペイン*に関しては、刑務所では(患者は)かなり辛い状況で戦わざるをえない」
「死の恐怖や苦しみは、通常の緩和ケア病棟では、家族を呼び、家族の力で乗り越えることが多いわけですが、刑務所では、家族の介入がほとんど不可能。一人で死の恐怖と戦う形になる受刑者が多い。緩和の医師もがんばっているが、難しい。錯乱状態になる人もいます」
(*終末期の患者が、「自分の人生はなんだったのか」と思い詰めたり、死や死後の世界についての不安や恐怖に苦悩するなどの「魂の痛み」)
患者受刑者との接点が多い看護師は、医療刑務所での終末医療の難しさを、なおさら切実に感じている。看護師の宮澤光洋さんは、昨年6月までは一般の病院の内科病棟に勤めていた。
「外の病院であれば、他愛もない話から、今の精神状態とか、家族との関係などを推測したりしながら、看護につなげていくことが可能なんですけど、刑務所だと私的な話をするのはダメで、そういう情報収集ができないので、特に終末医療は難しい」
私語を慎む――それは、医療スタッフの間で徹底されている。
ある受刑者が、看護師の介助で食事をしている状況を見た。看護師は、おかゆとおかず数種類を、黙々とスプーンで口に運ぶ。受刑者も、ひたすら黙って食べる。食事が終わるまでの間、会話はほとんどなかった。
刑務所では、受刑者の等級によって、家族などとの面会の回数も決められている。八王子医療刑務所の場合、具合が特に悪い人の場合は、そうした制限は外れ、寝たきりの場合は、ベッドサイドでの面会もできる。
ただし、外部の人が”塀の中”に入った場合、他の受刑者との接触を避けるために、刑務所サイドは特別な警戒態勢を取る。他の受刑者を、その部屋の前を通すことも控える。そのため、食事の配食など、さまざまな作業が滞る。こうした事情があるので、ベッドサイドでの面会は、一日15~20分程度に制限されている。
このため、家族に看取られて最期を迎えることは、ほぼ不可能だ。
「ここ何年かで看取りができたのは、たまたま家族が面会に来た時に、心電図がフラットになったケースが一例あるだけ。刑務所内には、家族が待機する場所もありません。どうしても看取りを希望する場合は、執行停止を目指すのが一番現実的」(医療部長)
執行停止を求める場合は、家族が入院先を探し、費用も工面しなければならない。
残される遺骨
しかし、看取りを目指すどころか、家族から拒絶されている受刑者は少なくない。病状が悪化すると、刑務所側から連絡をするが、すぐに来てくれる家族ばかりではない。
ただ、拒絶の仕方はいろいろだ。「一切、関わりになりたくありません」とはっきり拒否する家族。あるいは「意識がなくなってからなら会ってもいい」という家族、そして「遺骨を引き取るだけなら……」という家族もいる。また、家族は会いたがっていても、受刑者自身が「さんざん迷惑をかけたので、会わせる顔がない」と面会を拒む場合もある。
「我々としては、極力家族の和解を目指します。せめて、遺骨は引き取ってもらえる関係になるように」と医療部長。
「本人が会いたくないというケースでは、意識が落ちてきて、死が迫った段階で家族に面会していただいた。家族は最期を迎えるまえに会えた、本人は恥ずかしい思いをせずに最期の時を迎えた。喧嘩別れしていた父子の場合、こちらが受刑者に説得を重ねて、やっと子供に手紙を出した。おかげで、遺骨は子供が引き取ってくれた。こうしたことは、負担といえば負担ですが、それをやらないと霊安室に遺骨がたくさん残ってしまうんですよ」
八王子医療刑務所では、昨年1年間に56人が死亡。今年は、昨年を上回るペース、とも聞いた。最近は、ここを出る受刑者の4人に1人は死亡退所という。かつては10人に1人だったそうで、やはりかなり増えている。
私がこの医療刑務所を訪ねた日の朝も、60代の男性受刑者の遺体を収めた棺が、黒い車に載せられて、刑務所を出るところだった。十二指腸がんを煩い、ここに移送されたが、すでに手遅れで手術ができる状態ではなかった、という。教誨師の僧侶を呼んで、所内の霊安室で簡素な葬儀を行い、それからの出棺となった。
刑務所の幹部らが、玄関前に並んで、丁寧に礼をして見送る。不幸中の幸いだったのは、この受刑者の親族が、遺体を引き取りに、わざわざ九州から来ていたことだ。先の大原さんも、遺骨は親族に引き取られたというから、ここで最期を迎えた人としては、まだ幸せな方だったのだろう。
親族が誰も来ない場合は、刑務所の職員のみで焼香を行い、近くの火葬場に遺体を運び、拾った骨を再び刑務所に持ち帰る。専用の棚には、引き取り手のない遺骨が並ぶ。中には、やっと遺族に遺骨を引き取りに来てもらったのに、駅のコインロッカーに置き去りにされて、再び刑務所が引き取ることになったケースもある、という。
2年を過ぎても、引き取ってもらえない遺骨は、八王子市営墓地の一角にある、無縁墓地に合葬することになる。
深刻な医師不足
受刑者の総数は2006年をピークに減っているものの、高齢化にともなって、医療の需要は高まる一方。今では3人に2人の受刑者が、何らかの病気で治療を受けている状況だ。その一方で、医師不足は深刻だ。
民間に比べて給与水準が低いことや、患者との間に信頼関係を結びにくいなど、刑務所特有の事情もあって、全国で16の刑事施設(拘置所を含む)が医師不在。矯正施設全体(少年院を含む)では、医師の定員328名のところ、4月1日現在で254名と8割を割り込んでいる。
法務省は、外部の病院との兼業を認めたり、フレックスタイム制を適用したり、さらに「一部施設を除き、平日の当直や土曜・休日の日当直はありません」「宿舎に無料で入居できます」などと、懸命に「矯正医官の魅力」をPR。人気グループEXILEのボーカルATSUSHIさんが協力して、医師募集のポスターも作った。それでも、効果は限定的。
本連載第1回でもお伝えしたように、札幌刑務所では、八方手を尽くして精神科医を募集しているが、未だに見つかっていない状態だ。そのため、必要な場合は、刑務官を3人以上付き添わせて、外の病院に連れていかなければならない。
八王子医療刑務所も、医師の定員は17人のところ、現在は11人。しかも、1人は所長なので診察業務には当たらない。実質10人で対応していて、「全然足りない」(医療部長)状態が続いている。
「でも、誰かがやらなきゃならない仕事なんですよ。誰もやらないと大変なことになる。そう思って、やる気のある人だけが残っているので、士気は低くありません」
刑務所で歯が悪くなったら…
足りないのは、内科や外科、精神科の医師だけではない。歯科医師も、需要のわりに不足している。診てもらうまでに時間がかかり、受刑者が外部の人権団体に訴えるケースもある。
たとえば、昨年7月には長野刑務所で虫歯を治療してもらうまでに5ヶ月待たされた受刑者の訴えを受けて、長野県弁護士会が再発防止と医療態勢の改善を求める勧告書を出した。待たされている間、鎮痛剤を処方されるだけで、虫歯が進行して抜歯せざるをえなかった、という。ここでは、外部の歯科医師が月に6、7回同刑務所を訪れて治療に当たっていたが、待機者が多く、申し込みから受診まで、9ヶ月も要する状態と報じられている。
ただし状況は、刑務所によっても異なる。札幌刑務所では、地元の大学大学院を出てまもない若手の歯科医師が昨年度から常勤で勤務するようになった。それまでは、6ヶ月待ちの状態だったが、なんとか4ヶ月待ちにまでこぎつけた。非常勤の2人の協力も得て、このままいけば、なんとか待ち時間2ヶ月強にできそう、という。腫れがひどいなど緊急を要する者は早く診るようにしており、待っている間は、内科で痛み止めを処方してもらっているそうだが、それでも、2ヶ月間も待つのはなかなか大変だ。
では、刑務所ではどのような歯科治療が行われているのだろうか。民間でも歯科治療の費用は、使う素材などによっても、ピンからキリだが……。札幌刑務所の歯科医に聞いてみた。
「歯科治療が高額になるのは、歯科技工士に外注して入れ歯、ブリッジ、被せ物などを作ってもらうところですが、ここではそういうものは作らないことにしています」
必要なものは、プラスチックの材料を使って、歯科医自身がその場で作る。新たに入れ歯は作れないが、すでに持っている人で、支えになる歯が虫歯になった時などは、その歯をプラスチック素材で盛り足して、入れ歯を使えるように工夫する。普通の歯科クリニックでは使わない技術が、ここでは必要だ。歯科衛生士もいないので、作業のすべてを歯科医師がこなさなければならない。
外部の歯科医を呼んで、刑務所では提供していない治療を受けることも不可能ではない。ただし、費用はすべて自腹。堀江貴文さんが服役中にインプラントの前歯が抜けてしまった時には、この制度を利用して義歯を入れ直している。同じようにして、受刑中に入れ歯を作る高齢者もいる。しかし、その費用が出せず、食べ物がよくかめない者は、食事を軟菜食にしてもらうなどして対応する。歯がすべて抜け、歯茎だけで普通のご飯とおかずを食べている、という受刑者にも会ったことがある。
指名医制度は、歯科だけでなく、他の診療科目でも利用可能だが、費用が高額になることから、あまり利用されていない、という。
増える医療費
矯正医療のもう一つの悩みは、医療費の増加だ。
上のグラフは、近年の矯正施設(拘置所、少年院などを含む)での医療関係経費。受刑者の数は減っているにもかかわらず、医療費は増え、ここ数年は年に60億円を推移している。医師不足もあって、刑務所では対応できず、外部の医療機関に通院・入院させるケースも増加の傾向にある。受刑者は、健康保険に入っていないため外部病院での治療費は、全額国が支払うことになる。
一般社会では、新たな治療法が次々に出てきて、それが医療費を増やしていると問題になっている。刑務所では、こうした高額医療はどうしているのだろうか。
「我々も、医者の立場としては、一般の病院でやるような治療は勧めたいんですよ。でも、それをやっていると、お金が足りない。最近はがんの分子標的薬が次々に出てきていますが、高いですね。そういうものは、本人がやりたいと言っても、お断りしています。普通の病院なら、いくつかの治療法とそれにかかる費用を示すことができますが、ここでは難しい。延命治療もほぼやっていません。基本的には、状態が悪くなったら、痛みは感じないようにして、昇圧剤などは使わず、そのまま看取っていくようにしています」(医療部長)
受刑者の処遇について定めた刑事収容施設法では、「社会一般の保健衛生及び医療の水準に照らし適切な保健衛生上及び医療上の措置を講ずる」としている。これまで見てきたように、刑務所で行われている医療は、「社会一般の水準」を意識しつつも、決してそれを超えてはいない。
それでも、増えている医療費。
「努力はしています。ジェネリックが出ている薬はすべてジェネリックにしています。(他の刑務所との)薬の共同購入も始めました。ただ、ここでよく出る高い薬は、抗がん剤とHIVの薬で、これはジェネリックが存在しないんですよ。高額だけど、止めるわけにはいかない」
HIV感染者で治療を受けている受刑者は、今年6月末現在で全国の刑務所に153人。また、なんらかのがん治療を受けている受刑者は、昨年10月末現在で282人。さらに受刑者の高齢化が進めば、がん患者はますます増え、治療費を押し上げていくことが考えられる。
この事態は、現場の医療スタッフらの努力だけでは、どうしようもない。
考えられる対策は…
犯罪を犯した者の医療に、多額の税金を投入することに納得がいかないという声もしばしば聞く。
けれども、先に八王子医療刑務所の永石首席処遇官が語っていたように、国が身柄を拘束する以上、受刑者の健康管理は国の責務となる。医療費削減のために必要な治療をしないことになれば、人道上の問題となるだけでなく、それを理由に服役できないと訴える者が増えるだろう。病気を理由に服役せずにすむ人が出てくれば、刑の執行の公正さが損なわれる事態になりかねない。
保険料や一定の医療費負担ができる受刑者は、国民健康保険に加入させたらどうか、という考え方もある。ただ、そうなると、保険加入の受刑者は、一般医療施設での保険診療と同等の医療を要求するだろう。刑務所の現体制では対応が難しく、保険非加入の受刑者との間に医療水準の違いが出れば、公平な処遇もできなくなる。
結局のところ、刑務所での医療費を引き下げようとするなら、受刑者、とりわけ高齢者を減らすことしかないのではないか。そのためにも、何度も刑務所に舞い戻ってきながら年を重ねる累犯者が、これ以上犯罪に関わることなく、社会の中でどう定着させるか、という課題に、私たちの社会はもっと本気で向き合わなければならないように思う。
(撮影:清作左、一部の写真はプライバシー保護のために加工しました)