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中日ドラフト3位石森大誠「青が好きなのでよかった」創設1年目九州アジアLから指名1号

田尻耕太郎スポーツライター
熊本城を背景にポーズを決める石森投手(筆者撮影)

 プロ野球ドラフト会議が11日、東京都内で行われた。

 中日ドラゴンズにドラフト3位指名された155キロ左腕の石森大誠投手(ヤマエ久野九州アジアリーグ・火の国サラマンダーズ)を指名直後に取材した。喜びの声、感謝の気持ち、これからの決意を語った。

 ドラフト1カ月前の石森大誠投手の取材記事は下記リンクより。

【2021年9月11日掲載】

2年前ドラフト指名漏れから上位候補へ。火の国の155キロ左腕・石森大誠の胸中「僕はまだ成長できる」

 指名直後の会見

――心境は?

「自分としてはもうちょっと順位が上かなと思っていたけど、3位で良かったです」

――中日の印象は?

「左投手で大野投手というエース級の左投手がいますし、同級生でも小笠原投手がいる。追いつき追い越せの気持ちで頑張りたい。また、僕は青が好きなので、中日でよかったです」

――自分の武器は?

「持ち味は真っ直ぐのキレ味。今年も真っ直ぐで三振をとってきた。自分のアピールポイントとしてやっていきたい。即戦力として1年間戦い抜ける体とメンタルをもっと身につけていきたいです」

馬原新監督兼GM補佐(来季より・今季はピッチングGM)

「この評価は本人の頑張り。ただ、本人も言っていましたが、もう少し上の順位という想いは、これからのモチベーションにしてほしい。まずはNPBに指名され、その舞台に立つのが大きな意味をもつ。彼のポテンシャルからすれば、まだのびしろがあると思う。中日に入団して、先輩たちの姿を見ながら、自分の立場や投球スタイルを確立して、1年目からの活躍を意識してほしい」

馬原新監督(左)とがっちり握手(筆者撮影)
馬原新監督(左)とがっちり握手(筆者撮影)

 囲み取材

――心臓がバクバクしたと言っていた。

「この会場に入って指名を受けるまではいつも通り、変わらなかったんですけど、指名を受けた瞬間に高ぶりました」

――160キロ出したいとも語っていた。

「自分としてはスピードにもこだわっていきたいけど、球のキレが持ち味。並行してスピードがついてくればいいと思います」

――スピードが伸びた要因は?

「大学時代の友達に体がひと回り大きくなったと言われます。当時72キロだった体重が今年は78キロくらい。食事面、体調管理が行き届いたおかげ。球速は大学時代の149キロが今は155キロになりました」

――どんなポジションで活躍をしたい?

「そこはチームの方針になります、今年がリリーフで、それを見て指名してくれたと思う。中継ぎタイトルなどを争えるようになりたい」

――中日にはかつて岩瀬投手という抑えの左腕がいました。

「僕が小さい頃から知っている選手。左で抑えをしているといえば岩瀬さんというくらい偉大な存在でした。僕もそうやって周りの人の頭に根付く選手を目指してやっていきたい」

――小笠原投手とは15年夏の甲子園3回戦で対戦している。

「彼が投げる試合は少しでも耳に入れていたので、意識する存在でした」

――地元の石川や大学への思い。

「町おこしのように応援してくれていた。そこにしっかり、恩返しをしていかないと。それが当たり前と思っている」

――遊学館高校時代について

「今年1年と同じくらい高校生活も濃いものでした。厳しく指導してくださった山本監督にも感謝です」

――大学4年生だった2年前は指名漏れの悔しさを味わった。

「正直落ち込んで、野球はちょっと……と思った時もありました。でも、応援してくれる人がいた。恩返しをしたいと思った時に、あきらめきれなかった」

――どんな夢を与えたい?

「自分はそんなに体も大きくない。だけど、そういう選手でも体の使い方ひとつでここまで成長できるというのは、高校卒業してから現時点までに証明できたと思います。体が大きくない選手のお手本にもなりたい」

――熊本への思い。

「熊本で良かった。野球をする環境もいいし、熊本の人は皆優しい。熊本のためにも、今日の結果は本当に嬉しかったです」

――熊本に来た経緯。

「大学で指名漏れをした時、それでも待っていてくれたのが(社会人の熊本ゴールデン)ラークスだけだったと聞いています。後日、監督からそう言われました。最初は正直、大学のあった山形から遠いし、実家からも遠いと思いました」

――そしてラークスのプロ化の動きに伴い、独立リーガーに。

「自分としては、この1年にかけようと思っていた。どこで野球をするかではなく、どういう姿でやるかを大事だと考えていた。なので、チーム選びは念頭に置かなかった。でも、馬原コーチの存在は大きかった。何かの縁でつながったのかなと思います」

――馬原氏の指導は。

「選手の色を変えず、そのままの素材をもっともっと磨き上げるのが上手い人だなというのが印象です。それが本当にすごいと思った」

――心構えも教わった?

「マウンドに上がったら打者との勝負のみ。誰も助けてくれない場所。それを再確認させてもらい、それが自信にも繋がりました」

――九州アジアリーグ1号のドラフト指名選手。

「リーグが出来て、チームが出来て、その1号は誇らしい気持ちです。今後、自分に続いて、新しい人たちがプロに行ければ九州全体も盛り上がると思います」

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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