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田口壮氏が転機となった?!映画『メジャーリーグ』から受け継がれる背番号99番の系譜

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
デビュー以来99番を使用し続けるアーロン・ジャッジ選手(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

【ブレーブス若手右腕投手が背番号を変更した理由】

MLB公式サイトが現地時間の1月22日に報じたところでは、ブレーブスの若手右腕のスペンサー・ストライダー投手が、今シーズンから背番号を99番に変更することになったようだ。

 ストライダー投手といえば2021年にMLBデビューを飾った後、昨シーズン途中から先発投手に抜擢され、11勝5敗、防御率2.67、202奪三振の好成績を残し、新人王投票で2位に入った期待の24歳豪腕投手だ。

MLB公式サイトのデータによれば、ストライダー投手の速球の平均球速は98.2マイルを誇り、昨シーズンのSO9(9イニングあたりの奪三振数)は13.8を記録するなど(規定投球回数に達しておらずランク外)、次世代の“ドクターK”としても期待されている。

 これまでデビュー以来65番を使用していたストライダー投手だが、映画『メジャーリーグ』の主要登場人物であるリック・ボーン投手が大好きだったことから99番への変更を決めたそうだ。

【野茂英雄投手のMLB挑戦のきっかけとなった不朽の名作】

 この映画についてご承知の方も多いと思うが念のため説明しておくと、1989年に公開された作品で、クリーブランド・インディアンズ(現ガーディアンズ)をモデルとし、何とかチームを負けさせて身売りを実現したいオーナーの様々な妨害工作をはね除けて、弱小チームが地区優勝を成し遂げるというものだ。

 日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂英雄投手もこの映画をこよなく愛し、映画のような歓喜を味わいたいとの強い思いも手伝って、MLB挑戦を決めたというエピソードはつとに有名なところだ。

 この作品でシーズン途中からクローザーを務め、速球を武器に打者を抑え続け胴上げ投手になった新人投手こそ、チャーリー・シーン氏が演じたボーン投手であり、彼が使用していた背番号がまさに99番だったのだ。

 公開から9年後の1998年に誕生したストライダー投手がこの映画の影響を受けていることからも理解できるように、米国でこの作品は今なお不朽の名作として愛され続けている。

 またオリジナル作品が人気だったこともあり、『メジャーリーグ2』、『メジャーリーガー3』の続編が製作され、石橋貴明氏が出演したことでも知られている。

【現役選手の99番使用はストライダー投手で25人目】

 ところで現在のMLBでは、ストライダー投手に限らず多くの選手たちが99番を好んで使用するようになっている。

 その代表格ともいえる存在が、昨シーズンア・リーグの年間本塁打記録を塗り替え、大谷翔平選手と熾烈なMVP争いを展開したヤンキースのアーロン・ジャッジ選手だろう。彼は2016年のMLBデビュー以来、ずっと99番を使用し続けている。

 そこで選手たちから99番がいつ頃から受け入れられるようになったのかを調べてみたところ、現役選手が99番を使用するのはストライダー投手が25人目であり、しかも偶然かもしれないのだが、映画公開を機に急激に増えているのが分かった。

【映画公開前に99番を使用したのはわずか2選手】

 MLBのデータを専門に扱う『Baseball Reference』によると、最初に99番を使用した選手は1952年のチャーリー・ケラー選手だった。

 彼は1939年から10年間ヤンキースに在籍していた際に9番、15番、12番を使用した後、1950年からタイガースに移籍した際は、27番を使用。2年後の1952年にヤンキースに復帰し、最初28番を使用していたが途中で99番に変更している。

 ケラー選手はこのシーズンの出場がわずか2試合に止まっており、そのまま現役を引退している。

 ケラー選手の後に99番を使用した選手は、1977年のウィリー・クロフォード選手だ。彼は1964年から12年間ドジャースに在籍し、当時は43番と27番を使用していた。

 その後カージナルス(5番を使用)、アストロズ(21番を使用)を渡り歩き、1977年のシーズン途中にアスレチックスにトレードされ、そこで99番を使用している。

 映画公開前に99番を使用していた選手はこの2人だけであり、いずれも現役最後のほんの短期間だけの使用でしかなかった。

【映画公開後に99番を使用し始めたのはいずれも投手】

 映画公開以降で最初に99番を使用したのは、1993年のミッチ・ウィリアムス投手だ。だが彼は元々レンジャーズ時代、カブス時代、さらに1991年に移籍したフィリーズでも28番を使用してきた選手で、1993年になって99番に変更。そこから3シーズンだけ使用している。

 続いては1997年のターク・ウェンデル投手だ。1993年にカブスでデビューを飾った彼はずっと13番を使用していたが、1997年シーズン途中でメッツにトレードされたのを機に99番に変更している。

 メッツでは長年主力リリーバーとして活躍していたこともあり、移籍したフィリーズ(途中で13番に変更)、ロッキーズと計6シーズンにわたり99番を使用し続けていた。

 彼らがストライダー投手のようにボーン投手の影響を受けたのかまでは定かではないが、偶然にも99番を使用し始めたのは投手だった。

【現役時代ずっと99番を使用し続けた最初の選手は田口壮選手】

 それでも1990年代までは99番を使用する選手が少なかったが、そんな流れを変えたのが田口壮選手ではないだろうか。

 2002年にオリックスからカージナルスに移籍したのと同時に99番を使用し、2009年のカブス時代まで8シーズンにわたり一貫して99番を使用し続けている。

 田口選手が99番を使用していた期間中、2008年のシーズン途中にレッドソックスからドジャースにトレードされたのを機に99番に変えたマニー・ラミレス選手は、田口選手と顔を合わせた際に「お前の真似をしたんだ」と明かしているように、田口選手が99番のイメージを変える役目を果たしたように思える。

 そしてMLB屈指の強打者ラミレス選手が99番を使用し始めたことでさらに99番が定着していき、その後柳賢振投手やジャッジ選手など最初から99番を使用する選手が出現するようになった。

 ただ残念なことだが、現時点で5シーズン以上にわたって99番を使用している選手は24人中5人しかおらず、しかもその中でデビューから一貫して99番を使用している選手は田口選手、柳選手、ジャッジ選手のたった3人のみと、まだまだ絶大な人気を誇っているわけはない。

 今後ジャッジ選手やストライダー投手が人々を魅了するような活躍を続けることで、今後さらに自らの意思で99番を選ぶ選手たちが増えてくるかもしれない。

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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