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「生きててありがとう」稀代のパンク詩人の記録『シェイン』は、酔い醒めなしのロックンロールおとぎ話だ

(C) ANDREW CATLIN

「ほっとけない」天才にジョニー・デップも惚れた

個性的なシンガー・ソングライターにして、アイリッシュ・パンク・バンドであるザ・ポーグスのフロントマン、シェイン・マガウアンの「これまでの全人生」を追ったドキュメンタリー映画が、日本でも公開されている。『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』というタイトルどおり、いかに彼が「愛されキャラ」であるのかが描き出されていく。その意味で、ちょっと特異な一作かもしれない。

たとえば本作は、30年来の友人だというジョニー・デップが製作を担当し、出演もしている。彼はシェインをインタヴューしている——というか、いかにも口が重そうなシェインをなだめすかして、安心させて「いい言葉」をぽろりと吐き出してもらうために、なにやら気を揉んでいる人として、画面に登場してくるのだ。いくらロック好きだといっても、天下のジョニー・デップが!――という点が、シェイン・マガウアンという怪人物のユニークさを能弁に物語っている。

なぜならば、彼は「たんなるロック・スター」なんかじゃないからだ。「全身小説家」ならぬ、「全身全霊アイリッシュ・パンク野郎」とでも言おうか。彼の人生に大きく影響したのは飲酒癖とドラッグ使用癖なのだが、そうしたものに耽溺しつつも「よくある自己憐憫型ではない」点が、彼のユニークさの核にある。

古来よりロック界には、破滅型の天才や、その真似をするポーザーなどが、掃いて捨てるほどいた。「世をはかなんで」飲んだり、「なにかからの逃避として」打ったりしては、「それが作品に反映されている」と評価されると、喜ぶようなタイプだ。「僕ちゃんかわいそう」系とでも言おうか。「この腐った世の中のせいで」僕ちゃんが痛んだ、そのパーソナルな証拠がここにあるんです——といった作品が主体となるような。大雑把に言うと、これが僕の考える「自己憐憫型ロック」の典型だ。

言うまでもなく、そんなものとシェインは、一切まったく関係がない。たまには彼も「世をはかなんで」なにかを摂取したりするのかもしれないが、おそらく大半は「ただ、そうしたいから」しているだけのはずだ。だから近代以降の基準で言うと、彼は「自意識過剰」の正反対、「無意識にいろいろやっちゃう」アウトロー系なのだろう。本作によるとシェインは「アイルランドにて、5歳のときから酒タバコ競馬に親しんでいた」らしいのだが、たぶんそのままの状態で、そこにドラッグが加わって、すたすたとロック人生を歩んでいったのだろう。

(C) The Gift Film Limited 2020
(C) The Gift Film Limited 2020

(C) The Gift Film Limited 2020
(C) The Gift Film Limited 2020

だからシェインは、まるで本当にアイルランド民話から抜け出てきた、妖精に化かされた旅人みたいな態度で、いつもふらふらとしている。そしてそのまま、なにも気にしないで破滅の淵へと歩いていく――のだが、いまのところは、まだ「死んではいない」人の典型とでも言おうか。そんな状態の彼を見て、人は「ほっとけない!」なんて反応するわけだ。たとえば、ジョニー・デップのように!

じつに嬉しそうなジョニー・デップ (C) The Gift Film Limited 2020
じつに嬉しそうなジョニー・デップ (C) The Gift Film Limited 2020

シェイン近影  (C) The Gift Film Limited 2020
シェイン近影 (C) The Gift Film Limited 2020

(C) The Gift Film Limited 2020
(C) The Gift Film Limited 2020

突進と哀愁のアイリッシュ・パンク節で世界を獲って……壊れた

本作の見どころは、まずは豊富なフッテージだ。若き日のシェインがドラッグのせいで入院して、出てきたとたんにセックス・ピストルズのライヴを見てしまい「パンク・ロックに目覚める」という、まるでマンガのような実話が、当時の映像付きで紹介されるのだ! なぜならば監督がジュリアン・テンプル、つまり悪名高いピストルズ・ドキュメンタリー『ザ・グレート・ロックンロール・スウィンドル』(80年)を手がけた彼だからこそ手元にあったのだろう、貴重な映像や画像を見てみることができる(し、この点にかんしてシェインがテンプルに言う嫌みも小粋だ)。そしてシェインのリードのもと「アイリッシュ・パンク」なるロックのサブジャンルが開発されてしまう様が、活写されていく。

(C) The Gift Film Limited 2020
(C) The Gift Film Limited 2020

アイリッシュ・パンク(ケルティック・パンクとも)とは、その名のとおり、アイルランド民謡とパンク・ロックを掛け合わせたものだ。日本の昭和歌謡曲にも、民謡をアレンジして今日風にするという潮流があったが、発想としてはあれに近い(「ナントカ節」とかいうやつだ)。あるいは喜納昌吉のような沖縄アーティストの作品と、成分比は近い。「自らの血のなかにある」つまり民族的記憶のなかにある民謡と、ロックというモダナイズされた国際標準語的大衆商品音楽との掛け合わせだからだ。違うところは、ロックンロールの遠い源流の一部には、アイルランド民謡を祖とする成分が、遺伝子が、そもそもはっきりとあった点だ(アパラチアン音楽など)。ここがアイリッシュ・パンクに、爆発的なパワーを与えることになった。

まず最初にポーグスは、まるで村祭りで泥酔者が輪になって高速で回り続けるような、あるいは、どんなルートでも減速せず突っ走る山車みたいな――そんな「突進系」の曲で人気を得た。つまり「パンクの側」にて、新種の音楽だとして受けた。シェインの最初のバンド、ザ・ニップスのオリジナル名が、まるで電気グルーヴのギャグみたいだった(The Nipple Erectors = ちくびおったて隊、てな感じか)例にあらわれているような、彼の「明るい」部分の全開だ。この路線で80年代の中盤、イギリスでまず成功する。

国際的な成功は87年、「ニューヨークの夢(Fairytale of New York)」の大ヒットからだった。情感ゆたかなバラッドで、全英8位を記録した、ポーグスの代表曲のひとつだ。同曲はその後も「クリスマス・ソングの定番」として、イギリスのみならず、いろんな国と地域で愛され続けている。シェインとカースティ・マッコールのデュエットなのだが、まるで演歌のように、カントリー・ソングのように掛け合いで歌うところが、聴く者に杯を傾けさせたことは疑いない。そして、ここの大成功からのツアーの連続がシェインを疲弊させていくことも、映画のなかで描かれている。

(C) The Gift Film Limited 2020
(C) The Gift Film Limited 2020

僕の目の前で、シェインは寝落ちした(取材中に)

ところで僕は、このころに一度だけ、シェイン・マガウアンと会ったことがある。とある音楽雑誌の、インタヴューの席だった。1988年10月の終わりか、11月の最初のころ。初来日のポーグスが、MZA有明なる「これぞバブル」と呼ぶべき会場でライヴをしたことがあった。そのタイミングをとらえての取材だった。といっても、僕がインタヴュアーだったわけではない。当時の僕は、駆け出しの書き手として、その編集部に出入りしていた。ちょうど人手が必要な時代だったのだろう、雑用なども振られつつ、育ててやろうという温情も得た。編集者でありそのときのインタヴュアーでもある先輩から、僕は声をかけられた。

「お前、ポーグス好きだったよな? だったら質問表作ってみろ。内容がよければ、現場に連れてってやる」——もちろん僕は、質問表をこしらえた。

取材場所は、ホテルの一室だった。彼の状態は、考えられるかぎり、かなり「最悪」だった。部屋に入ってきたシェインは、ものすごい勢いで、がたがた震えていた。寒い日だったというわけじゃない(だいたいそれに、ホテルの室内なのだ)。すかさずボーイを呼んだ彼は、グラスに赤ワインをなみなみと注いでもらい、ひと息で飲む。しかし震えは止まらない。ボトルを奪って、手酌で何杯か。そのあいだも手が揺れているものだから、瓶に当たったグラスがちんちん音を立てる。たぶん、ボトルが半分ぐらい空いたころ、一応は彼が落ち着く。震えもおさまって、そこからインタヴューが始まる。朝食がわりということなのか、インタヴュー中にふたたびあらわれたボーイは、お椀に入った赤だし調の味噌汁をシェインに渡し、彼がそれをずずーっとすすっていたのを覚えている。

質問をいくつかこなしたあたりで、シェインが静かなことに気がついた。気のない返事をしている、とかいった程度のものではなく、本当にまったくなにも反応がないので、応接セットの彼が座っているあたりを見てみると――シェインは、寝ていた。椅子に座ったまま完全に寝入っていて、静かな寝息すら立てていた。大きく首が傾いているせいで、下側になっているほうの唇の端から、よだれが垂れていた。つつーっと、まるでマンガみたいに糸を引いて、一本のよだれの線が長く長く伸びて、じゅうたん敷きの床にも触れんばかりになっていた。

そのあとどうなったのかは、あまり記憶にない。取材は途中で終えたのか。彼を起こしてから、続けたのか、覚えていない。帰路の気まずい雰囲気は覚えている。編集者も僕も、地下鉄で移動しながら、ほとんど会話を交わさなかった。あまりにも凄惨な光景を目にしたせいで、ふたりともショックを受けていた。あそこまで、人が「壊れる」ことがあるものなのか——あるいは、あそこまで壊れた人が、まったくの赤ん坊みたいに無垢に眠っている、という現実を咀嚼しきれないがゆえの重さに、僕らは打ち負けていた。すごいもの見ちゃったよな、とだけ、編集者は僕に言った。おそらくは彼も僕も「シェイン・マガウアンという人は、もうあまり長くは生きないんだろうな」と暗く感じとっていたのだと思う。

と、そんなことがあったもので。その後のシェインの「死ななさぶり」には、正直言って、驚嘆の気持ちしかない! まあもっとも、僕やその編集者みたいな意見なんて、これまで世界中で「掃いて捨てるほど」あったのだろう。だから彼も映画のなかで言っている。「70年代から、あとすこししたら死ぬ奴と言われていたよ」と。なので(くやしいので)僕らとしては、こう言うしかない。

「いやあ、あなたほど『生きてるだけで、ありがとう』なんて感謝される人、そうそういるもんじゃないですよ」と。

特異なアーティストの、特異にして「めでたい」ドキュメンタリー

2018年1月15日、アイルランド大統領マイケル・D・ヒギンズや友人たちから、シェインは60歳の誕生日を遅れて祝われる。(C) NATIONAL CONCERT HALL, DUBLIN
2018年1月15日、アイルランド大統領マイケル・D・ヒギンズや友人たちから、シェインは60歳の誕生日を遅れて祝われる。(C) NATIONAL CONCERT HALL, DUBLIN

アイルランドの歴史、アイルランド人の苦難の記憶が、シェインの音楽と言葉の背景となっている。それは被虐の、弾圧の、絶え間のない差別と搾取の、歴史および記憶だ。このことを彼は、ものすごく強く意識し続けている。だから彼の音楽には「不屈」と呼ぶべき魂の強靭さがある。世界中の無数の人が、そこに心打たれるのだ。シェインは、自己憐憫なんてしない。彼が憐れむのは「自分以外」の人々だからだ。いつも「弱い側にいる」人々の痛みをこそ、我がことのように受信する能力にかんして、彼はとてつもない高みに居続けている。もしかしたらそのせいで、彼は頻繁に傷ついているのかもしれない。だから飲む、のかもしれない。彼のそんな凄惨な姿に、ほとんど聖人めいたものを幻視する人々が、この映画を完成させた。

といったような理由で、本作は「普通の」音楽ドキュメンタリー映画とは、少々趣を異にする。なにはなくとも、このシェイン・マガウアンという、歴史に残る「特異なるロック聖人」が、いかに人々に愛されているのかをまとめたものなのだから。そしてこの形の「愛」が、ロック音楽の歴史のなかにあったことを、いまだ継続中だということを、まさに村祭りのように、気心知れたみんなで祝うための映画なのだから。

6月3日(金)より、渋谷 CINE QUINTO ほか全国順次公開中。

作家。小説執筆および米英のポップ/ロック音楽に連動する文化やライフスタイルを研究。近著に長篇小説『素浪人刑事 東京のふたつの城』、音楽書『教養としてのパンク・ロック』など。88年、ロック雑誌〈ロッキング・オン〉にてデビュー。93年、インディー・マガジン〈米国音楽〉を創刊。レコード・プロデュース作品も多数。2010年より、ビームスが発行する文芸誌〈インザシティ〉に参加。そのほかの著書に長篇小説『東京フールズゴールド』、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』、教養シリーズ『ロック名盤ベスト100』『名曲ベスト100』、『日本のロック名盤ベスト100』など。

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