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ホロコーストの悲劇 米国に入国拒否された「セントルイス号」から82年:ユダヤ人の運命を辿ったツイート

佐藤仁学術研究員・著述家
セント・ヒルシュ氏。強制収容で死亡。St. Louis Manifest提供

セントルイス号の乗客のほとんどが欧州に戻され収容所で死亡

ナチスドイツによる600万人以上のユダヤ人やロマらを殺害した、いわゆるホロコースト。1939年5月13日はドイツ・ハンブルク港から客船SSセントルイス号がナチスドイツによる迫害から逃れようとする937名のユダヤ人を乗せてキューバのハバナへ向けて出港した日である。

ドイツ・ハンブルクから客船SSセントルイス号がナチス・ドイツによる迫害から逃れようとする937名のユダヤ人を乗せてキューバのハバナへ向けて出港した。しかし欧州からのユダヤ人で満員のセントルイス号を追い返したように、アメリカにはナチス支配地域からのユダヤ人難民を歓迎する空気はなかった。周辺のどこの国もユダヤ人を受け入れようとしなかったため、セントルイス号はヨーロッパに戻り、ユダヤ人たちはフランス、オランダ、ベルギー、英国に引き取られた。そして1940年以降に大量虐殺を免れることができたのは英国に引き取られたユダヤ人だけだった。

そして2017年1月の国際ホロコースト記念日に、アウシュビッツ解放72年を記念してユダヤ人の教育家Russel Neiss氏がセントルイス号の乗客らのためにTwitterのアカウントを作った。アカウントは「St. Louis Manifest」で日本語に訳すと「セントルイス号の乗客名簿」。

このTwitterではセントルイス号の乗客でナチスドイツの犠牲になったユダヤ人たちの運命をあたかも本人がツイートしているかのように辿っている。セントルイス号の乗客でナチスの犠牲となったユダヤ人たちの運命をTwitterで全世界に公開。犠牲者たちの写真も多く残っており、悲劇的なツイートが約250人分掲載されている。

「セントルイス号の乗客名簿」のタイトルのように例えば「私の名前はヴェルナー・シュタイン。1939年にアメリカへの入国を拒否されました。そしてアウシュビッツで殺害されました。」というように、犠牲者の名前とその後の運命を辿るツイートが続いている。またモノクロやセピアの写真は家族や友人らと一緒に平和な時期に撮影された写真が残っている場合もある。犠牲者の中には小さな子供も多く、ナチスに迫害されていなかったら、まだ存命だった人も多いだろう。

1976年にはセントルイス号を題材にした映画「Voyage of the Damned(邦題:さすらいの航海)」も公開されていた。

「セントルイス号の乗客名簿」のツイート

映画「Voyage of the Damned」トレーラー

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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