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【河内長野市】千代田に戦前、大阪陸軍幼年学校があった!その移転の理由、そして千代田駅ができたわけ

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市内の東北の位置、南海千代田駅を北に徒歩10分にある大阪南医療センター(外部リンク)。この場所に、戦前、軍関係の施設があったことは意外に知られていません。

かつて、軍の士官クラスを幼年(中学生)のころから育成しようと作られた大阪陸軍幼年学校が、戦前に大阪市内から移転した場所。ではなぜ大阪の中心から離れた河内長野の地に、陸軍幼年学校ができたのでしょうか?その理由について紹介しましょう。

大阪南医療センターは元国立病院。延べ床面積47,856平方メートルの建物内に、520床のベッド数を持つ大型の病院です。周辺には、大阪南看護学校と河内長野市立保健センターなど医療関係の建物が並んだエリア。その正門のすぐ右側に、ある石碑が残されています。

その石碑が、かつてこの場所に大阪陸軍幼年学校があったことを示すものでした。

大阪陸軍幼年学校は、1896(明治29)年の陸軍中央幼年学校条例と 陸軍地方幼年学校条例の制定により、1898(明治31)年に大阪市東区(現中央区)大手前に新築された校舎で開校しました。

定員50名で3年間の教育が行われたそうです。満13歳から15歳の男子生徒を選抜した全寮制学校。卒業後は士官候補生を養成する陸軍予科士官学校(現在の防衛大学に相当)に無試験で進めました。

その後、1922(大正11)年のワシントン海軍軍縮条約により、世界軍縮傾向となったためいったん廃校となります。

参考画像:観心寺境内にある楠木正成の首塚
参考画像:観心寺境内にある楠木正成の首塚

ところが昭和に入り、日中関係の悪化に伴い、東京の陸軍幼年中央学校が復活することになりました。そして1940年(昭和15年)3月、大阪陸軍幼年学校も復活が決定。

このときに、前にあった大阪市内ではなく、南河内郡千代田村(現:河内長野市)に学校を移転することになりました。

これは、鎌倉末期から南北朝時代にかけて、天皇を守って戦った英雄、楠木正成の居城近くにしたためです。こうして同年(ちょうど皇紀2600年)4月1日に、44期生150名が入校しました。これは本来の定員50名の3倍です。

南河内郡千代田村は、以前、市新野村(いちしのむら)という名前でした。千代田村と名前を代えたのは、大正天皇即位にちなみ江戸城の別名の千代田城からというのがその理由です。

そのようなこともあり、復活した陸軍幼年学校があったときには、その周辺を千代田台と呼んでいたとのこと。現在の千代田台町とは無関係です。

そして大阪幼年学校がこの地に移転することが決まったことを受け、1938(昭和13)年2月11日に、南海鉄道(現:南海高野線)の滝谷駅と長野(現:河内長野)駅の間に、新たに千代田駅が新設されました。

44期生から49期生までを輩出した千代田村の大阪陸軍幼年学校は、1945(昭和20)年の太平洋戦争終結をもって、廃校となりました。その跡地には、堺市から大阪第一陸軍病院が移転します。

この病院は国立病院として何度も名前を変えたのち、2004(平成16)年に、国立病院機構 大阪南医療センターとなりました。

そして、現在はその敷地内の石碑が、かつて存在した大阪陸軍幼年学校の歴史の足跡を残しています。

ちなみに、大阪陸軍幼年学校の敷地は約54,000坪ありました。そのすべてが国立病院の敷地に変わったのではありません。北の部分は、1974(昭和49)年に大阪府立長野北高校がありましたが、残念ながら今年の3月末をもって廃校となってしまいました。

最後に周辺の地図を紹介します。大阪陸軍幼年学校の移転に伴い新設された千代田駅から学校に続く道。これは現在の千代田あいあい通りの一部ですが、当時の名残を思わせるように、途中から北方向に蛇行して大阪南医療センター正門に向かって続いています。

大阪陸軍幼年学校の跡の碑
住所:大阪府河内長野市木戸東町2-1 大阪南医療センター正門右横
営業時間:24時間自由入場可能
定休日:無休
料金:無料
アクセス:南海千代田駅から徒歩10分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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