「巨人ファンが『六甲おろし』で涙する」。「おはパソ」道上洋三氏が語る「今こそ届くラジオの声」
番組開始から44年目に入った関西の名物番組、ABCラジオ「おはようパーソナリティ 道上洋三です」のメインパーソナリティ・道上洋三さん(77)。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い4月20日からテレワークとして自宅から出演していますが、コロナ禍だからこそ噛みしめるラジオの意義を力強く語りました。
横向いたら家人
家からの放送、やっぱりいろいろ違いますね。2階で寝てて、そこから降りてきたらリビングにマイクが置いてあるわけですからね。
若い頃、会社で泊まり勤務をやって、朝一番のニュースを読む時でも、言うても、そこは会社ですし、職場の人間が周りにいます。
でも、自宅ではさっきまでは歯を磨いていた場所から10歩歩いたところで、皆さんに「おはようございます」と言っている。後ろを向いたら台所、横向いたら家人ですから(笑)。
スタジオだったらいろいろ言えますけど、家人にはなかなか言いたいことも言えないという空気もある中で(笑)、いったい「ここは仕事場か?」という思いにもなります。隣の犬の鳴き声がしたり、小鳥の声も入ってきます。
でも、聴いてくださる方々からは「なんか、我が家で放送してもらっているような感覚になります」という声もいただくんです。
今回、こういう形で番組をやらせてもらうようになって気づいたんですけど、僕は仕事というものにオフィシャル性というのかな、もっと社会性があるものだと勝手に思っていた。でも、そうじゃないんだと。横にみそ汁があるように、いろいろなことが並んでいるんだと。
午前1時から10キロのランニング
ただ、気持ちのスイッチを入れるというか、それは家だとやっぱり難しいです。
番組を始めて10年ほどは、朝というか、夜中の1時か2時に起きてたんです。というのは、体が目覚めないと自分の言葉が出てこないんです。原稿を読むだけなら、発声練習をして声は出るという状況でもいいかもしれませんけど、感じたことをフリーでしゃべる。それをするには、体がしっかり芯から目覚めてないと言葉が出てこないんです。
学生時代、僕は陸上部だったんで、午前1時に起きて10キロ走って、シャワーを浴びて、新聞をデッカイ声で読んで、ご飯を食べて。それだけの流れをやってから会社に行ってました。これはこれで、放送が始まる頃にまた眠たくなってきたりもするんですけど(笑)、とにかく一回完全に体と心を目覚めさせるんです。
10年を過ぎた頃からは、徐々に慣れてきて午前3時頃に起きて、家の周りを30分くらい散歩するくらいになってきて、そんなリズムで30年過ぎまでやりました。そこからは、年齢的にも、朝起きてすぐに運動するのは体に負担がかかるとお医者さんから言われたので、そこまで早起きすることはなくなっていたんです。
でも、家からの放送を始めて、また3時に起きて30分散歩をするようになりました。2階から降りてきてすぐ仕事というのは、気持ちも体もそうはならんので。久しぶりの流れです。
震災とは違う困難
ま、丸43年やってきましたから、その間にはいろいろなことがありましたね。1995年には、阪神淡路大震災がありました。
本当に、本当に、大変でした。皆さん、大変でした。つらくて嫌になりました。でも、番組をする以上、とにかく現場に行こうと。
それに反対した人間も社内にはいました。偽善とも言われました。僕はそいつに「辞めぇ、お前は!」と言いました。「制作であろうが、報道であろうが、どの部署であろうが、この状況を前に現場にも行かんと番組を作るというのは、放送局に勤めてる者として意味が分からん」と。
何と言われようが現場に行って、そこのにおいを嗅いで、そこの人の声を聞く。それをしないと意味がないと言ってやってきました。
ただ、今回のコロナはまた状況が違うんです。番組を聴いてくださっているリスナーさんは基本的に元気なんです。ただ、すぐ横に恐怖がある中で、みんなそこに脅かされながら、でも、それぞれがそれぞれの形で生活をしてらっしゃる。
「この時期だから断捨離をしようと思って。そうしたら、昔の本とかアルバムが出てきて、ついつい面白いから他のアルバムも探しに行って。気づいたら泥棒が入った後みたいになってて『これ、どうやって片づけんねん…』と」
毎日、毎日、読みながら笑ってしまうようなお便りもいただきますし、一つ一つのお便りに「コロナ禍を一緒に生きてるんやな」という思いを感じます。
“いつものラジオ”
阪神淡路大震災の時には「いざという時のラジオ」みたいな言われ方もしました。電源もなくテレビは映らない。ネットも今ほど発達していない。そうなると、電池で動くラジオへの意識が高まるという中で。
でも、これは当時から言ってきたことなんですけど「『いざという時のラジオ』じゃなく『いつものラジオ』だから、耳を傾けてもらえるんだ」と。
単に情報を得るためだけではなく、毎日「おはようパーソナリティ」を聴いてくださっている人は“いつも”として道上洋三の声を聴いてくださる。浜村淳さんの番組を聴いてらっしゃる人は、浜村さんがしゃべってるから“いつも”として聴くんです。
“いつも”の存在だからこそ“いざという時”も聴いてくださる。そして“いつも”を感じてくださる。そういう部分も、ラジオの大きな部分だと思うんです。
一方、それだけ聴いてくださるからこその出来事もありました。震災後、例えば「この病院では人工透析ができます」と言ったら、その病院ばっかりに行列ができて混乱させてしまう。「ここの中学校の避難所では毛布が足りてないんです」と言ったら、そこにばっかり集まって、横の中学校には毛布が届かない。
もちろん、こちらとしては「少しでも情報を」と思って、良かれと思って、伝えているんです。でも、それが思いもよらぬことも引き起こしてしまう。マスコミ災害とも言われました。靴の上から足をかいているみたいな、何とも言えない思いもたくさんしてきました。
六甲おろし数珠つなぎ
いろいろあった43年でしたけど、今回でまたラジオの在り方が変わったとも感じています。
「テレビでは感染者数とかつらいことばかり伝わってくるけど、ラジオでは好きな本の話とか、リスナーさんがこんなことをやったとか、そんなことを話してて、何となく、ホッとしました」
そういったことを言っていただく機会が増えたなと。今こそ届く、響く、ラジオの声があると強く感じています。
今ね、ウチの番組で「六甲おろし数珠つなぎ」という企画をやっているんです。宮本亜門さんが皆さんからのメッセージを「上を向いて歩こう」に合わせてまとめた映像を発信されてましたけど、そのお話を宮本さんに電話でうかがってみたら、舞台の人もこの状況で仕事がないので何かで繋がれないかという発想があって始めたことだと言われたんです。
それはラジオでもできることじゃないかなと。ウチだったら、それはなんだろう。スタッフと話して、じゃ、僕がいつも歌っている「六甲おろし」だと。この状況で仕事ができなくなっている音楽のプロの方々に登場していただいて「六甲おろし」を歌ってもらったり、演奏してもらう。
もちろん、プロのパフォーマンスなんでどなたの「六甲おろし」も素晴らしいです。でも、やってみて驚いたのは、普段は「六甲おろし」なんて聞きたくもないと思っている巨人ファンの人も、その「六甲おろし」で涙したと。
ウチの番組、中には阪神が巨人に負けた翌朝だけ聴くという方もいらっしゃるんです。阪神ファンの僕がどうやって悔しがるかを聞くのが楽しみやと(笑)。そんな中、巨人ファンが「六甲おろし」を聴いて泣く。
どこのファンでも、互いに、相手がいないと成り立たないことは分かっているんです。そして、どこのファンという前にプロ野球ファンなんです。実は、そこのつながりがあったんです。見えないものが見えてくる。それがラジオの良さだと改めて感じています。
見透かされる音の世界
あとね、音だけの世界というのは、人の想像力をより膨らませます。それぞれが40年、50年、60年、70年生きてきたもの。人生で培ってきたものが音に返ってくるといいますか。その人の生き方そのものが声にも見える気がします。
よく言うんですけど、ラジオで声を聞いて「エエ人やな」と思ってお会いすると、その感覚は外れたことがないんです。ナニな話、テレビを見て「魅力的な人やな」と思ってインタビューをさせてもらうと「来てもらわなかったら良かった…」と思う時もありますけど(笑)。
音の世界は怖いです。怖いけど、終わりがないです。こちらがそれ相応の研鑽を積んでないと、すぐに見透かされます。
次の節目は45周年?確かにそうですね。その時はもう一回「いざという時も、いつもも、どちらものラジオ」というのを確認するようなことができたらなと。
そのためにも毎日頑張らんとアカンのですけど、家からの放送でまだ慣れんのが、機械です…。パソコンを立ち上げて、マイクのスイッチを会社とつなげて、スタッフと打ち合わせをして…というのが慣れないんです。
スタッフが機械の使い方をカラーコピーで丁寧に、大きく、示してくれていて、その通りにやっているつもりなんですけど、思いもよらんランプが点いたりね…。そこはね、ホンマに思いっきりストレスですけど(笑)、なんとか頑張ります!
■道上洋三(どうじょう・ようぞう)
1943年3月10日生まれ。山口県出身。65年、朝日放送入社。77年から「おはようパーソナリティ 道上洋三です」のメインパーソナリティーを務める。熱烈な阪神タイガースファンで番組内で「六甲おろし」を歌うのが恒例。