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日本にはどんなそば屋があるのか?

坂崎仁紀大衆そば研究家・出版執筆編集人・コラムニスト
そば屋ってどんな種類があるの?(提供:イメージマート)

はじめに

 「そばが好きだ」という日本人は多い。厚生労働省が平成25(2013)年1月に実施した「生活衛生関係営業経営実態調査」によると「そば・うどん店」の事業所数は 31,869カ所。総務省が平成26(2014)年に実施した「経済センサス基礎調査2014年」では「そば・うどん店」の事業所数は 31,114カ所。これは延べ店舗数ということになる。

 タウンページの調査なども参考にすると、日本のそば店舗数は1.5~2万店ではないかと推測する。ちなみに立ち食いそば屋は延べ店舗数としては1500店程度ではないかと推測している。

 それでは日本にはどんな種類のそば屋があるのだろうか。日本にはそばを売る店が多種類ある。しかし、その分類などは敢えて取り上げられることはほとんどない。その理由はあまりにも混沌としていて分類するのが容易ではないからである。そこでこの複雑怪奇なそば屋の分類について少し踏み込んでみたいと思う。

そば屋の分類

 そば屋の発展の歴史の中に、目撃するそば屋を当てはめていくのはなかなか大変である。一応そば屋の発展とそば屋の分類について長年聞き込みなどを行い、また資料を発掘するなどして作成した。「そば屋の分類Ver.1」とでもいえばいいだろう。それを下図に掲載し解説する。

 そば屋を「手打ち個人店」、「老舗系」、「のれん会」、「街そば屋」、「街チェーン店」、「街食堂」、「製粉所製麺所系」、「大衆そば屋」、「立ち食いそば屋」に分類した。

そば屋の発展とその分類(筆者作成)
そば屋の発展とその分類(筆者作成)

「手打ち個人」

 江戸時代以前にそば屋は、そばの産地を中心とした「ご当地そば」や「門前そば」として誕生した。もちろん最初はすべて手打ちそばであり、これらは江戸時代に誕生する「老舗系」の母体となった。昭和時代になると「老舗そば屋」から独立した店主が孤高の「手打ち個人」を始めるようになった。流麗なそば前と手打ちそばを提供している。今でも一番人気のあるジャンルである。「慈久庵」(茨城県常陸太田市)、「宮本」(静岡県嶋田市)、「蕎楽亭」(東京都新宿区神楽坂)、「玉笑」(東京都渋谷区神宮前)など。

「老舗系」

 江戸時代以降、「都市や街道筋そば屋」が誕生すると、その中には飛び切りうまいそばを打つ達人が現れた。そうした達人たちがに店を大きくして現在に至っているのが「老舗系」である。「藪蕎麦」(東京都千代田区神田淡路町)、「神田まつや」(東京都千代田区神田須田町)、「更科堀井」(東京都港区元麻布)、「砂場」(東京都荒川区南千住)など。

「のれん会」

 「老舗系」で働いていた職人が独立したり、また「老舗系」と同じような店を作ろうとそば打ち集団を作り、暖簾分けして拡大していったのが「のれん会」である。この中には「のれん会」とすべきか「老舗系」にすべきか悩ましい系統も多い。「結城屋本店」(群馬県前橋市)、「満留賀」、「朝日屋」、「増田屋」など。

「街そば屋」

 明治大正昭和の時代にかけては、地方から都市に移住して稼ぐ人たちが増えていった。「老舗系」でも「のれん会」でもなく、腕に自信がある職人たちは「街そば屋」などを開業し拡大していった。明治時代以降このジャンルのそば屋が爆発的に増えていく。「街そば屋」でも「老舗系」と匹敵する技術を持った店も多数ある。その違いは曖昧な部分も多い。「矢打蕎麦」(東京都江戸川区)、「有楽庵」(東京都世田谷区)など多数。

「街そばチェーン店」

 「街そば屋」は後にいくつかの種類に派生していく。「街そばチェーン店」もその一つである。これは資本系で多店舗展開する店が現れてきたことによる。自動車交通網の発達で郊外店舗が増えた。車社会に即した店の誕生ということになる。また街中には居酒屋兼業のチェーン店も誕生した。「山田うどん」や「資さんうどん」などのうどんチェーンでそばを扱っているところはこのジャンルにも入ると考えている。「すかや」(群馬県高崎市)、「ばんどう太郎」(茨城県境町)、「十割そば会」(福島県郡山市)、「和食麺処サガミ」(愛知県名古屋市)、「そじ坊」、「北前そば高田屋」など多数。

「街食堂系」

 「街そば屋」の中には蕎麦以外も売る店が多くなった。これは昭和時代に入ってから増加していったと思う。洋食、らーめん、焼きそばやどんぶりものなど、とにかく腹いっぱい食べたい客のニーズに応えるために「街食堂系」が誕生した。「生そば常盤」(京都市中京区)、「亀印食堂」(東京都中央区佃)、「信濃路」(東京都台東区根岸)など。

「製粉所製麺所系」

 大正・昭和初期に製麺機が登場し麺産業が確立していく。「街そば屋」は製麺機を置いて営業している店も多くなった。また、市中には製粉所や製麺所が急増した。こうした店が自らそば屋をやるところが誕生した。「大谷製麺工場」(青森県青森市)、「日豊庵」(霞が関官庁)、「野口製麺所」(大阪府吹田市)、「塚田そば」(新潟県上越市)など。

「大衆そば屋」

 小麦粉とそば粉の生産地域には同割やそば粉3割といった、小麦粉を大らかに使った田舎そばが人気となり「大衆そば屋」として誕生した。小麦が豊富に生産される地域では、二八や十割そばなどにこだわる必要もなかった。「寝覚屋半兵衛」(山形県鶴岡市)、「長命うどん」(愛知県名古屋市)、「更科」(岐阜県岐阜市)、「一茶宮代」(埼玉県南埼玉郡宮代町)など。

「立ち食いそば屋」

 「立ち食いそば屋」は製麺産業の発展、鉄道の普及とともに誕生した。「立ち食いそば屋」は江戸時代の「屋台そば屋」や明治時代後期の「駅そば」に始まり、「大衆そば屋系」に属する。「そばよし本店」(東京都中央区日本橋本町)、「南海そば」(大阪府大阪市浪速区)、「峠そば」(東京都中央区日本橋茅場町)など多数。

各そば屋の位置づけ

 これら分類されたそば屋はそれぞれが独立して存在しているわけではなく、部分的に重複し、人的交流や移動などを繰り返しながら存在している。

各そば屋の位置付け(筆者作成)
各そば屋の位置付け(筆者作成)

 上記の分類にはどうしても入らないジャンルが存在している。例えばレトロ自販機による販売である。そば屋ではないがそばを売っているという点では同類だ。

大衆そば研究家・出版執筆編集人・コラムニスト

1959年生。東京理科大学薬学部卒。中学の頃から立ち食いそばに目覚める。広告代理店時代や独立後も各地の大衆そばを実食。その誕生の歴史に興味を持ち調べるようになる。すると蕎麦製法の伝来や産業としての麺文化の発達、明治以降の対国家戦略の中で翻弄される蕎麦粉や小麦粉の動向など、大衆に寄り添う麺文化を知ることになる。現在は立ち食いそばを含む広義の大衆そばの記憶や文化を追う。また派生した麺文化についても鋭意研究中。著作「ちょっとそばでも」(廣済堂出版、2013)、「うまい!大衆そばの本」(スタンダーズ出版、2018)。「文春オンライン」連載中。心に残る大衆そばの味を記していきたい。

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