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「戦国の傾奇者」前田慶次の痛快なエピソードは、どこまで本当なのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
傾奇者。(提供:イメージマート)

 山形県米沢市にまつわる戦国武将がビールになったという。中でも「戦国の傾奇者」前田慶次は有名であるが、関係するエピソードがどこまで本当なのか考えてみよう。

 前田慶次は小説やマンガなどで有名になり、その豪快な生き方は多くの人を魅了した。慶次の実父は滝川一益の一族とされ、前田利久(利家の兄)が養父だった。「慶次」と称されているが、近年では「利益」と呼ぶのが妥当と指摘されている。

 慶次の逸話は事欠かない。慶次が上杉景勝に仕える際、3本の大根を手土産として持参し、「大根は見かけが悪いものの、噛めば噛むほど味がでるのは拙者も同じである」と景勝に述べたという。

 慶次が会津に移った頃、ある男が傲慢な林泉寺の和尚を殴りたいと言った。そこで、慶次は勝った者が負けた者を殴るという条件で、林泉寺の和尚に碁で勝負した。慶次は2局目に勝ったので、和尚の顔面を思いっきり殴り逃亡したという。

 慶次は前田利家から、何度も素行の悪さを指摘されていた。ある日、慶次は利家のもとを訪れると、これからは改心するので、自宅で利家をもてなしたいと申し入れた。利家は、慶次が改心したと大いに喜んだ。

 利家が慶次の家を訪問すると、風呂を勧められた。利家が慶次に勧められるまま風呂に入ると、それは水風呂だった。利家は激怒したが、すでに慶次は愛馬の松風に乗って逃亡したと伝わっている。

 「戦国の傾奇者」の慶次が人々を魅了したのは、数々の豪快なエピソードがあったからだろう。慶次は自由奔放に生き、決して権力におもねることがなかった。それは、人々にとっての憧れでもあった。

 実は、慶次の史料は乏しく、『前田慶次道中日記』などがあるにすぎない。したがって、慶次にまつわるエピソードは『常山紀談』や『翁草』といった二次史料にしか書かれていない。それらの書物は、歴史史料として信が置けない。

 慶次を主人公とした小説やマンガなどは、後世になった書物を素材として、脚色を加えたものなのである。つまり、慶次は豪快な人物として伝わっているが、それが史実か否かは、別途検証が必要であり、安易に信じてはいけないのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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