サッカー選手の突然死。カメルーン代表エケングが心臓発作で帰らぬ人に。
5月6日、ルーマニア1部リーグのディナモ・ブカレストに所属するカメルーン代表MFパトリック・エケング(26才)が、試合中に命を落としている。
後半63分に出場したエケングだが、その7分後だった。ピッチ中央で突如として意識を失い、仰向けに倒れ、後頭部を強く打っている。慌てるチームメイトもいたが、敵チームの選手の中には「時間稼ぎでは」(ブカレストが1点リード)と勘ぐり、立たせようと腕をつかむ者もいるなど事態を把握できていなかった。しかし倒れた選手の体は明らかに力を失っており、その異変にすぐドクターが駆け寄るが、一向に意識は戻らない。スタンドはブーイングが止み、ざわめき始める。ピッチに入った救急車で病院に搬送されたとき、ベンチでは首脳陣が顔面蒼白だった。
結局、エケングはそのまま帰らぬ人となっている。死因は心臓発作だが、それに至る理由はまだ明らかにされていない。ピッチで応急手当が行われていたようだが、今後は初期対応についても議論になるだろう(少なくとも、ピッチ上でAEDが施されたようには見えず、心肺停止のまま運び込まれている)。
エケングは昨季までスペインのコルドバに所属し、日本代表FWのハーフナー・マイクのチームメイトだった。カメルーン代表として7試合に出場。26才と前途有望な選手だった。
フォエ、プエルタ、松田らの死は今も多くの人が悼む
こうしたサッカー選手の突然死は、残念ながら世界でいくつか起こっている。
実はディナモ・ブカレストは2000年にも、ルーマニア代表MFカタリン・ヒルダンが試合中の心停止により、蘇生することなく死亡。ヒルダンの背番号11は永久欠番となった。悲劇は繰り返されたことになる。
未然に防ぐことはできなかったのか?
サッカー選手の突然死が世界的な衝撃として走ったのは、2003年FIFAコンフェデレーション杯準決勝、当時28才だったカメルーン代表MFヴィヴィアン・フォエが心臓発作に見舞われ、亡くなった事件だろう。その死因は後に様々に語られている。中1日の大会強行日程(温度30度、長いシーズン直後)というFIFAへの批判も噴出した。ただし、フォエは1試合を休み、中4日での出場だった。結局は原因を特定できず、「自然死」と決着が付いている。
スペイン、リーガエスパニョーラでも2007年に悲しい事件が起こった。
将来のスペイン代表の主力選手として期待されていたMFアントニオ・プエルタが、やはりピッチで卒倒している。一度は治療によって、自らロッカールームへと下がったものの、再び意識をなくし、そのまま戻らなかった。死因は遺伝、もしくは突然変異による心臓疾患で、特発性拡張型心筋症の一種「不整脈源性右室心筋症」と呼ばれるものが直接の原因だったという。
そして2年後、エスパニョールのダニ・ハルケは遠征合宿で練習を終えてホテルの部屋で休んでいるとき、急性心筋梗塞で亡くなった。恋人との電話中に通話が途切れ、不審に思った恋人がクラブ関係者に心配して連絡し、ようやく発見されたのだが、すでに手遅れになっていた。ハルケの死は大きなショックとなり、今も関係者の傷は癒えていない。
一方、これらの突然死を予測するのは、いかにメディカルチェックを万全にしても簡単ではない、と言われる。とくに心臓への負担に起因する場合が多い。冠動脈の疾患を筆頭に、肥大型心筋症,僧帽弁逸脱,弁膜症などが考えられる。その点はケアする余地はあるが(心拍数をいきなり上げない、規則正しい生活など)、予防医療には限界がある。結局のところ、初期治療の充実が求められるのだろう。起こってしまったときに、いかに迅速に対応できるか。
日本でも、2011年夏に松田直樹が練習中に倒れ、そのまま亡くなるという悲劇が起きた。病名は「急性心筋梗塞」だった。意識が途切れる直前、松田自身は周りに身体の異常を訴えていた。現場で懸命の応急措置を受けたも、当時はAEDがなかったことで心肺停止状態が50分間も続くことになってしまった。集中治療室では、冠状動脈のつまりをワイヤで取るカテーテル手術を受けたが、劇的な回復は見られなかったのである。
一つ言えることは、ピッチで誰かが倒れる姿は誰も見たくないと言うことだろう。そして、もしそんな起こってはならないことが起こったとき、対応できる準備ができているか。例えば日本ではAEDの普及活動が活溌になった。サッカー選手の命を守る、そのことが改めて問い直されているのかもしれない。