「ダイハード・ブレグジット」の行方 転んでもただは起きぬイギリスの勝算とは
ルビコン川を渡った
英国のデービス欧州連合(EU)離脱担当相は2日、下院でEU離脱交渉に臨む政府方針をまとめた「白書」を公表しました。
リスボン条約50条に基づく交渉開始をEUに通告するには議会の承認が必要という最高裁の判断を受け、下院は1日に審議を行い、494対114の圧倒的大差で政府による交渉開始の通告を承認しました。
EU離脱の交渉開始を通告する法案は8日にも下院を通過。メイ政権は3月7日までに上院で可決し、同月9、10日にブリュッセルで開かれるEU首脳会議で交渉開始を通告したい考えです。
昨年6月の国民投票時、下院は残留派479、離脱派158と残留派が圧倒的に多かったのですが、離脱52%、残留48%という国民投票の結果を受け、情勢は大きく変わりました。国民投票の結果をそのまま総選挙に落とし込むと定員650中421議席が離脱派という現実を前に「議会主権」の下院は有権者にかしずかざるを得なかったのです。
お調子者のジョンソン外相は「歴史が作られた」と胸を張りましたが、EUの単一市場と関税同盟から離脱してグローバル・ブリテンを目指すという英国の未来を保証するものは何一つありません。デービス離脱担当相はしかし「EUを離脱した後にも英国にとって最高の日は来る」と強気を崩しませんでした。
EU離脱白書はメイ首相が先のブレグジット演説で示した12のポイントを改めて確認したものです。12のポイントをおさらいしておきましょう。
(1)EU離脱について確信と明確さを提供する
(2)英国の立法権を取り戻す
(3)連合王国の結束を強める
(4)アイルランドとの歴史的な絆と移動の自由を保持する
(5)EU移民を制限する
人・モノ・資本・サービスの自由移動を認めた単一市場が破綻した大きな原因は、経済格差の大きい旧東欧・バルト三国のEU加盟を急ぎ過ぎたことと、単一通貨ユーロ圏の失業率が高止まりして失業者が英国に大量に流入したことにあります。
景気の回復が早かった英国へのEU移民流入が急増したことが上のグラフから分かります。キャメロン前首相は移民のネット増を年間10万人以内に抑える目標を掲げましたが、2014年も15年も30万人を超えました。赤線で囲ったNet EU2(ルーマニア、ブルガリア)の割合が急激に拡大しています。
上のグラフを見ると、ポーランドやルーマニアといった新規加盟国、ポルトガル、イタリアといった失業率が高い国からの移民が多いことが分かります。
EU移民はしかし、労働力の重要な供給源であることから、白書は慎重に制限策を検討すると述べるに留めています。大学やICT(情報通信技術)の研究・開発分野など高度人材の確保を優先させ、産業界が必要とする労働力は受け入れると筆者はみています。
(6)英国のEU市民、EUの英国市民の権利を守る
(7)労働者の権利を守る
(8)欧州市場との自由貿易を保証する
メイ政権のハードブレグジット路線に反対して辞任したロジャース駐EU大使は「離脱交渉は途方もないスケールになる」「欧州委員会の交渉担当者は『英国は離脱に際し400億~600億ユーロを支払わなければならなくなる』『新しい貿易協定を結ぶのに20年代半ばまでかかる』と言っていた」と証言しました。
EU解体を何より恐れるブリュッセルはEUの締め付けを強めるため「良いとこ取りは絶対に認めない」と英国と一戦を構える勢いです。これに対して英国の離脱強硬派はEUとの交渉期限の2年以内に新しい貿易協定を結べると楽観的です。
上のグラフを見ると、英国の対EU貿易は大赤字であることが分かります。貿易赤字国が無関税の自由貿易を継続しようと言っているのに、EU側の貿易黒字国が例えば自動車に10%、自動車部品に5%の域外共通関税をかけるというのは経済原則に反しています。
しかも欧州のサプライチェーンはもはや切り離せないほど一体化が進んでいます。
EUは世界各国と意欲的に自由貿易協定(FTA)を結び、関税撤廃を進めています。EU離脱を決めた英国にいくら腹が立つからと言って自動車に10%の域外共通関税をかけてどうなるのでしょう。相互利益を考えると、いずれ関税は撤廃しなければならないのに、一時の感情に任せて「懲罰関税」をかけるのが賢明なのかどうか。
英国が得意にするサービス貿易の主砲である金融サービスについて英国はEU域内ならどこでも営業できる金融シングルパスポートを断念する姿勢を示しています。金融セクターが痛むとそれでなくても大赤字の英国の貿易収支はさらに悪化します。ここまで大胆に下りているのにEUが妥協しないわけがないという読みがメイ政権には働いているのです。
金融シングルパスポートが使えなくなると英国の5千社に影響が出ますが、EU側の8千社にも支障が出るのです。離脱交渉は双方のダメージを最小限にする方向で動くと筆者は見ているのですが、ブリュッセルの政治家、官僚は「英国にはこの際、目にモノを見せてやる」と息巻いています。
これまで強くEU残留を主張してきたロンドンの金融街シティーのロビー団体「ザ・シティーUK」は「英国のEU離脱は英国の貿易と投資を押し上げる一世代に一度しかないチャンスだ」とグローバル・ブレグジットに大きく舵を切りました。
終わったことは振り返らない、転んでもただでは起きないのが通商国家・英国の現実主義です。
(9)EU域外の国々との新しい貿易協定を確実にする
英国の主要な輸出相手国は上のグラフで囲んだようにEU加盟国ですが、米国が断トツです。メイが評判のよろしくないトランプ米大統領に真っ先に会いに行ったのは米国とFTAをスピーディーに結べるかどうかがEU離脱後の英国にとって死活問題になるからです。
過去10年間の財とサービスの輸出の成長率を国別に見ると、EU加盟国(赤い星印)はそれほど高くありません。このため英国はEU関税同盟のくびきを逃れて、成長が見込める新興・途上国と英国に合ったFTAを結んでいきたいのです。
ノルウェーやスイス、カナダ、トルコがEUと結んでいる貿易協定を見ておきましょう。メイ政権はスイスとカナダの間を着地点に設定しているようです。
(10)英国が科学と技術革新にとって最高の場であることを保証する
(11)犯罪とテロ対策でEUと協力する
(12)円滑で秩序あるEU離脱を実行する
英国にとって最悪シナリオは交渉期限の2年が経過した19年3月末に何の合意もできないままEUから放り出されることです。筆者は双方が「円満離婚」を選択するとみているのですが、ブリュッセルが英国をEU生き残りのための生贄にするつもりなら、欧州は再びカオスの震源地になるでしょう。
英国もEUもブレグジットを双方の未来に活かしていくのが賢明だと筆者は思うのですが、「英国が経済より感情(移民制限)を優先させたんだから、EUも経済より感情(制裁)を優先させる」という声がEUからは響き渡ってきます。
【今後の日程】
17年3月9、10日、EU首脳会議でEU離脱の交渉開始を通告か
17年3月、オランダ総選挙
17年3月末、EUに離脱交渉の開始を通告する期限
17年4~5月、フランス大統領選
17年秋、ドイツ総選挙
18年9月末、離脱交渉取りまとめ
19年3月末、英国はEUを離脱
19年6月、EU欧州議会選
(おわり)