Yahoo!ニュース

バイナリー思考が招く乱暴なウィズコロナへのハードランディング:賢いウィズコロナを目指すには

原田隆之筑波大学教授
(写真:イメージマート)

第8波の中の年の瀬

 新型コロナウイルス感染症が世界的な拡大を見せてから、3年目の年が終わろうとしている。この間、われわれは7度の感染拡大の波を乗り越え、今は第8波の真っ只中である。

 ここ2回の感染の波が以前と異なっているのは、「緊急事態宣言」のない、いわば「ウィズコロナ」を見据えたものとなっていることだ。そして今、3年ぶりに行動制限のない年の瀬を迎えている。

 オミクロン株が主流となって、そしてワクチンの効果もあって、重症化率や死亡率は低くなっている。一方で、感染者が激増していることは間違いなく、母数が増えれば重症者や死者が増えることは、これまでの経験からも明らかだ。事実、12月下旬以降、毎日の死者数は300人前後となり、12月28日には初めて400人を超えて過去最大を記録した。

 したがって、マスク装着、手指消毒、三密回避、こまめな換気などの基本的な感染防止策は、これからもまだまだ継続する必要がある。

極端なウィズコロナ

 しかし、ここのところ、あちこちで「コロナはもう終わった」「もはやただの風邪と同じ」「感染防止策は必要ない」といった「極端なウィズコロナ」を主張する人が増えている。

 引き続き注意を呼びかける専門家やそれを支持する人々と、今すぐの日常化を求める「コロナはただの風邪」派の人々の二極化や分断も見られる。そして、後者の人々のなかには、感染対策をことさら敵視して、極端な言動に出る人もいる。

 たとえば、ノーマスクで飛行機や百貨店などを利用しようとしてトラブルを起こす人、コロナに関するデマを流す人、発熱など症状があっても検査を受けずに市販薬を飲んで出歩く人など、さまざまな人々がいる。

極端なウィズコロナの心理

 彼らの主張で特徴的なのは、「白か黒」「0か1」かを求める単純な「バイナリー思考」である。そして、「マスクは無駄」「ワクチンは打つな」などと、すべての対策を即刻やめるように声高に主張する。

 たとえば、マスクについては、「着けないか」「着けるか」の「0」か「1」の選択ではなく、その間にいろいろな選択肢がありうる。厚生労働省もマスクに関する方針について、「マスクについては、場面に応じた適切な着脱をお願いします」と述べている。そして、屋外、屋内、大人、子どもなど、場面や年齢に応じたマスクの着脱を推奨している。

 バイナリー思考に陥るのは、人間の心理の癖にその理由がある。「〇〇のときには、こうしましょう」といった「条件付きの思考」が苦手な人が一定数いるのだ。なぜなら、このような思考にはある程度の知的努力が必要で、どんなときにマスクをすべきか否かなど、状況に応じて適切な行動を選択する認知的作業をしなければならない。

 もちろん、それを難なく実行できる人が大多数である。しかし、バイナリー思考の人は、状況を読み取ることや、それに合わせて適切な行動を取るということが苦手である。世の中は0か1ではなく、その間にはさまざまなグラデーションがあるのに、その複雑さを無視したくなる。つまり、日常的に「認知の手抜き」をしているのである。

 さらに、こうした人々は確率的思考も苦手である。0と1の間にグラデーションがあるということは、さまざまな感染防御策によって、「リスク(罹患する確率)を減らす」ということである。マスクをしても、ワクチンを接種しても、感染する確率を「0」にすることはできない。しかし、だからと言って、それらには意味がないことにはならない。リスクという確率は確実に低下している。

阿波踊りと感染爆発

 特に気になるのは政治家や専門家の中にもこうした「極端なウィズコロナ」の主張をする人々が見られることだ。彼らは一般の人々と違って影響力が大きいために問題である。

 たとえば、今年を振り返ると、夏の第7波の真っ只中にこのようなことがあった。

 徳島県では8月のお盆の時期に、3年ぶりに阿波踊りが開催された。待ちに待った開催ということで、沢山の人々が踊りに興じたことが報道された。

 しかし、その最中や直後から、踊り手の間に感染が急増し、最終日を待たずに出演辞退する「連」が多発した。最終的には、踊り子の4人に1人が感染したという。

 そして、その後も徳島県の感染者数は爆発的に増加し、一時は1日3,000人という数にまで至った。東京都の人口で換算すると、約57,000人という数になる(東京都の過去最多は40,406人。感染者増加率は日本一となり、医療逼迫も深刻な事態に陥った。

 映像を観る限り、踊り手達はフェイスシールドをしている人が多く、盛んに声を出し合って密な状態で踊っている。今どきフェイスシールドの効果を信じているなら時代錯誤も甚だしく、まさに感染対策しているつもりのポーズでしかないだろう。

無責任な主催者と徳島市長

 主催者の阿波踊り実行委員会は、感染拡大を受けて「どこで感染したかわからない」とコメントしたと言うが、責任逃れも甚だしい。防御策を軽視し、感染リスクの大きな行動をしたという自覚がないなら、大規模イベントを開催する資格はない。

 特に批判が集まったのは内藤佐和子徳島市長で、阿波踊り直後の感染爆発のさなか、多くの市民が医療も受けられずに苦しんで不安な状態にある真っ最中でも、感染状況には一言も触れず「それでも私は前を向く」などと呑気なポエムをツイートしていた。

 その後の定例会見や市議会の定例会で、市長は「(感染拡大を)阿波踊りを要因とするのとは違う」「ウィズコロナの状況で経済活動をどのように続けていくかが重要な課題だ。今年開催していなければ伝統をつないでいくことは厳しかった。実行委員会の判断は英断だった」と評価していた。

 一方、徳島新聞が行ったアンケートでは、市民の9割は「阿波踊りと関連がある」との認識を示し、市民の間に不安が増大していることを報じていた。

 もちろん、阿波踊りと感染爆発の因果関係の推定には慎重になるべきである。しかし、県知事や市長は、お盆の帰省や移動を感染増大の理由の1つに挙げており、だとしたらそのリスクが高まることは初めからわかっていたわけである。そのリスクの高い時期にあえて無防備な状態で、「ハードランディング開催」したことには明確な責任がある。

黙食中止に踏み切った千葉県知事

 また最近では、熊谷俊人千葉県知事が12月22日付けで「学校における感染対策ガイドライン」を改訂し、黙食の見直しなどに踏み切った。その趣旨として知事は、「社会全般で行動制限の緩和が進められる中で、子どもだけが過度な制限を課せられるのは合理的でない。学校だけが取り残されないよう今後も適宜、見直す」と述べたという。

 黙食が「過度な制限」「合理的でない」かどうかは、議論が分かれるところである。また、家族に高齢者がいたり、子ども自身に基礎疾患があったりする場合もあるだろうし、黙食などコロナ対策に関する意見は人それぞれである。

 しかし、黙食見直しに懸念を寄せた千葉県民(医療従事者)の個人的なツイートに対し、知事は自らのツイートで「では、貴方は全ての食事において他人と対面せず、かつ黙食を今後も続けて下さい」など揶揄し、多くの批判にさらされた。

 これなどまさに、典型的なバイナリー思考である。しかも、批判や不安を述べた有権者に対し、それを受け止めて真摯に回答するどころか、多様な意見をシャットアウトし、色をなしてあざけるような言動に出るのは、政治家としての姿勢に大きな疑問符を抱かざるをえない。

 そしてもう1つ大きな疑問は、なぜこのタイミングなのかということだ。なぜ感染拡大期の真っ只中でそれをやるのか。しかも、今年は各地でインフルエンザの流行も見られ始めている。

乱暴なハードランディング

 ここで見てきた例のように、

  •  今まで3年我慢してきたので、今年は盛り上がろう
  •  子どもに黙食を強いるのはかわいそうだから、一気にやめよう

 これらは、単なる感情論であり、合理的な思考や科学的なエビデンスを完全に無視している。

 もちろん、経済や伝統を守ること、子どもの健全な発達を守ることは、感染対策と同じくらい、あるいはそれ以上に重要である。しかし、徳島の例も千葉も例も、どちらの対策も極端な1か0のバイナリー思考に陥ったうえでの「ウィズコロナへの乱暴なハードランディング」としか言いようがない。

 「ワールドカップでは誰もマスクをしていなかった」「欧米ではもう平常に戻っている」などと海外と比較する人も多い。しかし、たとえば、「OECD加盟国のなかで、日本はコロナ死亡率が最も低い」「コロナで110万人が死亡したアメリカでは2年連続で平均寿命が約1歳ずつ低下している(その原因の半数はコロナ)」という事実を知っているのだろうか。

 こうしたデータを見ずに、マスクをしていないという表面的なことだけを見て(実はアメリカでも結構な割合でマスクをしている)、自分の主張にあった事実のつまみ食いをするのは典型的な「確証バイアス」であり、これも代表的な認知の手抜きである。

賢明なウィズコロナに向けて

 ウィズコロナ以外に、おそらくわれわれの選択肢はない。そして、来年もますますその方向性は加速していくだろう。

 しかし、ウィズコロナ政策は、科学的根拠に基づき、専門家の助言を踏まえた方法に即して慎重に進めるべきだ。これまで「1」だったものを、いきなり「0」とするのは、上で見てきたように、乱暴なハードランディングであり、愚かなウィズコロナでしかない。海外はどうのこうのと言う人もいるが、なぜわざわざ失敗例に倣う必要があるのだろうか。

 かつてのように、今はコロナを必要以上に恐る必要はない。だからといって、現実逃避的に「コロナは風邪」などと言うのは反科学的主張にすぎない。

 希望と事実を混ぜてはいけない。コロナをないことにして不安や不満を紛らわせようとしても、コロナはなくならないし、逆にそれが長引いてしまうだけだ。エンデミックを目指して、賢く科学的にソフトランディングをすることこそ、われわれが目指す方向だと言えるだろう。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

原田隆之の最近の記事