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SNSで医師への誹謗中傷が多発する理由ー誹謗中傷は社会を蝕む麻薬である

原田隆之筑波大学教授
(写真:イメージマート)

医師への誹謗中傷

 大阪大学の忽那賢志教授が、医療従事者向けの情報サイトM3において、X(旧ツイッター)での自身への多数の誹謗中傷への開示請求が認められたことを明らかにした。忽那教授は、コロナ禍において、熱心に診療や情報発信に従事してきた専門家である。

忽那教授はまた、ヤフーオーサーとして、週1回のペースで科学的な情報をわかりやすく発信してきた。コロナ禍で医療や研究の最前線で奮闘する傍ら、毎週ヤフーニュースの記事を執筆することがどれだけ大変なことか。私も同じ書き手の一人として、その大変さは想像に余りある。それは、未曾有の危機のなかで、専門家としての責任を果たしたいという信念や責任感の表れであるに違いない。

 ところが、その忽那教授に、Xなどで轟々たる誹謗中傷がなされているのだ。以前、ヤフーニュースの企画で、忽那教授と対談した際にも、そのことをこぼしておられたが、私は即座に法的手続きを取ることを勧めた。しかし、そのときには「そうですよね、でもやり方がわからないので」と消極的な様子であった。

 しかし、その後も誹謗中傷がやむどころか、ますます激しくなる一方であるため、法的手続きを決意したのだろう。私もときどき忽那教授のXアカウントを見て、暗澹たる気持ちになっていたが、その誹謗中傷たるやすさまじいものがある。 

 なんと今回の開示請求では、特に悪質な誹謗中傷をした50ものアカウントを対象にしたという。それは担当の弁護士もひるむほどの数と内容であったそうだ。そして、そのすべてが裁判所で認められたそうだが、そこに至るには300万円もの大金を投じたというから、並大抵のことではない。

 おそらく、これは私の想像でしかないが、自分自身への誹謗中傷だけならまだしも、職場や家族にも脅威が迫っているという危機感があったかもしれない。また、医師の誇りをかけて奮闘してきたことに対する罵詈雑言は、医師という職業や医学に対する挑戦であるとも受け止めたのかもしれない。

続々と法的措置を取る医師

 ネット上の誹謗中傷に対し、法的手続きを取っているのは忽那教授だけではない。X を見る限り、ヤフーニュースのコメンテーターでもある埼玉医科大学の岡秀昭教授、医師でミステリー作家の知念実希人氏、コロナやワクチンに関する情報発信サイト「こびナビ」の副代表であった木下喬弘医師などが、それぞれに対する誹謗中傷に対して法的措置を取っていることを明らかにしている。

 こうした著名な医師、情報発信を熱心に継続してきた医師に対して、どのような誹謗中傷がなされているか。その内容は、背筋が寒くなるような恐ろしいものばかりである。殺人予告、「夜道に気をつけろ」といった脅迫、「人殺し・詐欺師」という犯罪者呼ばわり、家族や個人的な写真のバラマキ、「ヤブ医者・偽医者」といった専門性を貶める暴言、容姿の嘲笑など枚挙に暇がないほどだ。

 さらに、法的措置を取るとは明言してない医師、専門家にも同様の攻撃が多発している。標的にされているのは、新型コロナウイルス感染症対策分科会(令和5年9月1日に廃止)のメンバーや、コロナ禍でテレビに多数出演していた著名な専門家などである。

なぜ誹謗中傷をするのか

 なぜ、彼らはコロナ禍で指導的立場にあった専門家に対して、執拗な誹謗中傷をするのだろうか。共通して見て取れるのは、個人的恨み、ゆがんだ正義感、面白半分、オンラインリテラシーの欠如などの理由である (1)。さらには、数々の心理的バイアスの存在も指摘できる。 

 個人的恨みというのは、コロナ禍の行動制限などによって、自分の職業や経済的立場に影響が出たというケース(負債、業績不振、倒産、解雇など)もあれば、単に「上から目線で行動制限や感染対策などを指示されたことが気に入らない」という子どもじみたものまでさまざまなものがある。

 しかし、これらはお門違いも甚だしい。言うまでもなく行動制限のような強力な措置は、専門家が判断を下すことはできず、助言はしたとしても最終的な判断は政治家が下したのであり、政治判断にほかならない。専門家は、あくまでもその専門知識と専門家としての責任と良心に従って最善の方法を助言しただけである。

 しかも、結果を見ても、世界中で日本ほどコロナによる死亡などの悪影響を抑制することに成功した国はないと言っても過言ではない。感謝されこそすれ、恨みを向けられるなどもってのほかだ。

 さらに、コロナが猛威を振るい、ワクチンや治療薬もなかったころ、ほとんどの日本人は、進んで感染対策を取り、行動の自粛もしていたはずである。しかし、今になって「そんな必要はなかった」「大袈裟に騒ぎすぎた」などと言うのは、後出しジャンケンのようなもので、後知恵にすぎない。

 心理的バイアスとしては、敵意帰属バイアス因果推論の誤りなどが指摘できる。敵意帰属バイアスとは、相手には敵意などないのに、そこに誤って敵意を読み取ってしまうことを指す。今回のケースで言うと、医師がワクチン接種を勧めたことに対し、自分や社会に対する「敵意」を読み取ってしまい、彼らのせいで混乱が生まれたなどと思い込んで、挙句の果てに攻撃的言動を取ってしまうのである。このような敵意帰属バイアスは、オンライン上の攻撃的言動の原因となりやすいと指摘する研究は数多く存在する (2)。

 因果推論の誤りとしてよく見られるのは、前後関係と因果関係を取り違えてしまうことである。たとえば、ワクチン接種後に体調を崩したというエピソードにおいて、ワクチン接種と体調の変化は前後関係にすぎないのに、それを拙速に因果関係であると決めつけてしまう人がいる。この時点では、ワクチン接種は原因(の1つ)であるかもしれないが、そうでないかもしれない。それは綿密に医学的な検証をしないとわからない(検証をしてもわからないこともある)。

 極端な言動を取りがちな人たちは、このような曖昧な状況では不安を抱きやすく「曖昧さ耐性」が欠如しているという指摘もなされている (3,4)。曖昧な状況ではストレスを抱き、「0か100か」の極端な白黒思考に陥りやすいのだ。

ゆがんだ正義感の暴走

 誹謗中傷のなかでは、「ゆがんだ正義感」に基づくものが一番悪質化しやすい。「ゆがんだ正義感」を抱いている者は、コロナ対策で経済的危機を招き、社会を混乱させたのは専門家の責任であり、それを罰してやりたいという彼らなりの「正義感」から、専門家を攻撃するのである。 

 そして、自分たちは正しいと思い込んでおり、社会に混乱をもたらした専門家は誹謗中傷されて当然だと考えているところが始末に負えない。「正義」に基づく行動は、とかく暴走しやすい。それは、罪悪感を中和してしまうからだ。

 ほかにも、前述のような心理的バイアスも相まって、専門家がワクチンを推奨したせいで多数の「ワクチン後遺症」「薬害」が発生しているとか、学校行事などを制限したために子どもの発達に悪影響が出たとか、因果関係が不明確な事象をとらえて、その責任を断罪しようとしているものもある。

 しかし、本人は「社会正義」のつもりであっても、その前提が間違っていたり、責任や因果関係が不明確であったりするわけであり、それらを動機として誹謗中傷を行うというのは、正義どころか明らかに「反社会的」である。

 もちろん、反対意見を持つことや批判をすることは自由である。言論の自由は何人にも保障されているので、批判をしたいならば、批判すればよい。しかし、批判というものは、相手に敬意を持ちつつ、冷静な意見を合理的な根拠とともに述べるべきものである。

 「人殺し」「ゴミ」「クズ」などという攻撃的な言葉を投げかけていたのでは、そもそも議論が成立しない。それは言論ではなく、言語による卑劣な攻撃であり、場合によっては犯罪行為である。真の正義の味方は、誹謗中傷のような卑劣な行動などしない。

コロナの猛威のあとで

 コロナ禍では多くのものが失われた。不幸にして亡くなったり重度の後遺症を負ったりした人、高齢の親や祖父母に長らく会えなかった人、経済的危機に陥った人、人生設計の変更を余儀なくされた人、楽しみにしていた計画や行事が中止になった人など、さまざまな苦しみや悲しみが生まれた。程度は違えども、それぞれに皆がダメージを受け、その傷がまだ癒えていないのが現在である。

 そして、今われわれが目にしているのは、コロナが猛威を振るった瓦礫のなかで、人の心までも荒廃してしまったかのような光景である。

 憎むべきはコロナという感染症であるのに、目に見えないウイルスや人格を持たない病気を攻撃しても仕方がないので、いきおいその憎悪が目の前の著名な医師や専門家に向かっている。それはあたかも、雨が降って遠足が中止になったとき、だれかを「雨男」だと見立てて個人攻撃しているのと同じことで、きわめて幼稚な心理である。

 しかも、本人はそんなことをしても何の解決にもならないことに気づいていない。一時的な気晴らしにはなっても、攻撃する相手が間違っているので、何も解決しないのは当たり前のことだ。

誹謗中傷の依存性

 これは依存症の心理にも通じるところがある。たとえば薬物依存症やアルコール依存症になる人は、不快なことや嫌なことがあると、問題の根本解決を図るのではなく、クスリや酒に頼って、一時的に気分を紛らわせようとする。

 すると、即効性のある心理的「効果」がもたらされるので、その手段にばかり頼るようになる。つまり、何かにつけ不快な問題の真の原因や対策から目をそらし、一時的な気休めを求めてクスリや酒に溺れるようになる。

 誹謗中傷にも麻薬のような中毒性がある。鬱積した不快感や不安感をわかりやすい相手に吐き出せば、一時的な心の平穏が訪れたような錯覚を覚える。さらには、ゆがんだ正義感に浸ることもできる。しかし、それでは結局何も解決しないので、一時的な高揚感などが覚めれば、またネガティブな感情にさいなまれて、果てることなく誹謗中傷を繰り返すのである。 

 そして、それが簡単にできてしまうのがネットやSNSの恐ろしいところである。著名な医師に直接会うことはなかなかできないし、もし直接会ったとしても、面前で暴言を投げかけるということには普通ブレーキが働くものだ。しかし、SNSではそのブレーキもきかない。しかも、「いいね」が付いたり、支持的なコメントがあったりすると、それで自分の誹謗中傷が認められたような気になってしまう (5)。

 ここで気づいてほしいのは、それはいびつなフィルターバブルの中での「いいね」にすぎないということだ。自分の言動を親や子ども、友人(SNS上のバーチャルな友人ではなく)が見たらどう思うか、「いいね」と言ってくれるだろうか、それを冷静に考えてみるべきだ。

 さらに、酒や麻薬の依存症には直接の「被害者」はいないが、誹謗中傷の先には、生身の人間がいる。つまり、軽はずみな気持ちから「被害者」を出してしまえば、当人は「加害者」ということになる。そして、事が明るみに出れば、最悪、家族の信頼、仕事、仲間などを失うことになってしまうかもしれないし、自身の尊厳や人間性も蝕まれてしまう。

 つまり、誹謗中傷は、本人の人間性を蝕み、周囲や社会との関係性まで壊してしまう恐ろしい麻薬である。

社会全体の問題として

 岡教授は、度重なる深刻な誹謗中傷を受けても、発信はやめないと公言している。卑劣な言動によって口を閉ざしてしまえば、それは相手の思う壺であるし、言論の自由を封殺されたことになってしまう。さらに、科学的な情報よりも、主観的でバイアスに満ちた危険な医療情報が拡散されてしまうことにもつながる。岡教授の勇気と責任感に対し、心からの敬意を表したい。

 悪貨が良貨を駆逐するようなことを許してはいけない。医療に関するデマや誤った情報は、われわれ一人ひとりの生命や健康を脅かすだけでなく、社会全体に対しても計り知れない悪影響をもたらしてしまう。その意味で、われわれ自身が、専門家とその発言を守り、誹謗中傷などの攻撃に明確な「ノー」を突き付ける必要がある。

 つまり、われわれは、匿名をいいことに医療者を攻撃し、その口をふさごうとする卑劣な行為に対して、単に当事者間の個人的な問題としてとらえるのではなく、社会全体の問題として認識しなければならない。そして、誹謗中傷や非科学的な誤情報の拡散は許さないという決意とともに、断固たる対策を講じていく必要がある。

参考文献

1 Jenaro C et al.. Agg Vio Behav. 2018.

2 De Castro et al. Child dev 2002.

3 Furnham et al. Curr psychol 1995.

4 DeWall et al. J pers soc psychol 2009.

5 Chatzakou D et al. WebSci. 2017.

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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