【富士宮市】江戸時代に盛んに行われた観音霊場巡礼地が刻まれた巡拝塔が奉納された『粟倉観音堂』
粟倉2区公会堂のすぐ近くに位置する『粟倉観音堂』。
かつては石原、二又に祀られていましたが、その後現在の地に遷されたと言われています。
観音菩薩は古くから広い信仰を集め、江戸時代には「四国三十三所」・「坂東三十三所」・「秩父三十四所」の三霊場をはじめ、各地に観音霊場が開かれ、庶民の間に観音霊場への巡礼が流行しました。
また巡礼を果たした記念に観音霊場巡拝塔を立てることも行われていました。
江戸時代、富士宮市・富士市には観音霊場を巡る富士横道観音霊場巡りがありました。富士横道観音御詠歌から、第一番札所の東町にある宗心寺にはじまり、星山にある大悟庵に終わる、第三十五番札所寺院を知ることができますが、現在では廃寺になっている霊場も多く、霊場巡りは行われていません。
戦前は盛大なお祭りをしていましたが、衰退し、昭和49年夏から再興されたという地元の方々に信仰されている粟倉の観音様。
まだ新しく見えるお堂は平成11年に粟倉二区の区民一同によって新築されました。
毎年7月に大祭を行っています。また12月には観音講として有志によるお経が続けられています。
お堂の中には聖観音が3体祀られていて人の悩みを聞き、力を与えてくれると言われているそうです。
観音像には江戸時代の年号『寛保』、『延享』と巡礼地名『横道』、『西国』、『坂東』、『秩父』が刻まれています。
また竜神の霊力を供えているので、お祭りの日には良く雨が降るのだとか。
お堂の横に並んでいる9体の石像などについて、看板に説明がありました。
向かって右4体は富士山南陵工業団地区域に分布していた馬頭観音を合祀したもので、巡拝塔、観音、石経塔、観音、祠と並んでいます。
粟倉観音堂前の道は、村山浅間神社までの道者道でした。道者道とは富士登山者の通る道のことです。富士登山は心身を清める修行の意味があり、多くの道者が行き来した道です。
富士横道観音霊場巡りの札場では廃寺になってしまっているところも多いですが、地域の方に守り敬われている観音堂の姿は、区民の方々の地域愛の深さを感じさせてくれるものでした。
粟倉観音堂:粟倉二区公会堂から約40m