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渡辺元智監督勇退。そこで「厳選・横浜名勝負」 その8

楊順行スポーツライター

2001年8月19日 第83回全国高校野球選手権大会 準々決勝

横  浜 010 010 002=4

日南学園 000 010 100=2

日南・寺原隼人は持ち前の速球が走らない。8回まで同点ながら、活発に攻めるのが横浜で、日南打線は左腕・畠山大にわずかヒット2本。いずれも長打でかろうじての同点だ。9回寺原は、二死三塁までこぎ着けたものの、そこから四球2つで二死満塁。ここで途中から守備についた大塚雄が右前にヒットし、勝負を決めた。

98年で一区切りをつけたかった渡辺元智監督だが、99年のセンバツに出場できたことで、再度モチベーションを高めていた。99年夏は出場を逃したが、00年夏はベスト8入り。01年は、2年連続10回目の夏だった。

「難敵はやはり、テレビ中継のスピードガンで154キロを記録した寺原君の日南学園でした。ただ、ミーティングで生徒にいったんです。"オマエらね、150キロと騒いでも、試合になったら1球か2球しかないんだ。平均では140キロ台なんだから、150キロという数字を気にするな"。

それとビデオを見ていて感じたのは、寺原君はほぼバントという局面では、スーッと130キロ台のボールを放ってくるんです。バントをさせれば、走者を殺せる能力がありますから。じゃあ、そのスーッとくるボールを逃す手はないじゃないか、打ってしまおうと徹底していました。

そして2回の攻撃です。五番の北村(幸亮)が二塁打で出まして、まずバントが想定されるところ。実際、打席の田仲(勝治)もバントのかまえです。案の定寺原君は、初球簡単にストライクを取りにきました。これを田仲がバスターでセンター前にはじき返した。バント警戒で前に出ていたセカンドの右をすり抜けたんですから、思惑通りの1点でした」

バスターの1点が与えた衝撃

寺原にとっては、ショックだっただろう。ほぼ100パーセント、バントが想定される場面で強打とは……。横浜打線は、何をやってくるかわからない。気を抜いたら、一気にやられてしまう。逆に横浜にとっては、150キロとはいっても、いつでもとらえられるじゃないか、という自信になった。終わってみれば、寺原に8本のヒットを浴びせている。

「それと、最終回の二死満塁から決勝打を打ったのが、大塚という選手です。最初は四番を打たせていた松浦(健介)がまったくの不調でね。この日は七番に下げていたんですが、やっぱり当たりが出ずに8回の守りから大塚に代えていたんです。その大塚が決勝打ですから、勝つときというのはそういうものですね。

ただ……このチームも優勝しておかしくなかったね。準決勝の日大三との試合は、最大5点差あったのを9回に追いつくんです。流れとしては、ふつうはウチのものでしょう。ただ追いついた9回に、スクイズ失敗で勝ち越せなかったのもあって、その裏にサヨナラ負けです。センバツは延長のサヨナラ負けが2回ありますが、夏は初めてじゃなかったかな」

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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