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驚異の60メートル疾走。”ワールドカップ最速の男”ムバッペがもたらしたフランスのベスト8進出。

豊福晋ライター
誰にも追いつけないスピードで2得点を決めたムバッペ(写真:ロイター/アフロ)

 Supersonique (スーパーソニック、超音速)。

 フランスでキリアン・ムバッペにつけられたニックネームだ。

 アルゼンチンを破りベスト8進出を決めたフランス。勝利に導いたのはひとりでアルゼンチンを翻弄し、2得点を決めた19歳のムバッペだった。

 圧巻は先制点につながるPKを奪取したプレーだ。

 ムバッペは自陣からドリブルをスタート。ワントラップでタグリアフィーコを振り切ると、寄せるマスチェラーノを加速で抜き去り、最後はロホに正面から勝負を仕掛ける。ロホは体を使ってなんとか止めようとし、それがPK判定になった。ロホの責任ではない。ああでもしなければ、ムバッペは止まらなかったのだ。

 ピッチの約60メートルを7秒で疾走したムバッペ。PKを決めたのはグリーズマンだったが、彼が単独で勝ちとった先制点だった。

 ”ムバッペを止められなかった”

 ほぼ全てのアルゼンチンのメディアはそう報じ、敗因は彼を抑えられなかったことにあったと分析している。

 ムバッペは時間の経過とともにさらにギアを上げ、2つのゴールを決める。

 エリア内の混戦から強引に縦に抜けて左足で決めた1点目。2点目はカウンターから右サイドを疾走し、ジルーのパスを冷静にゴールに流し込んだ。

 3つのゴールは、いずれも彼の爆発的なスピードが生んだものだ。

時速36キロを生み出す両脚に流れる血

 ワールドカップ最速の男だろう。

 その両脚には良質の血が流れている。

 

 フランス代表が世界を制した1998年の冬、ムバッペはパリ郊外のボンディという地区に生まれた。両親はカメルーン人とアルジェリア人。父ウィルフリードは20年以上サッカーのコーチをしていて、母のファイザはハンドボールの元プロ選手だった。典型的なスポーツ一家。アスリートのための肉体を、生まれながらに持っていた。

 環境もその資質を大きく伸ばした。郊外の集合住宅で育ったムバッペは幼少期にサッカーを始め、近所に集まる何歳も年齢が上の少年たちとボールを蹴った。柔らかなテクニックとどこか南米らしさを感じるフェイントはストリートで身につけたもの。フランスの国立サッカー養成所クレールフォンテーヌでは後にチームプレーと戦術を叩き込まれた。

 アルゼンチン戦で世界に披露したスピードは、昨季クラブで何度も見せている。

 昨年12月のパリ・サンジェルマン対リール戦もそうだった。目の前の広大なスペースを走りぬくムバッペ。ディフェンダーは必死に後ろから足をかけ、バランスをくずしかけるが、すぐに均衡を取り戻した彼はさらに加速を加えた。

 時速36キロ。

 速度計が示した数字は、ボールを運びながら走るスピードとしては驚異的なものだ。誰にも追いつけない速さで駆け抜け、ネットを揺らしたゴールは彼の代名詞となっている。

新時代の先頭に立つ19歳

 アルゼンチン戦でムバッペの前にいたのはメッシだった。

 しかし水色の10番は輝くことはなく、彼の4度目のワールドカップは幕を閉じた。もしかしたらこれが最後のワールドカップになるかもしれない。次のカタール大会ではメッシは35歳になっている。

 メッシとクリスティアノ・ロナウドが世界の頂点に君臨した10年間から、新たな時代へ。ムバッペは新時代の最前線を走り始めている。

 「夢はワールドカップのトロフィーを掲げること。サッカー選手のキャリアは決して長くないから、できるだけ早く達成したい」

 そうムバッペはいう。

 パリ・サンジェルマンのチームメイトでもあるネイマールは「ムバッペはまだ19歳だけれど、既に完成されたフォワード」と、その能力を評価する。

 「大会でブラジルと対戦することがあればあいつにがっつりいけ、とカゼミロに伝えた」とも。

 ロシアで風に乗るムバッペを、故郷ボンディのサッカー少年たちは憧れの眼差しで見つめる。町の一角には、英雄となった彼の大きな壁画が描かれている。

 フランス代表20年ぶりの優勝に向けて、超音速の青年はさらに加速していくだろう。

ライター

1979年福岡県生まれ。2001年のミラノ留学を経て、ライターとしてのキャリアをスタート。イタリア、スコットランド、スペインと移り住み、現在はバルセロナ在住。伊、西、英を中心に5ヶ国語を駆使し、欧州を回りサッカーとその周辺を取材する。「欧州 旅するフットボール」がサッカー本大賞2020を受賞。

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