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【幕末こぼれ話】「るろうに剣心」のモデルとなった人斬り・河上彦斎とはどのような人物か?

山村竜也歴史作家、時代考証家
浪人(提供:イメージマート)

 映画「るろうに剣心 最終章The Final」(大友啓史・監督)がテレビ地上波で放送され、話題となっている。人気マンガを原作としたこの作品、いつ観てもクオリティーの高さに驚くばかりである。

 ところで「るろうに剣心」の主人公である緋村剣心には、モデルとなった実在の人物がいることはご存じだろうか。幕末に活躍した肥後熊本藩士で、「人斬り彦斎」の異名をとった河上彦斎(げんさい)だ。

 「人斬り抜刀斎」ならぬ「人斬り彦斎」とは、いったいどのような人物だったのだろうか。

野菜のように人を斬る

 河上彦斎の容姿については、「河上彦斎言行録」(明治25年・太田天亮著)にこのように記されている。

「彦斎人となり白皙精悍、眼光人を射る、躯短にして歯出ず。人に接する、あたかも婦人のごとし」

 歯が出ていたというのはご愛敬だが、色白で小柄、女性のように穏やかに他人に接する人であったというのである。このあたりは緋村剣心にイメージが重なる部分もあるようだ。

 しかし同書には、次のようなエピソードも記されていて、人斬りの本領を垣間見ることができる。

 ある日のこと、彦斎は数人の友人と酒を飲んでいた。席上、一人の友人がしきりに幕府役人某の横暴を語り憤っていたが、彦斎はそれを聞き流すふうで、黙って飲み続けていた。

 その彦斎がいつの間にかいなくなったかと思うと、しばらくして戻ってきて、その手には生首が一つ下げられていたから友人たちは驚いた。

「君が言っていた横暴な役人というのは、この男だな。拙者がいま天誅を加えてきたので、この首を肴(さかな)にして、引き続き飲もうじゃないか」

 飲もうといっても、常人が生首を前にして、平然と酒を飲めるはずがない。人斬りに躊躇しない彦斎の並みはずれた感覚は、およそこのようなものだった。

 また彦斎は、幕臣・勝海舟と一時期交流があった。明治維新後、海舟は彦斎について、このように語り残している。

「河上(彦斎)というのは、それはひどい奴さ。恐くて恐くてならなかったよ(略)。あまり多く殺すから、ある日わしはそう言った。『あなたのように多く殺しては、実にかわいそうではありませんか』と言うと、『ははあ、あなたはご存じですか』と言うから、『それはわかっています』と言うと、落ち着き払ってね。『それはあなたいけません。あなたの畑に作ったナスやキュウリは、どうなさいます。いい加減の時にちぎって、たくあんにでもおつけなさるでしょう。あいつらはそれと同じことです。どうせあれこれと言うて聞かせてはだめです。早くちぎってしまうのが一番です。あいつらはいくら殺したからといって、何でもありません』と言うのよ」(『海舟座談』)

 人を野菜と同じようにちぎって殺すと平然と言う彦斎に、さすがの海舟も震え上がるばかりだった。

明治政府に捨てられた彦斎

 こう見ていくと彦斎は単に残酷な人間のように思えるが、意味もなく人を斬っていたのではない。激烈な尊王攘夷思想を抱いていた彦斎は、自分の信念のもと、尊攘の実現のために剣をふるっていたのである。

 しかし、徳川幕府を打倒し、新政権を樹立した明治政府は、攘夷主義はとうに捨て去り、開国に方針を変更していた。それにもかかわらず、いつまでも攘夷を唱え続ける彦斎は、政府にとって邪魔な存在でしかなくなっていたのだ。

 結局、明治4年(1871)12月4日、政府に対する反逆を企てているとの濡れ衣を着せられ、彦斎は処刑されて38年の生涯を終えた。

 明治政府にとって邪魔になったから処分されるという結末は、緋村剣心というよりも、むしろ同じ「るろうに剣心」の登場人物である志々雄真実の悲劇に投影されているのかもしれない。

歴史作家、時代考証家

1961年東京都生まれ。中央大学卒業。歴史作家、時代考証家。幕末維新史を中心に著書の執筆、時代劇の考証、講演活動などを積極的に展開する。著書に『幕末維新 解剖図鑑』(エクスナレッジ)、『世界一よくわかる幕末維新』『世界一よくわかる新選組』『世界一よくわかる坂本龍馬』(祥伝社)、『幕末武士の京都グルメ日記』(幻冬舎)など多数。時代考証および資料提供作品にNHK大河ドラマ「新選組!」「龍馬伝」「八重の桜」「西鄕どん」、NHK時代劇「新選組血風録」「小吉の女房」「雲霧仁左衛門6」、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」、映画「燃えよ剣」「HOKUSAI」、アニメ「活撃 刀剣乱舞」など多数がある。

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