Yahoo!ニュース

【北アイルランド・ルポ】社会の分断を超えて、互いに手を差し伸べる試み

小林恭子ジャーナリスト
現代的なテーマの壁画を描くアーチストたち(「UVアーツ」の絵葉書から)

 アイルランド島の北部6州を占める北アイルランドでは、1960年代半ば以降、プロテスタント住民とカトリック住民の対立が激化し、「北アイルランド紛争」が発生した。

 1998年の「グッド・フライデー和平合意」(「ベルファスト合意」)によって紛争は終息したものの、社会は宗派の違いを基にした分断化の跡が残っている。

 和平合意が義務化したのがプロテスタントとカトリックの各勢力による自治政府の共同統治だった。

 現在は、それぞれの宗派を代表する政党間の意見の相違で自治政府は機能停止という残念な状態に陥っているが、自治政府が音頭を取って始めた「ともに:一つになる地域社会を築き上げる(Together: Building a United Community=T:BUC)」という戦略は、今でも続いている。

 2013年に開始された「T:BUC(ティーバック)」の目的は「地域社会の関係を向上し、より一つになる、共有の社会を作ること」だ。

 具体的には、カトリック系の学校とプロテスタンと系の学校を同じ敷地内に建設するプロジェクトがある。宗派が異なる住民のこどもたちは、それぞれカトリック系あるいはプロテスタント系の学校に通う場合がほとんどだが、これでは大人になるまで異なる社会層の市民と関与しないことになり、分断化が指摘されてきた。

 また、カトリック住民とプロテスタント住民がそれぞれ固まって住むエリアでは、それぞれの地域を隔てる「平和の壁」と皮肉を込めて呼ばれる柵がある。これを新設のゲートに変更し、宗派間の分断の象徴というイメージを変えるように改装するプロジェクトもある。

 スポーツを通じて交流を深めるイベントを開催し、特に紛争が激しく、貧困度が高い5つの地域で地域社会の住民を巻き込んで活性化を支援する「アーバン・ビレッジ・イニシアティブ」も動いている。2019-20年度の後者のプロジェクトの予算は地域社会のニーズを満たすための資金として125万ポンド、設備投資金として420万ポンドが計上されている。

 21日、北アイルランドの第2の都市ロンドンデリー*で、T:BUC関係者の会議が開催された。どのような課題があるのか、足を運んでみた。

 *ちなみに、「ロンドンデリー」か「デリー」かでは、論争がある。法的な名称はロンドンデリー。もともとデリーだったが、17世紀以降、プロテスタントであるイングランド人やスコットランド人が入植者として北アイルランドに入り、1613年、ロンドンのギルドによる市の設立を反映した名称として「ロンドンデリー」となった。どの呼称を使うかで、プロテスタント系かカトリック系(「デリー」を使用)かの帰属が分かる。ただし、地元では「デリー」が一般的なようだ。公的な標識、説明文では「Londonderry~Derry」と両方を併記する場合が目立つ。

北アイルランド特有の「行進(パレード)」、「焚火イベント」

 北アイルランドに特有なのが、プロテスタント系、カトリック系、そのほかの主義主張によるさまざまな行進(「パレード」)だ。

 行進運営者は、実施前に「行進委員会」(1997年、公的な場所での行進について、一般市民の理解を深める、行進が引き起こす論争を解決するなどを目的として設立)に行進の予定を通知するよう、義務化されている。 

 2017-18年度に通知された行進の件数は4,499件に上った。このうち、2,435件が「プロテスタント系」で、126件が「カトリック系」、「そのほか」が1,938件だった。それぞれの行進には音楽隊が付き、街中を練り歩く。 

 

 プロテスタント系の代表的な行進はプロテスタント組織「オレンジ結社」による、オレンジ行進。年に100回以上行われるが、最大規模は毎年7月12日。1690年、プロテスタントのウィリアム3世(オレンジ公ウィリアム)が率いるイングランド・オランダ連合軍が、カトリックのジェームズ2世が率いるアイルランド軍に勝利した「ボイン川の戦い」を記念する行進である。

 「デリーの徒弟たち」の行進も有名だ。1688年、ジェームズ2世はカトリック教徒の軍隊を従えて城壁都市デリーに攻撃をかけたが、若い徒弟たち(「アプレンティス・ボーイズ」)によって城門が閉じられ、中に入ることができなかった。89年、ジェームズ軍は100日以上にわたり、都市を包囲した後、あきらめて去っていった。若い徒弟たちの動きもあって、城壁都市を守ることができたので、プロテスタント住民にとっては、誇り高いイベントだ。

 カトリックの民族主義的住民が参加するのが、カトリック教会を守り、カトリック教徒の移民を助ける「ヒバーニアン友好団体」によるものや、市民権運動、および民族主義的行進で、例えば「血の日曜日事件」や「イースター蜂起」を追悼・記念する行進など。

 問題が発生するのが、プロテスタント系の行進がカトリック住民が多く住む場所で行われたり、逆にカトリック系の行進がプロテスタント住民が大部分の地域で行われる時だ。それぞれの住民にとっては、居心地が悪い時となる。

 行進とともに、過去の歴史を振り返る形で盛大に行われるのが焚火だ。先のボイン川の戦いを記念するため、7月11日にはプロテスタント住民が大掛かりな焚火イベントを行う。カトリック住民は8月9日に、かつての北アイルランド紛争中に市民が拘禁されたことに抗議する焚火を行う。

「ネガティブなイメージを取り除きたい」

「ロンドンデリー・バンズ・フォーラム」がウェブサイトで紹介していた音楽隊の様子。チャーチル地区での行進(ウェブサイトより)
「ロンドンデリー・バンズ・フォーラム」がウェブサイトで紹介していた音楽隊の様子。チャーチル地区での行進(ウェブサイトより)

 

 T:BUCの会議で、最初に事例を発表した「ロンドンデリー・バンズ・フォーラム(LBF)」のデレク・ムーアさんは、「プロテスタント系音楽隊に関する、ネガティブなイメージを取り除きたい」と話す。「政治の道具として使われるのは、ごめんだ」。

 プロテスタント系行進と一緒に道を練り歩く音楽隊は、カトリック系政治組織の格好の批判対象となって来た。

 しかし、北アイルランドの歴史と文化の一部であるプロテスタント住民による音楽は誇りであり、政治的配慮から批判されるべきものではない、というのがムーアさんの持論だ。

 LBFは2010年に結成され、ロンドンデリー一帯のプロテスタント系音楽隊の声を代弁する。2014年には音楽隊の運営方法についての合意書を作成している。「私たちは、私たちの文化的歴史の管理者であり、将来の世代が敵意やネガティブな問題に直面しないようにする責任がある」(合意書、序文)。

 カトリックかプロテスタントかという枠組み以外の住民も増えている。最新の国勢調査(2011年)によると、北アイルランド、英本土、アイルランド以外で生まれた人の比率は4・3%に上昇した(2001年は1・8%)。

 慈善組織「ノース・ウェスト・マイグランツ・フォーラム」のリリアン・シーノルさんは、「異なる文化や歴史を持つ人同士が出会い、話をする」機会を設けるために、複数の学校でワークショップを開催している。最終的に、「生徒が発見したことを記録する動画を作っている」。

 

 先のアーバン・ビレッジ・プロジェクトのパディー・ダナハーさんは、夏に「ストリート・ライブ」というイベントを開催している。これは、プロテスタントやカトリック住民らによる焚火が互いの地域社会の中でネガティブに受け止められていることを踏まえ、「宗派の違いに関わらず、誰もが参加できるイベント」を同時期に開催することを考えたという。

 

 生徒たちによる演劇も推進している。最近の例では、ドメスティックバイオレンスをテーマにドラマを演じさせた。リアルな設定の下、リアルなセリフを覚えて演じた生徒たち。公演後、生徒たちがカメラに向かって話す動画が会場で流された。「たった一人でも、ドメスティックバイオレンスから逃れる手助けができたらいいと思う」。そう話していた生徒は、感極まって、涙を流した。この動画も、生徒たちが制作したという。

 次のセッションは、数人が輪になって座るワークショップ形式を取った。筆者が参加したワークショップは8人ほどが参加。

 「地域社会の中の圧力がある」と何人かが口にした。カトリック系あるいはプロテスタント系のイベントがあるとき、それが例えほかの住民の感情を逆なでするものであっても、「参加するよう、圧力がかかる」という。

平和のためのアート

UVアーツが手掛ける壁画の1つ(UVアーツのウェブサイトから)
UVアーツが手掛ける壁画の1つ(UVアーツのウェブサイトから)

 

 会議場の受付にいたのが、アーチストのカール・ポーターさんだ。

「デリー・ガールズ」の壁画(UVアーツのウェブサイトから)
「デリー・ガールズ」の壁画(UVアーツのウェブサイトから)

 

ポーターさん(撮影筆者)
ポーターさん(撮影筆者)

 ポーターさんは「UVアーツ」という芸術団体のメンバーで、北アイルランドで目に付く、戦闘的な壁画や宗派の違いによる憎しみを増幅させるような壁画を希望に満ちた、平和的なものに変えるための作業をしているという。

 北アイルランド紛争は終了したが、紛争をテーマにした壁画を毎日目にすることで「壁画に描かれているイメージがいかに暴力的なものかを認識する感覚が鈍ってしまう」という。

 ポーターさんは過去の出来事を描く壁画を否定しているわけではない。しかし、「時代は変わった。私たちは新しい壁画を出していきたい」。

 ポーターさんをはじめとするUVアーツのアーチストは、街角で現代的な壁画を描く。時には学校に行って、生徒たちと壁画を作ることもある。

 ロンドンデリー市庁舎から歩いて数分の壁には、テレビ局チャンネル4で放送された番組「デリー・ガールズ」の絵が描かれている。銃を持った男たちがメインとなる、これまでの壁画とは大違いだ。

 ポーターさんは、アーチストたちの壁画が入ったはがきを何枚か、筆者に手渡した。

小泉八雲の本「Sayonara」を出版

 T:BUCの会議で、日本出身の大倉純子さんと知り合った。

 地域の交流組織「ノース・ウェスト・ジャパニーズ・カルチュラル・グループ・プロジェクト(NWJCG)」の創設者で、昨年、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)の著作を英語とアイルランド語で出版したという。「八雲会」(島根県松江市)が発行する「小泉八雲暗唱読本」から選んだものを知人が翻訳した。(グループのフェイスブックのサイト。)

小泉八雲の著作の翻訳版「Sayonara」(大倉さん提供)
小泉八雲の著作の翻訳版「Sayonara」(大倉さん提供)

 小泉八雲は父がアイルランド出身の軍医、母がギリシャ・キシラ島出身で、1890年に初めて日本を訪れた。島根県松江で英語を教え、96年に松江の士族の娘、小泉セツと結婚して、日本に帰化した。「小泉八雲記念館」によると、著作家として「翻訳・紀行文・再話文学のジャンルを中心に生涯で約30の著作」を残したという。

 大倉さんのグループはこの本を紙芝居で紹介しているという。一人が語り手となり、音楽を奏でる人が二人つく。 

 一度、紙芝居の様子を見てみたいと話しているうちに、「いぶき太鼓」の練習を見に行かないか、と誘われた。北アイルランド出身の女性が日本の太鼓を少年少女に教えているという。

 会議場から歩いて数分。ある教会の中で、練習が行われていた。

 練習は、数日後の「お盆祭り」の最終日(25日)に向けてのリハーサルだった。お盆祭りは、日本人在住者らが発案したもので、約1週間にわたって、ロンドンデリーで折り紙教室、漫画などのイベントが行われた。

高鳴る鼓動、ロンドンデリーで日本の太鼓を聞く

練習風景(撮影筆者)
練習風景(撮影筆者)
練習風景(撮影筆者)
練習風景(撮影筆者)
練習風景・左が先生の梅津フィオナさん(撮影筆者)
練習風景・左が先生の梅津フィオナさん(撮影筆者)

 練習場にいたのは、8歳から15歳ぐらいの子供たち。太鼓のリハーサルと聞いていたので、太鼓の音から始まるのかなと思ったら、子供たちはまず歌を歌い出した。そして、静かに太鼓の音が始まった。

 子供たちの年齢は様々で、背丈もかなり異なる。それでも、一人一人が自分の役目を果たしながら、チームの一員として音を奏でてゆく。

 元気いっぱいなのが、先生の梅津フィオナさん。あとで生徒のうちの3人が彼女の子供だと分かった。

 子供たちが間違えないように太鼓をたたくことに集中していると、フィオナさんが時々、活を入れる。「こんな風にすごすご・・・と舞台に出るんじゃなくて、こんな風に、踊るように出てきたら、どう?」どこかユーモラスで楽しい先生の体の動きに、教室内の雰囲気がさらに明るくなる。

 聞いているうちに、自分自身の鼓動も熱くなる。一体、なぜなのだろう?大倉さんが「はまってしまった」と言っていたが、その気持ちがわかるような気がした。(いぶき太鼓のフェイスブックページ

フィオナさん(撮影筆者)
フィオナさん(撮影筆者)

 

太鼓はフィオナさんの夫が製作したという(撮影筆者)
太鼓はフィオナさんの夫が製作したという(撮影筆者)

 練習の休憩時間に、ロンドンデリー出身のフィオナさんになぜ太鼓を教えるようになったのかを聞いてみた。

 1996年に東京に英語を教えに行ったときに山形県出身の夫になる男性と出会い、趣味で和太鼓をやることになったという。

 「北アイルランドでは太鼓は宗派によって分かれる。でも、和太鼓はどちらでもなく、みんなでやれる」。

 フィオナさんはカトリックの学校の生徒とプロテスタントの学校の生徒を集めて、週に一度、和太鼓を教えているのだという。もう6年ぐらい続いている。

 普段は北アイルランドの外にいて、ふらっとやってきた筆者だが、「分断とともに生きる」姿勢を学んだように思った。

 振り返って、英国本土を見れば、ブレグジット(英国の欧州連合からの離脱)をめぐって、離脱派と残留派に社会が分裂したという嘆きがある。米国でも、トランプ大統領を支持するのか、しないのか。「これほどトランプを批判しているのに、なぜ支持者は支持をやめないのか」といういら立ちもありそうだ。

 私たちは今、「分断している」こと自体をあまりにも恐れすぎているのではないか。分断の理由をもう少し探って、なぜなのかを理解し、その原因を解く努力をすることはできないのか。

 欧州議会選挙(23日)では、離脱党が大躍進した。党首のナイジェル・ファラージ氏を忌み嫌う人々がいるが、しかし、なぜ、人は離脱党にたくさん票を入れたのだろう。

 そもそも、2016年の国民投票でなぜ多くの人が離脱を支持したのか?有無を言わせずグローバル化に突き進む政府、肥大するEUの官僚体制への抗議だったとしたら、その抗議の声に十分に耳を傾ける努力はされたのだろうか。EU市民は、EU域内のモノ、人、サービスの自由な往来という原則に乗っ取って、英国にやってきた。その結果、英国民が生活に圧迫感を感じた時、ほとんど何の対策も取られなかったのは、失敗だったのではないか。

 「分断がある」こと自体に驚く段階、欧州の「ポピュリズム」のまん延に衝撃を受けた段階から、一歩先に足を踏み出すことが求められている。

 

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

小林恭子の最近の記事