「やすらぎの郷」藤竜也(75)と冨士眞奈美(79)による 人肌恋しい大人の時間の46話
75歳と79歳のラブシーン?
高井秀次(藤竜也)「このシワが描きたいんです」
秀さん、小春の両頬を両手で包みこむ(顔の詳細をしげしげ観察しているようにも見える)
犬山小春(冨士眞奈美)「秀さん最近、シワフェチになったの?」
秀さん、頬にキス・・・いぶかしげな顔する小春
「フフフ・・・」
「フフフフ・・・」
ふたり笑い合う。
やはり昼ドラには、危うい男女の駆け引きが似合う。
でも、『やすらぎの郷』の危うさは、いわゆる昼ドラの危うさを超えた危うさを感じる。
なにしろ、藤竜也75歳。冨士眞奈美79歳である。それでこれ↑をやれるのはスゴイ。
言葉は少ないながら、その一言一言や、お互いの視線などに、へんな説得力がある。
大人の関係。これぞ、年輪を重ねた魅力だろう。
それにしても、冨士眞奈美、79歳とは驚く。まだまだ”女”って感じが十分した。
大人のドラマはシワを愛する
秀さんは、かつて大スターで、女優にモテた。
またたびのような力をもっていて、たくさんの女優のヌードを描いてきた。
菊村の妻・律子(風吹ジュン)も声をかけられていた(断ったらしい)。やすらぎの郷にも、秀さんと関わった女優がたくさんいる。
前述の小春とのやりとりでは、秀さん、こんなふうにして、女性を落して来たのだろうと、感じさせるものだ。
入江で、ばったり小春に出会って、コテージに戻って来て、絵を描きたいというまで、菊村栄(石坂浩二)に見せていた顔とは全然違う秀さんがいる。
なんかかっこいい空気をまとっているのだ。当然パブリック・イメージの寡黙さで。
そして、小春をモデルにして、夕陽がさしこむ部屋で、真剣(目がこれまでの秀さんにない真剣さ)に絵を描き続ける秀さん。
シワの美について、秀さんが、菊村に熱く語ったのは、34話だった。
シワの美のついて、かいつまんで言うと、シワには人生が刻まれているから美しいというようなことだ。ちょっと詩的な表現もあった。
秀さんは、44話で、小春が菊村に語った苦労を、彼女のシワに感じとってしまったのだろう。
そしてそれが、日本に問題女優としていたときよりも、魅力的に見えたようだ。
で、このふたりのあやしい雰囲気は、事前に、小春とついに再会したしのぶ(有馬稲子)が、
長年いっしょにいる貝田(藤木孝)とは今、ソフレ関係であるということを「あるじゃない肌恋しい時」と表現したところで、
あらかじめ前フリされている。
だからこそよけいに、ああ、そういう感じなんだと思わせる。
小春も小春で、「私あの頃いいカラダしてたのよ」などと、若干、粉をかけている。
大人のドラマだなと思う。
日本に姥捨てされに来た
その小春だが、秀さんのモデルになりながら、意味深なことを言いだす。
自分は「うば捨て」されに日本に来たのだと言うのだ。
「私日本に捨てられに来たのよ」
「相手はそんなことおくびにもださないよ」
「そぶりにも見せずに捨てていくのってこれも男の優しさかな」
何の話?
彼女を連れてきた石上(津川雅彦)の話だろうか。
男に捨てられそうで、やすらぎの郷にもフラれた小春は、秀さんに活路を見出そうとしているのか。
とても気になる、新しい週のはじまりです。
『6羽のかもめ』で書かれた、昼ドラのこと
余談だが、倉本聰が70年代に書いた、テレビに物申すようなドラマ『6羽のかもめ』(主人公の女優の名字は”犬山”)に、朝ドラに関する台詞があることは、以前書いた。エキレビ!「やすらぎの郷」石坂浩二はコロス、八千草薫はデウス・エクス・マキナである
また、昼ドラ(昼メロ)に関することも、『6羽のかもめ』に出てくるのだ。
昼メロを撮っている監督(石橋蓮司)の台詞だ。脚本は倉本ではなく斎藤憐だが、鋭く的を射ているので引用してみたい。
46話では、昼のドラマの後ろめたさを少々感じさせてもらった。
それにしても、冨士眞奈美 79歳なのか……。
帯ドラマ劇場「やすらぎの郷」(テレビ朝日 月〜金 ひる12時30分 再放送 BS朝日 朝7時40分〜)
第10週 46回 6月5日(月)放送より。
脚本:倉本聰 演出:池添博