日本型雇用の新しいグランドデザインを探る【鶴 光太郎×倉重公太朗】第3回
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2010年代半ば頃、雇用の影響を含め、AIに対する悲観論が急速に広がりました。鶴光太郎さんがそういった状況を見て気になったのは、「木を見て森を見ず」という議論が多いことだったそうです。AIの機能に深入りしたり、個々の事例を紹介したりすることは行われていても、AIの経済・社会全体への影響を検討することは案外行われていません。そこで、AIが経済・社会に与える影響について、系統的に整理された事例と、経済学における研究成果に基づき、総合的に評価したのが、2021年に上梓した『AIの経済学』です。本書を参考にしながら、AIと共存し豊かな未来を築くための方法を伺いました。
<ポイント>
・多くの人が、AIのことを正しく理解できていない
・テクノロジーが人間に問い続けていること
・人間がやらなければいけないことは、まだら模様で残っている
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■AI時代に必要な働き方の考え方やスキル
倉重:先生から頂いた『AIの経済学』、僕も読ませていただきました。これからのAI時代に必要な働き方の考え方やスキルといったお話もぜひお願いしたいと思っています。
鶴:その本の中で「雇用についてどう考えるか」ということは最近の分析なども交えてご紹介しているのですが、働き方の話は、あまり書いていません。それは一つ意図もあったのですけれども、多くの人の中で、AIとオートメーション、それから純粋なデジタル化やICTなどが、ゴチャゴチャになってしまっているのですよ。
倉重:単なるロボット化のこともAIと呼んでいるようなことですね。
鶴:ロボットとAIも区別ができていません。自動化、オートメーションは一つロボットで、物理的なロボットと、ソフトウェアとしてRPAのようなものもあります。そういうものの全ての前提となっているデジタル化やICT等の技術がありますよね。AIはもちろん、ビッグデータもそうです。そういうものが全部いっしょくたになってしまって、何がどのような効果なのか分からなくなってしまっています。この本の中ではそこをきちんと分けて考えましょうねということなのです。
その区別というものはいろいろと議論しているのだけれども、「AIは一言で言うと何ですか」と本に書いています。僕は予測だと、プレディクションだと言っているわけです。いろいろなデータ、特に画像や音声というものは非常に発達したと思うのですが、そういうものを使って予測をする機能については、われわれ人類はものすごく強力なものを手に入れたなと思います。特に画像というものは非常に暗黙知の部分でした。これまでなかなかコンピューターが扱うことは難しかった部分があったとは思います。その暗黙知に入るようなところにAIが侵食してきたというのが大きなところです。
これまでもロボットによる自動化という流れはありましたが、予測というところを担うジョブの中で、いろいろと切り分けてタスクにすると、ある人のジョブが全部なくなってしまうということはありません。
ジョブは多様なタスクに分かれています。さまざまなタスクを一遍にしたり、毎日タスクをこなしていったりすることは、もう標準的なスタイルになっています。
その中で、今の研究などで明らかになっていることは、「このタスクは結構AIと入れ換わるのだけれども、このタスクはAIでは代替できないよね」という部分があります。まだら模様になっているときに、「では全部AIでその人のジョブがなくなるか」というと全然そうではないわけです。人間がやらなければいけないことは、僕の感じだとまだら模様で残っています。そうすると、「これまで人間がやっていたのだけれども、AIがやったほうが、随分手っ取り早いよね」というところはAIに任せる。それ以外のところは人間がするという、補完的な形でジョブをつくっていかなければいけません。これからのジョブは多分そういう形になっていくだろうなと思います。
倉重:「AIで仕事の49%がなくなる」と言う人もいますけれども。
鶴:それは非常におかしいですよね。あまりにも粗い議論で、どのようにしてなくなるのかわかりません。自分がしている仕事の中で細かく見ると、「これとこれはAIができるけれども、他のものができない」といったときに、どうするのですかという話です。そういうところが非常に違うし、単純なオートメーションやロボットと言っても、導入したからといって雇用が減っているかというと、案外そうではないですよね。
倉重:むしろ、手が空いた分、違う仕事を受注したりしていますからね。
鶴:そこも、本の中で少し強調したかった点です。AIは農業や建設業業界で、ベテランのノウハウや技術を代替して、本当に大変な環境や、「これは人間がやると気が遠くなる」という作業を随分助けてくれるようになりました。
倉重:労働力不足を補ってくれますよね。
鶴:これは本当に素晴らしいことで、単純労働だ何だと言われていますが、そういうノウハウが必要なところにもAIが入って、素晴らしい技を見せてくれるし、とてもではないけれども人間がやるにはつらい環境の中で、AIとロボットが一体となって働いています。これは本当に素晴らしいことです。そういうものをどんどん取り入れている企業もあります。
本の中で書き切れなかったのですが、EUで今議論されているのは人の評価や働き方など、人間と接触する接点になるようなところを、「AIがやる」と決めてしまうと、「AIが人間性を踏みにじるから駄目だよね」という点です。そうすると、また少しAIについて否定的な議論が出てきているのです。もちろん、AIはバイアスがありますが、それは人間の判断のバイアスを反映しているという理解が重要です。
倉重:調整していけばいい話ですからね。
鶴:AIが最初からできること、できないことは決まっています。AIというものは単なる予測屋さんなのです。予測屋さんはうまく使ったらすごいことができるけれども、全然駄目なところもたくさんありますよね。万能選手ではないので、人間がうまく使ってあげるということに尽きるのではないかと思っています。
倉重:仕事が変わったことと同じことかなと思います。
鶴:同じですよね。デジタル化が進んでも手書きは手書きの良さがあるということで間違いないですし、パソコンがあるからといって書道がなくなるかということではありません。将棋は、コンピューターに人間が勝てないからといって、棋士がいなくなったりしませんよね。根幹的なところの考え方で、僕はすごく違和感があったのですよ。僕は別にAIの専門家ではないので、このような本を書くことに葛藤がありましたが、恥ずかしげもなく『AIの経済学』を書きました。
AIについてはある種の誤解に陥りやすいのだろうなという普遍的なものは感じましたので、「そういうことではないよね」と言いたいのです。でも本を読んだら、「お前は全然AIのことを分かっていない」「今はこうなのだよ、ああなのだよ」と言う人たちがたくさんいるのだろうなと思っています。
言っていただくことは全然構わないのだけれども、何か根源的にテクノロジーと人間の関係というのは、どこまで行ってもゆがんだイメージを持ちやすいのです。それをいかに利用していくかということにおいて、人間が持つハードルがあるのかもしれません。僕はICTやデジタル化ついても同じような印象を持っていました。
倉重:そういう時代に働くことはやはりヒューマンスキルというのでしょうか。直感力、常識力、想像力のようなものがむしろ重要になってくるということですよね。
鶴:そうだと思います。絶対に人間にしかできないことは最後まで残るし、「そこをどうしたらいいのだろうか」ということにしっかり向き合って、「人間とは何なのだ」と考える必要があるのです。今回のテレワークもそうなのだけれども、「何のために企業に行ってみんなが集まるのですか」「本当に対面でしかできないことはあるのですか」といった、人間の本質というか、根源的なところを問うことが大事だと本の最後に書きました。
倉重:人間とは何かという話になってきますね。
鶴:そうなのですよ。まさにテクノロジーは常にそれを人間に問い続けているのです。そこの中で、われわれが無意識に思っていたのだけれども、職場は一体何を目的にして集まっているのでしょうか。倉重さんの非常に素晴らしい比喩がありましたね。
倉重:教会理論ですね。やはりこの対談で出てきたのですよ。JINSという眼鏡の会社の方とお話している時に出てきた言葉です。
鶴:経済学でもそれこそ先生がおっしゃったことは、やはり制度は共有化された予想というものです。教会はみんなで説教を聞いて、信仰を高めるものだから、宗教は一つの制度だと思います。
それでは企業は何のためにあるのでしょうか。利潤の最大化だけでは教会のような存在にはなりません。一人ひとりが社会的にどのような貢献を目指しているのか。そこですよね。それが宗教にある種近いものだと思います。
では、対面や職場は一体何なのか。そこの全部の皮をむいていったときに、最後に何が残るのか。それは「企業の本質とは一体何ですか」と問うことと全く同じことだと僕は思います。
倉重:誰かの役に立つということですね。
鶴:みんなでどのように気持ちを共有するのかということだから、そこの根源的なところに向かわないといけません。「労働は苦でしかない」ととらえると、働く楽しさも全く否定してしまいます。「人間とは何か」という、見えていないものに対してどこまでも探求し続けるということが常に問いかけられていると思います。少し偉そうになってしまいましたが、そのようにして今のコロナや働き方について考えていくべきだなと思っています。
倉重:有休が365日与えられているのが幸せではないですよね。
鶴:本当にそういうことです。一方で、おうち時間というものができて、仕事やプライベートの切り分けについて言われていたけれども、今、うまくそれを両立して楽しんでいる人たちも出てきたなとすごく感じます。
倉重:今を楽しむということですね。確かにそうですね。
鶴:通勤時間のようなものは本当に無駄でした。テレワークで浮いた時間が、今すごく豊かな生活につながってきています。特に若い人たちは楽しんでいる人たちが多いなと思っています。よく孤独感や寂しさがあると言うのだけれども、そういう話を聞くと自分と向き合えていないのではないかなと感じます。
(つづく)
対談協力:鶴 光太郎(つる・こうたろう)
慶應義塾大学大学院商学研究科教授
1960年東京生まれ。84 年東京大学理学部数学科卒業。
オックスフォード大学 D.Phil. (経済学博士)。
経済企画庁調査局内国調査第一課課長補佐、OECD経済局エコノミスト、日本銀行金融研究所研究員、経済産業研究所上席研究員を経て、2012 年より現職。
日経スマートワーク経営研究会座長、
経済産業研究所プログラムディレクターを兼務。
内閣府規制改革会議委員(雇用ワーキンググループ座長)(2013~16 年)などを歴任。
主な著書に、『人材覚醒経済』、日本経済新聞出版社、2016(第60回日経・経済図書文化賞、第40回労働関係図書優秀賞、平成29年度慶應義塾大学義塾賞受賞)、『雇用システムの再構築に向けて―日本の働き方をいかに変えるか』、編著、日本評論社、2019などがある。