【京都市上京区】秀吉は京の街を寺と防波堤で取り囲んだ。北野天満宮境内の御土居跡で青モミジ公開中!
北野天満宮の御土居は近年整備され、紅葉の時期には、御土居の紅葉として親しまれています。2023年4月8日から6月25日まで、「史跡御土居のもみじ苑」が公開されています。
日差しにさらされて紙屋川に覆いかぶさるような青モミジが映えています。鶯橋周辺には、山吹もすでに満開を迎え、欄干の朱と青モミジの緑、山吹の黄色とのコントラストも見逃せません。4月29日~5月7日の日没後には夜間特別拝観が実施され、幻想的なライトアップも行われます。
上京と下京しかなかった戦国時代の京の街は、皇居を始め、貴族や武家の邸宅回り、また町衆たちの屋敷群などが惣構で囲まれ、治安を維持し、町内でいわゆる警備員を雇っていました。当時の洛中洛外図屛風にも所々の通を木戸や土塀が囲む様子が描かれています。豊臣秀吉は京都を抑えるとすぐにも、伏見城や聚楽第、京大仏の建設、天正の町割りをはじめ、京都の大改造に乗り出しました。
北は寺の内通り、東は寺町通りを造り、寺社を移転させ、防波堤とします。端っこに寺社を固めると京の町を攻めにくいと考えたんですね。では、西と南はどうしたか。治水のためもあって、堀と土塁の堤防で取り囲んだのでした。これが「御土居」です。御土居が築かれると惣構は無意味なものとなり、京は大きく変貌を遂げたのです。
北野天満宮の拝殿から西側の門をくぐると、境内の西側には御土居の史跡が広がっています。安土桃山時代、御土居は、東は鴨川右岸、北は鷹が峰、西は紙屋川左岸、南は九条通で、全長22.5kmに及ぶ広がりを見せました。江戸時代と明治維新で取り壊され、現在は市内十数箇所に跡が残るだけとなっています。
青もみじ公開に合わせ、宝物殿では、 4月8日(土)〜6月25日(日)に、特別公開「北野の特殊神饌」として、天神さまへのお供えものである特殊神饌とそのための道具の世界が公開されています。「鬼切り」始め、これまでの刀剣展示も継続して行われています。
ぜひ魅力満載の「北野の天神さん」へお出かけになってみてください!
北野天満宮(外部リンク)京都市上京区馬喰町 075-461-0005