今を生きるアイヌのリアルな一面を描く映画『アイヌモシㇼ』 監督が明かす誕生秘話(2/2)
アイヌがアイヌ役で主要キャストを務める史上初の映画『アイヌモシㇼ』。舞台は阿寒湖にほど近いアイヌの集落、アイヌコタン。そこで実際に生活するアイヌ住民による全面協力。それを可能にしたのは、脚本も手がけた北海道出身の福永壮志監督の熱意によるものだった。
先住民族アイヌの誇り、伝統文化、今を生きるアイヌのリアルな一面を描く作品は、トライベッカ映画祭で審査員特別賞を受賞するなど、高い評価を受けている。劇中では、アイヌにとって最も重要な伝統儀式の一つ、イオマンテを取り上げ、カムイ(神)への感謝を忘れず、歌や踊りでまつる饗宴のシーンも。今回、アイヌコタンにて、出演者、住民の方々に周辺取材をさせていただいた上で、福永監督の思いを聞いた。前半(1/2)の続き。
―― 今回の映画制作以前にもアイヌの勉強をずっとされていて、どういう勉強の仕方をされたんですか。
福永 まず最初は、記事を読んだり本を読んだりして。だけどそういうのは限られていて。例えば書いた人が和人(わじん、日本人)でその人の特別の見方があったのかもしれないし、今現実に生きている皆さんから直接会って話を聞いて学びたいと思ったので。映画を作りたいと考えているんですけどとは言いながらも、別に何かを聞き出そうという目的を持ってというよりは、まずは話を聞かせてくださいと。それで学ばせてくださいというので、いろんな人に会うところから始めました。
―― じゃあ勉強し過ぎて、頭でっかちで行ったわけじゃないんですね。
福永 そうじゃないですね。僕は学者でもないですし、人として皆さんのことを学びたいということで、もちろん歴史とか最低限必要な知識はあると思いますけれども、人を知りいと思って行っているんで。
海外で生活していたからこそ日本を俯瞰で見られた
―― 福永監督自身がアイヌの方で、アイヌとしてのアイデンティティで映画を撮っているのではと誤解されませんか。福永監督はアイヌの方ではないけれども、だからこそ、客観性を保たれているのかなと。
福永 それはやっぱりそうですね。自分は和人という立場で、アイヌの映画を皆さんと一緒に撮るんだというのはすごく大事なことだと思っていたんですね。だから、いろんな描き方に気を付けることができたという。
―― どういうことに気を付けました?
福永 いろいろありますけれども、まずはアイヌの皆さんに実際出演してもらうというのがその一つだし。例えばイメージで脚本を書いて、想像の人物を和人の俳優に演じてもらっていたら、絶対に現実から離れた先入観が映画に出ちゃうわけですよね。それはやってはいけないと思ったし、作る意味がない。それをやらないために、いろんな方法で現実に寄り添ったというか。
―― しかも当時はニューヨークに在住されているということもあって、俯瞰(ふかん)で離れた地点で見られていたじゃないですか。
福永 そうですね。確かにアイヌのことに関心が起きたり、アイヌの映画を撮りたいと思ったのは、やっぱり日本を出て外から日本を見返したからだとは思います。
―― 最初にミネソタ州でネイティブアメリカンの方と関わられて、先住民のスピリットは、似通うものはありますか。
福永 共通しているところは、自然の中に神様を見出したりであるとか、いろいろとありますが、とはいえ別の民族ですし。
スタッフが少人数、アメリカ人のカメラマンにしたわけは
―― 今回、撮影はスタッフが15人くらいだったと聞きました。
福永 はい。すごく少ない人数で行きました。
―― それは人数を絞ったというか、大人数で来ることによって大ごとになったら、自然な演技ができないということですか。
福永 それもあります。
―― そこに気を使われたのかなと思いました。それが功を奏していて、すごく少ない人数で来ているから、助けようという気持ちになったと皆さん言うんですよ。
福永 やっぱり人選も、技術、才能があるだけじゃなくて、人柄でも選んでいるというか。例えば、威圧的な人がいたりすると、ピリピリしちゃって、自然な演技の環境がどんどんなくなっていく。そういうことも意識しました。
―― ですよね。そうかなと思って。で、カメラマンの方がアメリカ人だったとお聞きしたんですけれども、それは何か意図があるんですか。
福永 それもちゃんとあって。彼自身はとても才能があって、すごく被写体の人間味あふれる映像を撮るということに定評があるというか、僕はそういうカメラマンだと見ていて。そこが一番描きたいことの大事なところだったので。あとはアメリカ人ということで、彼はこの映画に関わるまではアイヌという存在自体を知らなかった。先入観がなかったんです。
―― 日本語も通じないんですか。
福永 はい。なので、偏見や先入観が全く無くて、そういう人に撮影監督はお願いしたかった。それが日本人の方で、本人が意識していなくてもそういうのが少しでもあると、遠慮につながったりするので。カメラを回していないときの距離感も結局は映像に絶対に出るから、自然な彼らのそのままの人となりを映像に落とし込むといったところから、離れていっちゃうわけですね。
―― なるほど。わかります。どれくらいの撮影期間だったんですか。
福永 計30日くらいですかね。夏、秋、冬と撮っているんですけれども。
―― じゃあ、結構コミュニケーションも取れて。皆さんと仲良くなったという感じですか。
福永 関係性は撮り続けるうちに出てきますし。
いくら大事なメッセージを掲げても映画として面白くなかったら
―― この映画を企画されて、実際にオファーに行って、承諾してもらって、協力してもらって、出来上がったというところでもすごいのに、評価をされてどうですか。世の中に浸透していく感じというのは。福永監督としては、今、世の中に必要なテーマだと考えられて。
福永 そうですね。もっと言えば、本当はもっと早く作られているべきだったと思うんですけれども、それが無かったので、自分が頑張って作りました。
―― すごい。
福永 作品として評価されるのはやっぱり単純にうれしいし、協力してもらった出演者の皆さんに喜んでもらえるのは、すごく大事なことで。たとえ映画祭で賞を貰えても、皆さんが出てよかったと思えなかったら、わだかまりが自分の中で残ってしまったと思うんで。一方で、いくら大事なメッセージや大義名分を掲げていても、映画として面白くなかったら、そのメッセージは伝わらないと思うんですよ。作品としてちゃんと成り立っているのが前提で、それがあるからその奥にあるメッセージが通じるんだと思うんです。
―― 出演者の方々も最初は違和感があったけれど、完成した映画を見てすごく感動した、客観的に涙が出たとおっしゃっていたんですが、それを聞いてどう思われましたか。
福永 本当にうれしかったです。編集が終わった段階の2019年阿寒にまず最初に行って、皆さんに試写を見てもらって。世に出るものだから、ここはカットしてほしいというのがあったら聞き入れなきゃいけないことなので、最終OKを貰いに行きました。自分もドキドキしながら、アイヌコタンの生活館の大部屋での試写だったんですよね。皆さんがいつもいる環境で、しかも普段の顔見知りと一緒に見ると、どうしても映画として見るのが難しかったと思うんです。それが1年たって、映画館で観客の皆さんと見ることで、やっと映画として見ることができたと思うんですよ。
―― 2019年のときは、ちょっとこれはカットしてほしいというのはなかったんですか。
福永 なかったですね。
―― その辺がすごいですね、手放し方がね。違和感があったとしても、もうちょっとこうしてほしいじゃなくて、福永監督の作品として、任せますよということだったんでしょうね。
福永 そうかと思います。ですし、もちろん内容は事前に知っているし、自分の話したことも自然の形で出しているから恥ずかしいか恥ずかしくないかの違いみたいなもので、たぶんウソではないから。
監督として作品を作ったけれど、もらったもののほうがすごく大きいと思う
―― どれだけ関わっていたかというのを感じますし、信頼されているんだなと。
福永 最初に見てもらったときは映画との距離が近過ぎたんだと思います。それはそうですよね(笑)。
―― この映画は、アイヌの方とファミリーみたいな感じで作ったということですか。
福永 ファミリーとは簡単に僕は言わないですけれども、関係性も出来たし、僕はこれからもお付き合いしていきたいと思っています。けれども、知った気になってはいけないなと。そう思うと、いろんなおごりが出てしまうと思うし、そうではなく常に学び続ける姿勢でいたいと思います。
―― たぶんそういう謙虚さがアイヌの方たちの信頼を得たと思うんです。いろんな方がアイヌコタンに来て、ものすごく調べてきて、力説される人もいるというんですね。でも、やっぱり福永監督の謙虚さが心に染みたんじゃないでしょうか。たくさんのオファーがある中で選ばれたというか、認められたということに関しては、どうですか。
福永 それはもちろんすごくうれしいですし、何というか、幸運だなと思います。
―― 責任も感じますよね。
福永 そうですね。いろいろと受け入れてもらったのはうれしいし、自分も誠意を尽くして、向き合って接しましたけれども、いろんなタイミングが重なってできたことだと思うので本当に一歩間違えれば完成しなかったという局面はいろいろとあったので、それは本当に、感謝の気持ちが強いですね。僕がやりたいと言い出して、みんなを集めて映画を作って、監督として作ってはいるんですけれども、その一方で、もらったもののほうがすごく大きいと思っていて。だから、自分の作品だという感覚は、正直あまりないです。
―― 今回俳優じゃない方たちがほとんど出演されているにもかかわらず、すごく説得力、存在感があるんですけれども、それは福永監督から見て、監督として新たな発見というか、へえーと思うことはありました? 映画作りということで、任せるというか、元々、福永監督のスタイルなのかもしれないですけれども。
福永 実は次に撮ろうとしているものはもっとフィクションに振り切ったものなんです。俳優さんじゃない人たちと一緒に作ることで出るリアリティはあるんですけれども、自然、自然といっても、もちろんカメラがあっての自然だし、カメラが無い現実とは違うわけですよね。なので、そこから浮かび上がる真実、そういう核心にどうやって近づくかが大事。それが俳優さんが演技をしていようが俳優さんじゃない人がしていようが、どれだけ説得力、真実味があるかだと思うんですよ。
排他的な社会をもっと多様性に寛容な社会に
―― この映画を見た方から、どういう感想をもらいますか。
福永 アイヌの話というより普遍的な人間の話として見てくれるのが一番うれしくて、自分もそういうつもりで描いたし。もちろんアイヌというのは題材の中で大きいんですけれども、人を描く、描きたいと思ってやっているし、そういうふうに感じ取ってもらえたら、共感を持って映画を見ることができると思うんですね。共感を持って見ることができるということは、相手の立場になって考えるということで、思いやりの気持ちにもつながると思うんですよ。そういうことが、アイヌという対象だけじゃなくて、排他的な社会をもっと多様性に寛容な社会へと歩みを進めるきっかけになると思うんですよね。
―― 実際にそういう流れになっていますね。個性が認められるというか。
福永 多様性、多様性とたくさん言われてはいますけれども、本当の意味で、お互いがお互いを尊重して理解を示そうとしているかというと、そうじゃないと思うんですよ。それこそコロナで明るみに出ましたけれども、どうしてもいろんな社会的なプレッシャーだったり、村社会的なメンタリティだったりで、排他的な日本人の気質というのが今回すごく出たじゃないですか。だからこそ思いやりを促す映画の価値は大きいと思います。
―― 今回、2020年10月17日の公開というのは、決まっていたことなんですか。それとも、延期してそうなったんですか。
福永 春ぐらいの公開が延期で、もう2~3回延期になって、やっとです。
―― まさか世の中がこんなことになると思ってないじゃないですか。でも逆に、こういう世の中になったからこその公開、これは偶然ではない気がしますが。
福永 アイヌを題材に扱ったけれども、共感を持って見てもらえたからこうやって広がっていると思うんですけれども。それというのは、コロナ禍で排他的な気質が出た社会にとってもきっといい影響はあったのかな、あってほしいと願って。
アイヌを美化しすぎないで、できるだけ意識して現実を入れた
―― アイヌのことをなんにも知らないけど、例えばアイヌの文様を見て、好きという方もいっぱいいて。
福永 はいはい。
―― 例えば、映画の中でも儀式で祝詞が言えなくてメモを読みながらやるとか、「アイヌの人って日本語上手ですね」と観光客に言われるシーンとか。ああいうのは、すごいリアルな感じがして。現実的な話としてサラリと映画に入っていて。だから、逆に考えさせられるものがあったと思います。
福永 そうですね。過剰に説明したりしないで、だけど現実をできるだけいろんな形で映画の中に入れるというのは、すごく意識したところで。どうしてもアイヌを題材に今まで作られたものには、すごくアイヌを美化しているものとか、たくさんあって。それをやってはいけないなと思っていて。だから、例えば今おっしゃったその祝詞のシーンで台本を読んでいる部分とかは、普通の現代人としての姿をちゃんと見せて、美化させ過ぎないでバランスをとるために大事でした。
―― 青年だったのを少年に変えたというのも、よかったですね。
福永 いやあ、本当によかったです。振り返るとやっぱり幹人くんとその友達が主軸にいるおかげで、それがすごく思春期の少年同士の話になって、誰しも共感できるものにさらになったと思う。
―― 母親と思春期の息子の関係性も。中学生ぐらいだと、これからどういう進路を選ぶのか、というのはどこの家庭にもあると思うし。
アイヌの映画を撮る夢が実現して、自分が変わったこと
―― トライベッカの映画賞を取られたときに、どういうところが評価されたと言われましたか。
福永 先住民の話とか、そのコミュニティで生きる人たちの葛藤だったりとか、そういうことに対する何か問題意識とかはいろんな国でそれぞれあるし。さらに、思春期の成長の話、アイデンティティを見つめ直す少年の話ということで、言葉を超えて共感を持って見てもらえたのかなと思います。あとは何よりも、出演者の皆さんが素晴らしかった。
―― 最後に、随分前からアイヌがテーマの映画を撮りたいと思われて、実際に撮られて映画として完成して、何か福永監督の中で変わったことというのはありますか。本当にアイヌの方と接して作って、自分が変わったことはありますか。
福永 まずはアイヌのことで言うと、やっぱり自分も意識はしていなかったけれども、いろんな先入観だったり勘違いしていたことがあったんだなというのは、いろいろと気付かされました。アイヌだアイヌじゃないとか、和人とかということじゃなくて、何と言いますか、思い返すとつい目頭が熱くなるものもあるんですけれども、やっぱり人として成長させてもらったなと思っています。それは、出演者の皆さんが人として魅力的で、そこから学ぶべきところがたくさんあって。この後の映画作りということだけじゃなくて、自分の人生においてすごく特別な経験だったと思っています。
主人公の幹人くんの新人賞ノミネートは自分の賞よりうれしい
―― 幹人くんが毎日映画コンクールで新人賞にノミネートされましたね。何かメッセージはありますか。
福永 幹人くんは、高校に通っていてバンドをやっていて、彼の一番の情熱は音楽で。ただ、演技も機会があれば、また挑戦してみたいという気持ちなので、友達として、おじさんですけれども、応援できることはずっとしていきたいと思うし、映画を作って終わりじゃなくてね。見てくれた人に、すごく幹人くんがいいと言ってもらったり、新人賞のノミネートという記録に残ったというのは、僕にとっても本当にうれしいことで。評価や賞が全てじゃないし、ゴールでもないんですけれども、それがあることで広がる可能性というのはたくさんありますから。
―― そうですね。
福永 彼がこの後、ミュージシャンになろうが俳優になろうが、そういう表現活動をやっていく中で、絶対にいろんな可能性が、これをきっかけに広がると思うんですよ。はっきり言って自分の賞よりうれしいですね。
次の世代に繋ぐメッセージとしても
―― 主人公を青年から少年に変えたことで、次の世代に受け継ぐメッセージにもなったじゃないですか。伝統的なことだけじゃなくて、今のアイヌの若い人はどう考えているのかというのが。アイヌの年配の方とお話をすると、もう先があまり長くないから今なら語れる、みたいな話になったんですけれども、若い世代が出るというのも意味があるなと思いました。
福永 映画の中での幹人は、自分のルーツとか父親の死だったりとかに向き合いますけれども、別にこうじゃなきゃいけないというのはなくて。向き合った上でどんな歩みを進めるかはその人次第だし、頭ごなしに何かを言うのではなくて、もうちょっとやわらかく、一人一人が違った受け取り方ができるような映画にしたというか、終わり方も含め、そこから自分のことに置き換えて何かを受け取ってもらえたらうれしいなと思います。
―― 素晴らしいです。今日お話を聞いて、福永監督だったからこの映画が出来たんだなと改めて思いました。やっぱり福永監督じゃなかったら、心を動かせていないから。
福永 ありがとうございます。
―― すごく魅力があるんだと思います。純粋さとか。だからなんだなと分かりました。
福永 どうやって説得したのかというのは、確かに何回か聞かれたんですけれども、あまりこれという答えが毎回出なかったんですよね。
―― オファーといってもぐいぐい来ないし、かと言ってすぐ諦めるでもない。3ヶ月に1回ぐらい何だかんだで来ちゃうんだよなというのが、放っておけない感じだったりとか、一緒に何か協力したいというふうに思ったと皆さん言われていました。
福永 ぐいぐい行かないけど、諦めないというのは確かにそうかもしれませんね。ありがたいです。
●映画『アイヌモシㇼ』出演者 秋辺デボさんインタビューはこちら。