京唄子さんの口は大きいか:イジメとイジリの違いを子どもに教えよう
大きな口を漫才のネタにしていた京唄子さん。体の特徴をネタにするのはよくあることですが、子ども達にはどう教えたら良いでしょうか。
■京唄子さん死去
女優の京唄子(きょう・うたこ)さんが亡くなりました。TBSドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などでも活躍された方ですが、年配の人にとっては、夫婦漫才コンビ「唄子・啓助」の活躍が記憶に残っているでしょう。
■京唄子さんの「大きな口」
漫才でご活躍されて当時の定番のネタが、京唄子さんの「大きな口」です。相方の啓助さんが、京唄子さんの大きな口をからかったり、怒った京唄子さんが大きな口で空気を吸い込むと啓助さんが吸い込まれそうになったりするネタで、当時のテレビ視聴者は大笑いしていました。
■京唄子さんの口は大きい?
実は、漫才のネタになる以前は、京唄子さんは口が大きいと言われたこともないし、自覚したこともなかったそうです。それが、何かの拍子で口のことを話題にしたときにウケてしまい、この鉄板ネタができあがったそうです。
いったんそうなれば、口が大きいことを強調し、口が大きく見えるようなメイクもしたことでしょう。
太っていることをネタにしているお笑い芸人が、わざと太って見える服装をし、髪が薄いことをネタにしている芸人が、わざと薄さが目立つヘアスタイルにするのと一緒です。
これは、お笑いのネタですから、もちろんOKです。
■いじめが起きる理由
いじめの場合、イジメの理由は何でも良いのです。心理学的に言うと、いじめはいじめ衝動を持った子どもが、いじめ許容環境に置かれたときに発生します。いじめられる被害者の側に、最初に何かがあって始まるわけではありません。
言葉が標準語だったり、方言だったり、勉強ができたりできなかったり、体が大きかったり小さかったり、理由は何でも良いのです。
誰かが何かのきっかけで、そのささいな部分を指摘します。みんなが調子に乗って騒ぎます。子ども達の無法状態を抑える人もいません。そうすると、本格的ないじめが持続的に行われます。
言われる本人はその部分を強調などしませんが、周囲が強調するでしょう。本人は、本当は気にしなくて良いのに気にしはじめ、心が苦しくなります。自分の存在が否定されたような気持ちになります。その部分を隠そうとなどすれば、周囲はさらに攻撃をしかけてくるでしょう。
■イジリとイジメ
いじめている子どもを叱ると、「イジメではありません。ただのイジリです」などと弁解をする子がいます。ただ、ふざけていただけ、しゃれ、空気などと言う子もいます。
しかし、イジリとイジメは全く違います。お笑い芸人たちのイジリは、愛情表現です。お笑い芸人達は、誰かがイジッてくれることを心待ちにしています。イジッてもらえれば、テレビに映り、みんなに笑ってもらえます。
その人の何かを強調するのも、あだ名で呼ぶのも、当人が許容していれば良いわけではありません。言う側が愛情表現としてその言葉を使い、相手がそれを心から喜んでいなければ、イジリではなくイジメになってしまいます。
本名で呼ばれると寂しくて、そのあだ名や愛称で呼ばれることが心から嬉しいという場合だけ、その人をそう呼んでもいいのです。
ただ、なかなかわかりにくいことはあるでしょう。小柄な子に向って「小さいね」と言う人はあまりいませんが、大柄な男の子に「大きいね」と言う人はたくさんいます。悪気はありません。むしろ体格の良さをほめています。
ところが、背の高い子どもの中には、大きいといわれることを嫌がっている子どももいます。言っている側に悪気はなくても、言われている側が不快なら、言うのはやめましょう。その想像力を持ちたいと思います。
客観的にはイジメ加害者である子ども達の中には、本気でふざけているだけと感じている子もいます。イジメの実感がない場合もあるのです。しかし、イジメはいじめられる子どもの心を傷つけるだけではなく、いじめる側の心も蝕んでいきます。
子ども達がイジメなどしないように、そして成長して自分や人の個性を肯定的に受け入れることができるように、支援していきたいと思います。
京唄子さんの元気な笑い声を思い出しつつ(合掌)。