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よみがえる「1965年国会論争」の教訓(後編): 次回の日銀政策決定会合で決まる「円安地獄」の行方

山田順作家、ジャーナリスト
1964年東京五輪後の「反動不況」が国債発行を招いた(写真JOCのHPより)

■国の借金約1300兆円の「財政破綻国家」

 本記事の「前編」で紹介したように、1965年、日本で初めての赤字国債発行にあたっての国会論争は、歴史の貴重な教訓にもかかわらず、いまや完全に無視されている。

 その結果として、国債の大量発行による普通国債(建設国債+赤字国債)残高は、2023年末時点で1043兆7786億円に達した。政府短期証券や借入金などをあわせた広い意味での「国の借金」は、なんと1286兆4520億円にも上る。2023年の日本の名目GDPは約591兆円だから、とてもではないが、この額を税収によって返せるわけがない。

 政府債務のGDP比という統計で見ると、日本は250%を超えており、スーダンに次ぐ世界第2位の借金大国であり、こと財政に関しては完全な「破綻国家」である。そんな破綻国家が発行する円が、市場で信任されるだろうか?

 かくしていま、円安は進む一方になっている。

 そのため、注目されるのが、今月30、31日の日銀の政策決定会合である。ここで、はたしてどれほどの国債購入の減額が発表されるのか? それによって、円安の行方、インフレの行方、もっと大きく言えば国民生活の行方が決まる。

■意外と深刻だった東京五輪後の「反動不況」 

 では、1965年の国会論争は、どのようなものだったのか?「参議院予算委員会会議議事録 第20号全文」から、その後半部分のポイントを紹介したい。

 論争が行われたのは、1965年12月25日の参議院予算委員会。質問者は、社会党の参議院議員(当時)の木村禧八郎。答弁に立ったのは、大蔵大臣(現・財務大臣)の福田赳夫だった。

 この予算委員会の前、政府は異例の赤字国債の発行を決めていた。それは、この年、前年の東京オリンピックの「反動不況」が襲い、税収不足が見込まれたからだ。

 当時の首相は、佐藤榮作。佐藤首相は、当初、赤字を補てんするために国債を発行しないと言明していた。財政法に違反するからだ。 

 ところが、山陽特殊製鋼の倒産、山一證券の危機などが相次ぐと姿勢を一変させ、予算立案時になって、国債発行を容認したのである。その額は2590億円で、現在の価値に直しても大きな額ではなかった。

■福田蔵相が述べた財政政策転換の理由

 参議院予算委員会の質疑に入る前、「第51通常国会」の財政演説で、福田蔵相は、赤字国債の発行について次のとおり説明している。

 以下、長くなるが、その全文を紹介したい。

 「今日までの過程におきまして、一貫して均衡財政の方針が堅持されてまいりましたことは、大きな意義を持っていたと思うのであります。しかしながら、いま、わが国経済は新しい段階に入りつつあります。

 私はこの際、財政政策の基調を転換し、公債政策を導入することにより、わが国の財政に新しい政策手段を整備し、これを健全に活用していくことこそが、この三つの要請に応える道である、かように確信いたしております。

 すなわち、公債の発行によって、社会資本の充実など、財政が本来担うべき役割を積極的にはたしていくことも、国民待望の大幅減税も、可能になるのであります。同時に、景気の動向に応じて、公債の発行を弾力的に調整することなどを通じまして、経済の基調を安定的に推移せしめ、もってわが国経済の均衡ある発展を図る道が開かれていくと存ずるのであります。

とくに、今日のように供給力が低下しておる状況のもとでは、健全な公債政策の活用により需要を拡大してまいりますことは、本格的な安定成長路線への地固めを行ううえにおいて不可欠であると申さねばならないのであります。  

 公債の発行につきましては、われわれには戦時中及び終戦直後のインフレの苦い経験があります。しかし、極度に資源と物資の欠乏していた当時と、20年にわたる経済の発展により、国力が充実し、生産力が飛躍的に拡大しておる今日とでは、基本的にその条件を異にしておるのであります。

 もとより財政の健全性を堅持し、通貨価値の安定を確保することは、経済運営の基本であり、政治に対する国民の信頼に応えるゆえんでもあります。

 政府といたしましては、公債政策の導入がいやしくもインフレに連なるがごときことの断じてないよう、最大かつ細心の注意を払ってまいる決意であります。とくに財政の規模をそのときどきの経済情勢の推移からみて適正な限度に維持し、もって国民経済全体としての均衡を確保してまいる決意であります。

 この意味におきまして、公債の発行にあたりましては、第一に、その対象は公共事業費に限定し、いわゆる経常支出は租税その他の普通歳入でまかなうこと、第二、その消化はあくまで市中で行うこと、という二つの原則を堅持してまいる方針であります。今回の補正予算におきまして日本銀行引き受けの方式をとらなかったのも、この際こうした慣行を確立することが重要であると考えたからであります」

■福田蔵相が約束したことはその後みな破られた

 この福田蔵相の演説で注目すべきは、次の2点だろう。 

 まず「公債政策の導入がいやしくもインフレに連なるがごときことの断じてないよう、最大かつ細心の注意を払ってまいる決意であります」と述べたこと。

 福田蔵相は、国債の発行により、マネーが市中に大量に供給されることで起こるインフレを恐れていたのだ。ところが、 アベノミクスはなにがなんでもインフレにしようとして、事実上の財政ファイナンスにまで踏み込んでしまった。

 続いては、「公債の発行にあたりましては、第一に、その対象は公共事業費に限定し、いわゆる経常支出は租税その他の普通歳入でまかなうこと、第二、その消化はあくまで市中で行うこと、という二つの原則を堅持してまいる方針であります」と述べたことだ。

 もう書くまでもないが、このうちの一番目は、完璧なまでに破られ、建設と赤字の区別はなくなり、そのうえ、償還先送りの「借換債」が大量に発行されるようになった。さらに 二番目の「消化はあくまで市中」ということも、アベノミクスによってほぼ破られた。

 ちなみに1966年の日本の国家予算(一般会計)は約37兆円だった。ということは、2590億円という国債の発行額は、国家予算の100分の1にも満たない。

 しかしいまや、日本は国家予算の3分の1強を国債でまかなっている。来年度の一般会計予算は112兆5717億円で、そのうちの35兆4490億円が国債である。

■発行に歯止めをかけようとした木村禧八郎

 「1965年国会論争」で、福田蔵相は、国会での財政演説で述べたことを繰り返した。そこで、ここからは、木村禧八郎議員の主張、質疑を抜粋してまとめてみたい。

 「歳入欠陥が生じたときに、公債でまかなってはいけないというのが4条の規定なんです。公共事業以外は。だから、これは歳出を削るなり、あるいは増税するなりしてまかなうべきですよ。公債発行でまかなっちゃいけないんです。そういうふうにしろというのが財政法4条の建前なんです」

 「せっかく財政法4条を守らなきゃならない時点に来たんです。とうとう日本の財政は。いままで毎年自然増収がたくさんあったから、この4条の規定は眠っておったんですね。 ところが、昭和40年度(1965年度)の歳入欠陥、いよいよ4条が大切になってきたんです。

 いまこそ4条を守らなければならないところにきて特例法を設けた。そうして赤字公債を発行できるようにしてしまうんです。これでは、なんのために財政法で4条を設けたのか、意味をなさないじゃありませんか」

 「特例法を設けたこと自体も、財政法の4条の精神を蹂躙しているんです。いかに建設公債という名前を使おうと、名前は建設であっても、そういう支出は赤字公債であります。だから、これまで一般会計においてそういう道路などの公共事業費は国民の税金でまかなってきているのです」

 「回収性と収益性のないもの、これは赤字である。昭和41年度(1966年度)以降大量に発行するその公債は、たとえ公共事業と呼んで財政法に認められておっても、赤字公債であることは否定できないと思うのです」

 「その支出が収益性がない場合と、もう1つは回収性のないという場合は、常識からいって、それは赤字的支出であり、赤字的支出に対して発行する公債は赤字公債である。大蔵大臣は本会議で、なにか国の資産として残るものについては、その支出は、これは建設的な支出であると言われましたが、これは一般の通念とは違う。国の資産として残っても、会計上これが回収性と収益性がない場合は、通念としてこれは赤字と呼ばなければなりません」

 もちろんだが、この木村議員の主張は無視された。政府は、立法手続きの必要な赤字国債ならば「歯止め」にもなるという強引な理屈で、赤字国債の発行を決断してしまった。 その後のことを見れば、歯止めなどが効かなかったのは言うまでもないだろう。

■高橋是清の公債発行政策を高く評価  

 当然ながら、元大蔵官僚だった福田赳夫は、昭和恐慌時に国債を発行して不況を回避した高橋是清を高く評価していた。木村議員との論争前の1965年12月21日の衆議院本会議において、高橋財政に関して次のように述べている。

 「高橋蔵相は、日本銀行引き受けのかたちで公債を増発するという政策を取ったわけであります。しかし、私は当時を見ておりまして、高橋さんは、公債政策を取るが、守るべき一線というものは厳重に守っていたと思うのであります。

 つまり、日本銀行引き受けのかたちはとりましたけれども、その民間消化ということにつきましては、非常に努力されております。記録によりますと、8割までは民間で消化されております。民間に日本銀行は売り払っておるわけであります。

 それから、財政の規模ということについては、とくに関心を持たれて、昭和10年(1935年)の11月頃でしたか、11年度予算の編成の閣議があった。

 これは、有名な『36時間閣議』というものです。この2昼夜ぶっ通しの閣議におきまして、高橋さんは軍部と戦っております。

 ソ連と争うべきか、争わざるべきか、という問題を中心としての議論であります。そういう戦いを通じて、この財政の守るべき一線、財政のワクというものを守り通しておるのであります」

 「その高橋さんが去られた後に、支那事変、また大東亜戦争と、日本経済がインフレ化をいたしておるのでありまして、私は、昭和7年(1932年)のあの財政政策の転換は、今日、私どもの大いに学ぶところがあるのだというふうに考え、高橋さんが守られた――この公債を発行する、財政を転換して、経済の立て直しをするという考え方は取りまするが、しかし、守るべきところはあくまで守る、ご安心を願いたい」

■特措法は本来緊急事態に対処する時限法

 高橋財政の例を持ち出しながら、「守るべきところは守る」と言っているのは、福田蔵相自身でさえ、国債発行の危険性について、十分に認識していたからである。

 だからこそ、「特例公債法案」という特措法によって国債発行を決めたのだった。

 しかし、いかに特措法といっても、いったん決めてしまうと、慣習化、慢性化してしまうのが日本の政治である。特措法というのは、本来、緊急事態に対処するためのもので、時限立法である。それを毎年続け、挙句の果てに2012年、野田内閣は2015年度まで3年間もの赤字国債の発行を認め、国債発行は当該年度の予算案と一体で処理すればよいとしたのである。

 こうなると、国債発行は無制限かつ、自動的にできることになる。簡単に言うと、予算案に国債発行額を書き込むだけでいい。

 しかも、この3年間の期限を、2015年、安倍内閣は5年に延長してしまった。

■通貨価値の安定を確保することは経済運営の基本

 財政法を破り、初めて国債が発行された後、東京五輪後の「反動不況」は終息した。これは、主に輸出の増大によってであり、国債発行による需要喚起の効果があったかどうかは疑わしい。

 それなのに、その後の日本財政は、「国債依存症」から脱却できなくなってしまった。

 日本に限らず、いまや世界中が財政均衡主義を守っていない。しかし、日本ほど派手に、そして大規模に守っていない国はない。 これでは、円の価値がどんどん薄れ、円安が進むのは当然だ。このまま突き進めば、止めようがないインフレがやって来るだろう。

 歴史の教訓として、ここで「1965年国会論争」を思い起こし、さらに、福田蔵相が言った言葉を噛みしめるべきだ。

 「もとより財政の健全性を堅持し、通貨価値の安定を確保することは、経済運営の基本であり、政治に対する国民の信頼に応えるゆえんでもあります」

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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