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豊臣秀吉は、なぜ伴天連を追放しようとしたのか。納得の理由

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
イエス・キリスト。(提供:アフロ)

 大河ドラマ「どうする家康」では、ときどき姿を見せる豊臣秀吉がウケている。ところで、のちに秀吉は伴天連を追放したが、今回はその理由を考えてみよう。

 大航海時代が訪れると、ヨーロッパ(特にポルトガル)は世界を貿易で席巻した。その際、セットでやって来たのがキリスト教の宣教師だった。一方で、彼らは貿易だけでなく、アジアやアフリカの人々を買うことがあった。人身売買である。

 人身売買は、例外なく日本でも行われ、中でも寄港地の九州は悲惨な状況になっていた。ポルトガル商人は、日本人奴隷を買って船に積むと、容赦なくヨーロッパに連行していたのである。その事実は、豊臣秀吉の耳にも入っていた。

 ポルトガル商人による人身売買の様子を克明に記したのが、秀吉の御伽衆だった大村由己の手になる『九州御動座記』である。そのうち重要なポイントを箇条書きにしてまとめておこう。

①伴天連(=宣教師)らがやって来て、わが国の諸宗を邪法(キリスト教)に引き入れようとしたこと。

②数百人の日本人を男女に拠らず買い取り、手足に鉄の鎖をつけ、船底へ押し込んだこと。

③ポルトガル人は牛馬を食すうえに、礼儀もなく畜生そのものだったこと。

④日本人がポルトガル人を真似て、親、子、妻女を売り飛ばすこと。

 秀吉は①~④の現実を目の当たりにし、日本が外道の法になり、仏法も王法も捨て去るのではないかと危惧した。その結果、秀吉は伴天連を追放しようと決意したのである。秀吉は同胞が奴隷として売買され、日本の伝統が失われることを恐れたのである。

 こうして秀吉の手によって、天正15年(1587)に発布されたのが、かの有名な伴天連追放令だ。秀吉はキリスト教を禁止したというよりも、宣教師を日本から追放しようとしたのである。つまり、いささか不徹底な側面があった。

 不徹底になったのには、もちろん理由があった。貿易とキリスト教の布教はセットなので、キリスト教を禁止すると、貿易もできなくなる。そこで、秀吉は中途半端な対応で、お茶を濁そうとしたのだが、その後も努力を続けたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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