【九州三国志】禰寝重長と重張の物語!歴史の波間に漂う父子の軌跡
華盛頓Webライター
禰寝重長は1536年、南九州の根占の地で生を受けました。
肝付兼続の娘を妻とし、彼に従い島津氏と戦を交えた豪傑でしたが、1573年、肝付氏が不利になると単独で島津義久と和睦。
この勇断により肝付氏に攻められるも、島津軍の助けを得てこれを撃退しました。
さらに彼は内政にも才を発揮し、対明貿易や商業を奨励。
温州みかんやハゼノキを日本に広めた先駆者でもありました。
その後、1580年に没した重長の跡を継いだのが嫡子・重張です。
彼は島津氏に忠節を尽くし、九州平定後は吉利村に移封されますが、関ヶ原の戦いでの奮戦が仇となり捕えられます。
しかし、僧侶頼実の尽力で命を拾い、薩摩に帰還。1629年、波乱の生涯を終えました。
重張は父の霊を祀る鬼丸神社を建立し、後世にその足跡を残しました。