事故か、虐待か?「乳幼児揺さぶられ症候群」めぐり、分かれる医師の見解
■虐待を否定する母親たち
ここ最近、乳幼児への揺さぶりで保護者が逮捕されたり、有罪判決を受けたりするケースが相次いでいます。
3月1日、さいたま地裁は20歳の母親に対し、執行猶予付きの有罪判決を下しました。生後1か月の次男が泣きやまないことに腹を立て、頭を複数回強く揺さぶり死亡させたというのです。
裁判官は判決で「育児に疲れていたなど同情の余地もある」と述べたそうです。私も経験がありますが、子育ては本当に大変です。ストレスを感じ、ときとして自分を見失うこともあるでしょう。でも、とっさの衝動を赤ちゃんに向けることは許されません。
その一方、「揺さぶり」による虐待で逮捕・起訴された保護者が、無罪を訴えるケースも相次いでいます。大阪府に在住していた30代の女性は2015年、生後1カ月の長女を強く揺さぶり重傷を負わせたとして逮捕され、その後、傷害容疑で起訴されました。
昨年末、自宅を訪ねた私に対し、保釈中だった女性は、か細い声でこう説明しました。
「家の中でほんの少し目を離したすきの出来事でした。2歳半の長男が長女を抱っこして落としてしまったのです」
長女の顔色がみるみるうちに変わり、女性はすぐに救急車を呼んだといいます。
病院で治療を受けたものの、長女には硬膜下血腫や骨折などがあり、意識不明に。病院は警察と児童相談所に通報し、家宅捜索と取り調べが行われました。子どもは二人とも児童相談所に保護され、9カ月後、女性は逮捕されました。
「子どもが重傷を負ったことは母親である私の過失で、大変な責任を感じています。でも虐待は絶対にしていません」
2歳半の長男が体重4キロを超える長女を持ち上げられるわけがない、という指摘もありましたが、長男が5キロの人形を持ち上げられたことは、後の検証で明らかになっています。
突然の逮捕から3年、裁判を見守ってきた父親は心配そうに話しました。
「妻が収監されたら、どうすればいいのか……。裁判官にはぜひ真実を見きわめてほしいと思います」
女性への一審判決は3月13日に大阪地裁で言い渡される予定です。
中部地方に住む20代の女性も、昨年、生後3カ月の赤ちゃんに虐待をした疑いで逮捕されました。検察は、虐待に詳しい医師が「揺さぶりによる虐待」と診断したことなどを柱に起訴しましたが、本人は一貫して「赤ちゃんがソファから転落した」と説明しています。先日、保釈請求が認められ、これから刑事裁判が始まる予定です。
■乳幼児揺さぶられ症候群とは?
検察が保護者を起訴する際、根拠にしているのが「乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)」です。
英語ではShaken Baby Syndromeと表記されます。
また虐待性頭部外傷(Abusive Head Trauma)を略して、「AHT」と表記されることもあります。
簡単に言うと、乳幼児の頭部に、1)硬膜下血腫 2)網膜出血 3)脳浮腫
の3つの症状がある。そして3メートル以上の高所からの落下事故や交通事故などの証拠がなければ、一緒にいた大人による激しい揺さぶり、つまり“虐待”を疑うべきであるという理論です。
SBSは1971年にイギリス人医師が提唱しました。その後、80~90年代に欧米で「3つの症状があれば、揺さぶったと推定できる」という考えが広まったのです。
日本でも2000年ごろから小児科医や内科医など一部の医師がSBSに注目し、捜査機関は3症状などを元に保護者らを逮捕・起訴するようになりました。
厚生労働省も2008年ころから小児科医や内科医に監修を依頼し、病院・児童相談所向けのマニュアル『子ども虐待対応・医学診断ガイド』を作成。3症状があれば虐待の可能性が高いという情報を伝えました。
また保護者向けに、母子手帳や保護者向けのパンフレットで「揺さぶり」の危険性を伝えるほか、2013年にはSBSの解説を入れた『赤ちゃんが泣きやまない』というDVDを作成し、啓蒙活動を行っています。
■外国で疑問視される「SBS」
ところがこのSBSについて、日本の法律家や脳神経外科医らが異議を唱え始めています。
複数の国のSBS論文について分析を行い、自身もこの問題について論文を発表している甲南大学法学部教授・笹倉香奈氏は、こう指摘します。
「1990年代には、すでに諸外国の一部の医学者からSBS理論についての強い批判が行われていました。現在、欧米ではSBSそのものの科学的根拠が問われています」
私も、笹倉教授の論文や「SBS検証プロジェクト」のWEBサイトに目を通してみました。すると、2005年にはすでにイギリスの控訴院が「3症状があったとしても、それらが直ちに揺さぶりを原因とするとは言えない」との判決を出していました。
11年には、提唱者のイギリス人医師自らが、「SBSは仮説であり、明確な医学的・科学的事実はない」と述べ、SBSに基づく逮捕や起訴に警告を発したのです。またスウェーデンでは最高裁が14年、「SBSの診断は不確実だ」として、乳児虐待の罪に問われていた父親に、逆転無罪判決を言い渡しました。
一方、日本の裁判所ではまだ、SBSの診断を否定する判断は出ていないようです。
2017年10月、弁護士や法学者らが中心となって、えん罪の防止・救済を目的にした『SBS検証プロジェクト』が発足しました。
18年2月10日には京都で、『揺さぶられっこ症候群仮説の信頼性を問う』と題した国際シンポジウムも開催。イギリスの神経病理学者であるウェイニー・スクワイヤ医師は次のような研究結果を示しました。
「3症状のひとつ硬膜下血腫は、出生時健康な乳幼児にもよく見られます。つまり、3症状があるからといって、赤ちゃんが揺さぶられたと断定することはできないのです。仮に強く揺さぶったのであれば、首にも何らかの損傷が生じるはずです」
と述べました。
またSBSの冤罪問題に携わってきたアメリカのケイト・ジャドソン弁護士は、「3症状があれば95%虐待である」と法廷で証言する医師について、こう指摘しました。
「統計は平均を示すもので、個別の事案については何も語らないのです」
■日本のSBSをめぐる3つの論点
乳幼児の頭部に「硬膜下血腫、網膜出血、脳浮腫」という3症状が見つかったとき、ある医師は「虐待の可能性が高い」と診断し、ある医師は「必ずしもそうとはいえない」と否定する……。
専門家でも見解が大きく食い違う中、親たちはどのように「乳幼児揺さぶられ症候群(SBS)」を理解したらよいのでしょうか。
前出の『子ども虐待対応・医学診断ガイド』の監修者で、SBSを肯定している医師2人(内科医と小児科医)に取材を申し込みました。内科医は業務多忙で時間が取れないということでしたが、小児科医からは約3時間、SBSに関するさまざまな説明を聞きました。
そこで、この小児科医の話とシンポジウムに登壇した脳神経外科医の話の中から、重要なポイントを3つに絞りました。しかし小児科医は「この議論は医師同士ですること。マスコミ媒体に意見を載せるのは避けたい」との意向だったので、上記ガイドの中の「SBS診断基準」から該当箇所を引用し、整理してみました。
1)3つの症状があれば虐待なのか?
●脳神経外科医・埜中正博氏
「3徴候をもって虐待と断言するのはかなり難しい。脳の専門科である脳神経外科医の立場から、骨折の有無、外表、被害児の家庭環境など、もっと丁寧に、多角的な視点で調べる必要がある」
● 『子ども虐待対応・医学診断ガイド』
「三主徴(硬膜下血腫・網膜出血・脳浮腫)が揃っていて、3メートル以上の高位落下事故や交通事故の証拠がなければ、自白がなくて(*ママ)SBS/AHTである可能性が極めて高い」
2)低位からの落下や転倒でも硬膜下血腫は起こるのか?
●脳神経外科医・青木信彦氏
「低位からの落下や、畳など硬くない場所での転倒でも『乳幼児型急性硬膜下血腫』は起こる。揺さぶりだけで起こるわけではない」
●『子ども虐待対応・医学診断ガイド』
『乳幼児の硬膜下血腫のうち約5%は落下や交通事故、不慮の事故によるものだが、大半は虐待、特に暴力的なゆさぶりによって発生している』
3)SBSのような脳傷害診断の専門家は誰か?
●脳神経外科医・朴永銖氏
「脳の中の診断はとても難しい。脳の傷害については、画像読影、重傷か軽症かの判断、手術や入院時における管理など、全て脳神経外科医が行っている。脳神経外科医が専門家として関わるべき」
●『子ども虐待対応・医学診断ガイド』の奥付
編集/制作に携わった研究員は小児科医、分担研究員は内科医、研究協力者は小児科医。
■今は徹底検証が必要
乳児の頭のケガは、事故によるものなのか、虐待によるものなのかーー。
自宅という”密室“で起きているケースがほとんどで、真実は当事者にしかわかりません。しかし、3症状があれば虐待の可能性が高いという一部医師の考えに、脳神経外科医から反論が出ているのは事実です。
今はいったん立ち止まり、徹底的に議論・検証することが、求められているのではないでしょうか。
【この記事は、Yahoo!ニュース 個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】